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「音楽の脱植民地化」の試行錯誤を続けたバンド、キウイとパパイヤ・マンゴーズの軌跡

キウイとパパイヤ・マンゴーズが活動を休止する。
花向け(?)を兼ねて、あらためてその歩みを整理しつつ、来る彼らの不在を惜しもうと思う。

なお、彼らの(一旦の)ラストライブは2024年11月17日(日)の昼間に開催される。
もしこの投稿で彼らに興味を持つ人がいたら、最後の機会をぜひ見逃さないでほしい。


結成〜『温帯ブギー』(2004) 、『キウイとパパイヤ、マンゴーズ』(2005)


キウイとパパイヤ・マンゴーズ(あるいは「K.P.M.」「キウイとパパイヤ、マンゴーズ」)は、2002年に早稲田大学 中南米研究会の面々により結成され、細々ながら現在まで活動を続けるバンドだ。

メンバーは、リーダー廣瀬拓音(b)を中心に、現在「在日ファンク」等で活躍する永田真毅(ds)、大森誠也(g)、中井雅子(key、2008年頃に脱退)と、当初は3人の女性ボーカルが在籍していたようだが、筆者がその存在を知った頃には大橋キウイ、中谷マンゴーのツインボーカル編成となっていた。

初期の録音作品、1st EP『温帯ブギー』(2004年、MOTEL BLEU)と2nd EP『キウイとパパイヤ、マンゴーズ』(2005年、同)では、初々しいストレートなレゲエポップを聴くことができる。

ある種、拙さを魅力にしたようなボーカル2人のコーラスワークと、やたらグルーヴィーでステディーなリズム隊。そのコンビネーションを、小綺麗なサウンドプロダクションでまとめたこの2作は、今から思えば、カフェブーム、森ガール/ゆるふわブーム、音楽に於けるオーガニック志向トレンド、そして『Free Soul』『Café Après-midi』シリーズとヴィレッジヴァンガードがある種の覇権を握り、また、佐藤伸治没後のフィッシュマンズ再評価ムーヴメントが高まっていた時代の空気と、ぴったり符号するものでもある。
(ちなみに2nd EPのアートワークは、当時「クラムボン」等のジャケットを手掛けていたイラストレーター、小池アミイゴによるものだ。)

収録された曲のいくつかは、現在もバンドのレパートリーとなっているので、比べて聴くのも楽しいだろう。

なお1st『温帯ブギー』には、当時彼らのレーベルメイトであった、現在海外で猛烈な支持を集めている「Lamp」から永井祐介(g)や、「SKA SKA CLUB」のち「ROCK'A'TRENCH」の畠山拓也(tb)等が客演している。

筆者は2005年頃から彼らのライブを見に行くようになり、メンバーとの親交が始まった。
リーダー廣瀬拓音には、一貫したテーマ/問題意識がある。(彼は15年くらい、日々ツイッターで、ほぼ同じことばかりを飽きずに言い続けている。)
それは「音楽の脱植民地化=対米従属からの脱却・自主独立」と、そして「田舎から都会へ出て文化活動に従事するインテリとしての、地方・ローカル(とその保守性)との再対峙・落とし前」である。

2nd『キウイとパパイヤ、マンゴーズ』には、富山県南砺市の民謡「こきりこ節」のレゲエカバーが収録されている。
(南砺市は、彼らおよび廣瀬がその後たびたび出演するワールドミュージックフェス「SUKIYAKI MEETS THE WORLD」の開催地である。)
現在の彼らからすればずいぶんと“アーバン”なアレンジであり、また、和的なものを模索する方法論自体まだシンプルではあるものの、これを廣瀬の試行錯誤の嚆矢と位置付けることができるだろう。

『八月のさよなら』(2007)


2006年ごろに中谷マンゴーが脱退し、大橋キウイの1人ボーカル体制となって以降のK.P.M.は、廣瀬の抱えるテーマについての試行錯誤を実践する場という色彩を、どんどん強めていく。

そんな中で発表された3rd EP『八月のさよなら』(2007年、MOTEL BLEU)は、彼らの金字塔であるばかりか、2000年代の国内インディポップを代表し得る名作だ。

サウンド面に於いては、ポップさを過去2作以上に押し進めており、「MUTE BEAT」の増井朗人(tb)のような先輩ミュージシャンの客演もあって、音作りやミキシングもゴージャスなものになっている。
木場大輔(胡弓)、萩原遼(三味線)など、邦楽(いわゆる“純邦楽”)のミュージシャンが参加している点も、新たな特色だ。(なお、彼らが参加した楽曲「二百十日の」は、富山県八尾町の祭事「おわら風の盆」を題材にしている。)

タイトル曲の「八月のさよなら」は、サビの最後の「ありがとう さよなら」という、あまりにシンプルで力強いラインが印象的なバラードだ。
一聴すると恋愛にまつわる離別を歌っているようだが、この曲は明確に、恋愛になぞらえる形で「アメリカとの決別」を主題にしている。
(ブックレットのいわゆるspecial thanks欄には、浜野謙太、蔡忠浩、音楽評論家の北中正和などの名前に続けて、末尾に「アメリカ」と書かれている。)

瞳を閉じればどこでも行ける それでも届かない君の背中
きっと僕らは違う 同じ空見上げても今は 別の歌歌おう それぞれの歌を
君がこの痛みや僕を忘れても それでもきっと君の声はこの街に溢れてる

「八月のさよなら」

戦後日本のポピュラー文化は、直接的にも間接的にも、アメリカ支配の影響、憧れとその模倣・追従によって発展してきた。この街に溢れる「邦楽」「J-POP」と呼ばれるものの多くは、いわば、日本国内で作られた、日本語で歌われるアメリカ音楽に他ならない。
私たちはそれらに心を動かされ、恩恵を受けてきた。血肉となってきた。でも、それでいいんだろうか。そのままでいいんだろうか。
廣瀬が自問し続けてきたその葛藤について「全て超えて今なら言える ありがとう さよなら」と歌ったこの曲は、しかし音楽的には、他ならぬアメリカンポップス的なバンドアンサンブルの高揚を、非常に強く持ち合わせている。そのバランス感覚、あるいは自己矛盾的な性質もまたエモーショナルなのだ。
そして、上記のようなことを何も意識せず、さらっと聞いても、単にめちゃめちゃいい曲である(後述する、独自の表現を模索した以降の彼らの意欲作よりも、はるかに聴きやすい!)。その事実がまた、我々の感受性がいかにアメリカ的なものの影響下にあるのかを自覚させてくる、という構造を持ってもいる。

多くのゲストミュージシャンを交えて盛大に開催された本作のレコ発ライブでは、バンド名の由来である中原めいこ「君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね」のカバーも(おそらくバンド史上唯一この日だけ)演奏された。今から考えれば、K.P.M.が最も「ポップ」に近接していた時期を象徴する出来事だったかもしれない。

この『八月のさよなら』という「宣言」以降、K.P.M.は「アメリカ(およびイギリス)発の、1940-50年代ごろから続くポップミュージックの系譜」との決別を、音楽的にも試みるようになる。
また、本作を最後に、キーボードの中井雅子がバンドを去ることになる。西洋(芸術)音楽の素地を持ち、アレンジに大きな役割を担っていた中井の脱退も、この音楽性の変化を大きく後押ししただろう。
(中井雅子は現在「Rayons」名義で、自身の作品を発表するほか、Predawn、小山田壮平などの作品にもアレンジャーとして参加している。)

『Tropical Japonesque』(2009)


続く4枚目の『Tropical Japonesque』(2009年、マルゑゐ録製)は、初の自主制作盤であり、初のアルバムといえる長尺作品だ。
サウンド面でもコンセプト面でも、日本的なもの/アジア的なものを模索し、西欧覇権の外側にあるものと共振する、というベクトルに大きく舵がとられたアルバムである。

この頃から大橋キウイは和装がトレードマークとなり、曲によっては三味線を演奏するようになった(以降、サポートも含めて何度かメンバーチェンジが行われるが、「フロントマンは和装の和楽器奏者or民謡歌手」という形式が確立されている)。本作以降バンド名の正式表記も「K.P.M.」から「キウイとパパイヤ・マンゴーズ」に改められている。

ルイス・ゴンザーカの日本語カバー「バイアォン踊り」や、「東京のフォホー」(※フォホーはブラジル北東部のダンス音楽)などの楽曲名を見てもわかる通り、本作には廣瀬の「アメリカナイズされていないブラジル音楽」からの影響が色濃く反映されている。
廣瀬はK.P.M.と並行して、ブラジル北東部のパレード音楽 マラカトゥを演奏するグループ「Baqueba」のメンバー(後にリーダー)としても活動しており、本作では、多くの曲でベースではなく、ザブンバ(ブラジルの打楽器)を演奏している。
ギターの大森誠也は主にカバキーニョやバンジョーを演奏しており、また、サポートメンバーとして「チャラン・ポ・ランタン」の小春(アコーディオン)が参加。ほぼ全編を通じ「ドラムセット、ベース、中域の和音楽器」で構成されるいわゆる「バンド」のサウンドとはかけ離れた質感のアンサンブルとなっている。

同時に本作からは、「非占領国であり同時に覇権国でもあった日本を戯画化し、今日の健全な(文化的)大東亜共栄圏を夢想する」ような、スレスレのテーマも見てとれる。(なにせ冒頭からチンドン風の「軍艦マーチ」のフレーズである。当時、一聴して頭を抱えたのを覚えている。)
もともと駐留米兵が作詞作曲した曲であるらしい「チャルメラそばや」(美空ひばりが日本語で歌唱した録音がある)のカバー、台湾のミュージシャンとの交流から生まれた曲「台湾航路」などは、そのわかりやすい顕れと言えるだろう。

「奥美濃節」は、廣瀬が両親の駆け落ちエピソードをモチーフに創作した、架空の民謡だ。(廣瀬は美濃地方の出身である。)
民謡だ、と書いたものの、メロディラインに民謡らしさこそあれ、この曲は音楽的にはダブである(実在しない民謡をダブで演奏することによって、あたかも「民謡のダブ・カバー」のように感じさせる、という仕掛けになっている)。民謡調に演奏されたバージョンが世界中のどこにも実在しない以上、つまりこの曲はそもそもダブとして作られたものでもある。作者の意図は定かではないけれど、「地域の民謡よりダブ/レゲエの方が、よほど自分にとって原初的な影響源である」という点を踏まえつつ、自身にとっての「ローカル」や「ルーツ」について再考したコンセプチュアルな楽曲作品、と見立てることができるだろう。

このように、廣瀬のコンセプトは(場合によっては本人の思惑以上に)ときに複雑で、何重にも屈折した問題意識やシニシズムを背景に備えている。
しかし、彼らの音楽自体は常に、底抜けに明るく楽しく、踊れるものに仕上がっている。
彼らは決して、深淵や深刻を装わない、あるいは露呈させない。
私はこの点が、K.P.M.のキャリアを通して一貫した、大きな特徴であると考えている。

『World Wide Locals & Our J-Pops』(2011)


5作目『World Wide Locals & Our J-Pops』(2011年、マルゑゐ録製)は、タイトルが示す通り、前作から連続した廣瀬のコンセプトを押し進めながらも、ポップ/バンドサウンドに回帰したアルバムとなっている。

本作から「滞空時間」のGo Arai(バイオリン、シタール)がメンバーとして加入、また、小春(アコーディオン)、「Baqueba」の古尾谷悠子(perc)もメンバーとしてクレジットされている。
『八月のさよなら』にも収録されていた「クマタキヒ ヘ!」(曲名はアイヌ語で、妹と久々に会う挨拶)の“トライバル”でブラジリアンな再録バージョン、続く熊本民謡「おてもやん」のカットアップが施されたカオティックなカバーでは、特にGo Araiの存在感が大きく、彼を得たことでバンド全体がいきいきとしているようにも感じられる。

また、本作では、もともとK.P.M.の大きな魅力であった廣瀬・永田コンビのベースとドラムを再び堪能することができる。二人のグルーヴが強力な「デカセギ・ブラジレイラ」「帰ろう~埼京線のテーマ~」は、その後バンドを代表するレパートリーとなった。

国内に於いても「アラゲホンジ」や「民謡クルセイダーズ」らと並ぶ「和的なものの再解釈を提示するバンド」として、一部で再認識されはじめたK.P.M.だったが、この頃から海外での活動も盛んになる。
彼らは現在まで、モロッコ、モザンビーク、スワジランド、ガーナ、ポルトガル、スペイン、韓国、そしてアメリカなどのフェスティバルに招聘され、ライブを展開している。日本のバンドとしてはなかなか珍しい活動の拡がり方だろう。

廣瀬は、おそらくこれらの地域を巡る中で、また、個人としては、前述のマラカトゥ活動のためブラジル・ペルナンブーコのスラムにしばしば滞在し、現地の音楽と生活に触れる中で(あるいは単にインターネットの見すぎが原因かもしれないが、いずれにせよ)、地域格差や土着性、インテリジェンス、西欧覇権などのトピックに対するスタンスを、より先鋭化させていったように思う。

『ON SHORE』(2018)


2013年以降、大橋キウイの出産・育児により彼らは、大橋がライブに参加できない際にはサポートボーカリストを招いて演奏するようになる。
サポートは民謡歌手の山本泉、おもだか秋子らが務め、大橋もときどきステージに姿を見せていたが、2016年から参加していた箏奏者/ボーカリストの森川浩恵が正式メンバーとなったことで、大橋は事実上の卒業となった。
以降、森川(vo, 箏)、廣瀬(b)、永田(ds)、大森(g)、Arai(vin)という5人編成が定着することになる。
大橋キウイの高音成分の強い歌声は、サウンド的にもK.P.M.の顔であっただけに、私を含めたファンに喪失感があったのも事実だが、森川はその勘所の良さ、高いミュージシャンシップで、早々にバンドとしての音楽的なコミュニケーションを成立させていった。
メンバー同士がお互いの音を聴きながら相互に盛り立てていくような、ライブでのサウンド構築のあり方、という観点からは、この編成になって以降のK.P.M.が、最も「バンドらしい」と言えるかもしれない。
当初は大橋時代のレパートリーを森川の歌唱で演奏していたが、次第に森川が歌うための新曲もいくつか生まれていった。

EP『ON SHORE』(2018年、マルゑゐ録製)は、『World Wide Locals~』以来7年ぶりにして、森川参加後初となる録音作品だ。

1曲目の「陰謀」は、廣瀬がホーミー的な歌唱を務める、「いかにもヒッピー的性向の人たちが喜んで踊りそうな曲で、陰謀論に染まるヒッピー的性向の人たちを揶揄する」という最高に意地が悪いダンスチューン。続く「会いたい」は、森川の歌を想定して新しく書かれた、前作収録の「会いに行くよ」の続編的な6/8拍子のバラードだ。3曲目の「たつのおやけまで」は、2コードのリフレインによる、カントリーフレイバーのゆるいセッション的チューン。そして最後に、2nd EPにも収録されたツインボーカル時代のレパートリー「あしあと」が、森川のボーカルにより再録されている。

『Kompu Satke Menoko(昆布干し女)』とその他の配信シングル(2022~)


2022年、彼らはアイヌの伝統歌=ウポポの歌い手であるマユンキキ、レクポによる姉妹ユニット「アペトゥンペ」と共に、「アペトゥンペとパパイヤ、マンゴーズ」の名義で、シングル『Kompu Satke Menoko(昆布干し女)』をリリースする。
アイヌ語で歌われるアイヌ伝統歌の、シティポップ調カバーである。

本作のレコ発ライブのMCで、マユンキキは、「本企画の背景のひとつには、アイヌの音楽がしばしばサイケデリックミュージックの素材にされることへの忌避感があった」という趣旨のことを語っていた。
即ち、彼女たちはおそらく、「“トライバル”でトランシーでマジヤベえ」→「よしゃ、ディジュリドゥーとジャンベと共演しない?」「バキバキな感じにリミックスさせて!」のような“再発見・再評価”を再三受けてきて、アイヌ音楽・文化を軽視したその振る舞いに辟易した結果、誠大な逆張りとして、むしろそれらと最も遠そうなシティポップを選んだわけである。

このコンセプトに於いて、廣瀬拓音とマユンキキの思想ないしモチベーションに大きく重なる部分があったのは、想像に難くない。
都市と地方、アイヌと和人、和人の文化的宗主国アメリカという幾重もの関係性を背景に、アメリカ西海岸への憧れと模倣を象徴するシティポップという音楽が世界から「発見」されているタイミングで投じられた、アイヌ曲のシティポップ化という(当事者以外がやったならば暴挙というほかない)劇薬。この入り組んだ批評性と、それに反してただただハッピーな音楽性は、「これぞまさに廣瀬拓音/K.P.M.の仕事」と感じられるものである。
サウンド的には、『八月のさよなら』を彷彿とさせる部分もある。それもそのはずで、本作には当時のメンバー中井雅子が、アレンジに参加しているのだ。

惜しむらくは、発表されたのがシティポップブームの最晩年ともいえるタイミングであり、あと数年早ければ大きな話題となっていたであろうと思う。

その後彼らは今日まで、「大砲節」、「君と見た国後」、「SLASH!」、「Parabéns à Minha Vida」といったいくつかのシングルをデジタルリリースしている。いずれも、複数の展開を持たない、いわゆる「リフ一発」的な楽曲である。コンセプト上の企みは理解できるものの、残念ながら、彼らがこれまで積み上げてきた作品群に匹敵するものとは思えないのが正直なところだ。

活動休止


ここまで、リーダー廣瀬と彼のコンセプトを中心に、K.P.M.の歩みを振り返ってきた。K.P.M.において廣瀬のイニシアチブが大きいのは確かなものの、しかし、永田・大森もオリジナルメンバーであり、彼らもまたバンドの中核を担い続けてきた存在である。彼らと直接K.P.M.のバンド運営について深く話したことはないけれど、二人が、廣瀬の思想やその推移を、苦虫を噛み潰しながら見守ってきた可能性は多いにある。

2024年の夏、K.P.M.の活動休止が発表された。その理由を私は詳しく知らないけれど、私はいままで、K.P.M.に終わりが来ることがもしあるなら、それは廣瀬のモチベーションやインスピレーションの枯渇ではなく、廣瀬と永田の離別によってもたらされるのではないか、と想像していた。
そうでないことを願っている。
廣瀬・永田のセクションは、日本屈指のリズム隊だ。K.P.M.が無くなっても、彼らにはずっと一緒に演奏をしていてほしい。

近年、廣瀬の思想はどんどん先鋭化している。欺瞞的なリベラルや左翼の顔をしたブルジョアへの、憤り・反動が強まりすぎた結果、今日の彼の言動はもはや冷笑系ネット右翼のそれと近くなっており、個人的にもう友人を続けるのは無理かもしれないと思う瞬間も正直少なくない。
しかし私は今まで、作品化された彼の葛藤や問題意識に、心動かされ、共感し、その試行錯誤を面白いと感じ、ずっとウォッチし続けてきたのだ。少なくともその点については、これからもそうあり続けたいと思う。
「音楽の脱植民地化」については、今、むしろ彼の問題意識に世間が追いついてきていると感じる。国内外の多くのミュージシャンが、彼と似たような問題意識を持ち、各自の実践を再考しはじめている。廣瀬にはどうか、安易な反動保守に陥らず、これからもその試行錯誤を続けてほしいと思っている。

そして近い将来、思いっきりアメリカ音楽を演奏する営業仕事に、廣瀬と永田のリズムセクションを誘いたい。廣瀬は案外、それをしっかり楽しむのではないかと思う。


K.P.M.の休止はとても悲しいけれど、メンバーそれぞれの今後の活躍を心から祈念しつつ、いつかまた彼らが、初期衝動的な元気さをもって、新しく面白い何かを一緒に作ってくれる日が来るわずかな可能性にも期待している。

お疲れさまでした。ありがとう、さよなら。

キウイとパパイヤ・マンゴーズ 『活動休止LIVE』
11/17(日)
at 下北沢Basement Bar
開場:12:30 開演:13:00
前売:¥3,500 当日:¥4,000 配信チケット:¥1,800(※配信は12/17までアーカイブ視聴可能)


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