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「お・も・て・な・し」で始まったTOKYOオリンピック2020…

先日、政府は非公式に東京オリンピック2020の開催を断念し、密かに2032年にまた東京召致に照準を合わせているとのニュースが流れました。

オリンピックに照準を合わせ、頑張ってきたアスリートを思うと心苦しいのですが、今、多くの国民は「オリンピックよりコロナの終息(収まるより終わってほしい)」を願っているのが事実でしょう。

もし、開催しても参加国がどれくらいになるか、国としての参加でなく、選手個人の参加というようになるかもしれません。無観客での開催、ボランティアの縮小、大幅なお祭り部分の変更(開会式、閉会式)をもってしても、選手および大会関係者から開催中にコロナが出ない保証はありません。

団長の思いで英断する時期がすぐそこに迫っています。

さて、オリンピックの話をしたかったのでなく、今は小泉進次郎環境大臣の奥様となった滝川クリステルさん。彼女が「お・も・て・な・し」と言って大いに印象付けた日本のホスピタリティですが、今はコロナで対面販売、対面での接客もままならない時代。さあ、日本のおもてなし、今後、どこへむかっていくのかな~、なんて、パフォーマンス学を22年も学んでいる私は思ったのですよ。

Withコロナ時代の窓口対応

昨年、マスクを付けた窓口応対の研修資料を作ったものを添付します。
マスクの下の表情筋を動かさなくなると、相手に伝わりづらくなりますよね。

万国共通のおもてなしは、ズバリ「スマイル」!
マスクで、笑顔が見えない。実は、私たち葬儀の仕事をしていると、満面の笑みってできませんよね。悲しみの現場に、口角をきゅっと上げた笑顔や前歯がきれいに見えるフルスマイルは。そこで、故人様が教えてくれた「おもてなし」をつづります。正確には、故人様でなく仏様の教えからです。

葬儀現場での笑顔

おもてなしの第一歩は笑顔です。しかし、私が携わる葬祭業は、笑顔で「ようこそ!」と言えない業種です。
人は心が弱っている時、傷ついている時こそ、もてなす側の細心の注意とおもてなしが必要となって参ります。

私は22年に渡り、葬儀社様に依頼され、司会やアテンダント、湯茶賄い、そして、帳場と言われるお香典を預かる受付など人的サービス部分を請け負う会社を経営して参りました。
お客様となるのは、ご遺族様はもちろん、会葬者、式をつかさどる宗教家、そして、仕事の依頼を下さる葬儀社様と何重にもなるお客様がいらっしゃいます。
立場の違う皆さんですから、接遇の仕方も自ずと違ってまいります。たくさんの失敗もしました。良かれと思ってやったことが、独りよがりだったり、相手の立場を思い行ったことが、相手の癇に障ったりしたこともあります。

ここでは、試行錯誤しながら身につけてきた遺族様、会葬者の方々をもてなす方法をお話したいと思います。満面の笑みで「いらっしゃいませ」と言えない現場だからこそ、笑顔を超えるおもてなしが活きるのです。

葬儀司会への道

さて、少し私自身のお話をさせていただきます。
私は、葬祭の司会の仕事を始める前は、ブライダルやイベントの司会と英語教室、そして、企業の研修を請け負っておりました。

今も企業研修は続けておりますが、ブライダルは知り合いの方から頼まれた時だけとなり、冠婚葬祭の司会業は、大きく葬祭業へとシフトしていきました。
世の中が高齢化となり、若者はジミ婚化傾向があったのも理由の一つですが、実は、私自身が離婚をしたことが大きな原因です。しあわせのお手伝いをすることに、嘘っぽさやうしろめたさを感じたことは否めません。ブライダルへの興味が覚めると、不思議なことに仕事も自然と葬儀へと変わっていきました。

しかし、いきなり葬儀司会ができるわけではありません。きっかけは、地元の市長のご母堂様の葬儀で司会を頼まれたことからでした。「へ~、葬儀って女性司会者がやってもいいのね」申し訳ないのですが、最初はそれくらいの認識で始めました。

しかし、その後一気に勉強しました。まず、葬儀式の流れがわからなくては、司会はできません。地域独自の慣習もあります。仏教式、神式の葬儀の流れ、声のトーン、忌み言葉、ナレーションの作り方、式後の流れも含め、つてを頼って知り合いの葬儀社さんに勉強に入らせていただきました。

葬儀式に出ていると、今まで耳障りでしかなかったお経が心地よく耳に響き、風誦文や白骨の章など、日本語がちゃんとわかるもの、そして、般若心経やマントラの光明真言などは、何とも言えない心地よい響きがあり一緒に口ずさんだりするようになってまいりました。

考えてみれば、私はずっと前から、宗教に興味がありました。それは、小さい子が当然にもつ疑問、人はどこから来てどこへ行くのだろうか、母から生まれ、そして死ぬときはどうなるのだろうか、という事にとても興味があったからだと思います。

子供の頃は、夏休みのお盆の時期に、母の実家のある浦和へよく出かけておりました。
夜布団を敷いて従姉妹たちと寝る時に、怪談話や学校の友達から聞いたという怖い話などを、固唾を飲みながら聴いたものです。
また、地獄とはどういうところか祖母に聴いたりもしておりました。

私の通う幼稚園はお寺が母体の幼稚園で、春にはお釈迦様の誕生を祝う「花祭り」が行われておりました。
同時に住む町に日本キリスト経団が布教活動を始め、まだ教会がない中で、私の自宅で礼拝が行われたこともありました。
日曜学校にも兄弟と通っておりました。両親が牧師先生と友人ということもあり、少ながらず教会に関わっていた事も、また、違った観点から死を考えるきっかけとなりました。

それから月日は流れ、茨城のカウンセリングの第一人者である故大須賀発蔵先生と出会い、東洋哲学に基づいたカウンセリング理論を聴くにつれ、人の生き方の根源が仏教の中にあると思えるようになって参りました。

さらに、福祉の勉強会をきっかけに、本門仏立宗という宗派のお寺、水戸市千波の開運寺のご住職と友達になったことも大きく影響しております。

そんな私に、ある日彼は「さっちゃん、これ『無財の七施』と言うんだけど、簡単に英訳してくれないかな」と持ってきたのです。
その時初めて、『無財の七施』を目にしました。
『無財の七施』は「雑法藏経」というお経に書かれていて、お釈迦様は、「財力や智慧が無くとも七施として、七つの施しが出来る」ことを教え示されています。無財というのですから、お金が無くても誰でもできる布施のことです。

無財の七施

その七つを列記しますと、
1.慈眼施(眼施)じげんせ
  慈しみの眼差し、優しい眼差しで人に接する事。
2.和顔施(和顔悦色施)わがんせ
  いつも和やかな顔、笑顔をもって人に接する事。
3.愛語施(言辞施)あいごせ
  優しい言葉で接する。愛情をもった思いやりの言葉で人に接する事。
4.捨身施(身施)しゃしんせ
  骨身を惜しまず、自分でできることを奉仕する事。困っている人を助け    るなど身をもって実践する事。
5.心慮施(心施)しんりょせ  
  他の人のために心を配る事。心底から共に喜び共に悲しむことが出来る事。
6.房舎施 ぼうしゃせ
  温かく自分の家に迎えたり、雨宿りの場所を提供する事。
7.床座施 しょうざせ
  他の人のために席や場所を心置きなく譲る事。

「なるほど、この7つの施しなら私もできるよね」と思ったのと同時に「うん、待てよ。本当にこの7つの施しを私は実践しているだろうか?」とも思いました。
日常生活の中で、特に家族に対して出来ているかと言えば、「できていません」と正直に回答します。
しかし、仕事の中で、ご遺族や会葬者に接するとき、私たちは知らず知らずのうちにこの七施を実行しているではないですか。この七施を持って初めて葬儀現場での接遇が完成するといえることに気付いたのです。

葬儀だけではありません。無財の七施は「日本のおもてなしの極意」といえるでしょう。

亡くなってから出会うご縁でご葬儀の司会をさせていただき、人としての生き方、家族の在り方、介護の現状、日本の将来への示唆も故人様から教えていただいております。

私は、一般企業様から介護福祉・医療関係、官公庁の職員の方々へ向けた研修も請け負っております。葬祭業においても、自社スタッフはもちろん、接遇マナー研修をさせて頂いております。

茨城で起業して23年。実践と経験に基づく研修を提供してまいりました。
次回から、葬祭業で必要なマナーを中心に、「無財の七施」を織り交ぜながら、おもてなし、接遇の場面に当てはめて説明してまいります。葬祭業を中心にしておりますが、他の業種の皆様にもあてはまる内容だと思います。どうぞ、皆様の接客業にもお役立ちできたら幸いです。


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