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代わりがきかないこと。
世の中は変わり続ける。
数年前でもなく、1年や2年前にあったけれど、今はもう廃れていることも数知れず。
TVから必要な情報を求めYoutubeへ
支払いが現金からキャッシュレスへ
売買よりシェアの個人間取引(UtoU)
Uberをタクシー代わりに
5年後は、どうなっているんだろう。
代わりがきくのがどうか、というのが分かれ道。
代わりがきくものはどんどん変わっていく。朝、昼、晩と過ぎていくことくらい自然に。
身近な話でいくと
「仕事」において、自分の代わりはいるだろうか?
誰でもできるコトをしているのではないか?
そういった心配、不安、焦燥のようなものが常にある。
記録より記憶に残りたい、なんて某プロ野球選手がいた(結構好きです)
確かに記録的にはトッププロのものではないんだけれど、ちゃんと記憶に残っている。記憶に残ることも代わりがきかないコトだ。他にも記憶に残るプレイヤーはたくさんいる訳だけれど、キャッチーな発言が素晴らしい。
個人で言うと
キャラがたっている、または強いと良くも悪くも印象に残る。もちろん人間的にあわなくても。ちゃんと自分でリスクを受け止めて、自分で生きている。
どうしても職務経験上、店舗における販売の話になるが(約10年経験、自営業5年)個人的な意見としては6割くらいは販売員として代わりがきくんじゃないだろうかと思っている。控えめに言って。
買い物した後の余韻がちゃんとある人って限られている。僕の思う代わりがきかないっていうのは、前提としてモノから入るんだけれど、やはりヒト。と、ヒトの余韻。
ヒトの余韻とは、買ったモノを見ると思い出す、会いに行きたくなることだ。本質的に“売ること”が仕事ではあるが、そこに驚きや発見があって、時間や出来事を共有して繋がれる。きっとモノがないと繋がれない関係なんだろうけれどね。これは代わりがきかないと思う。
(ささやかにちゃんとモノとヒトに向き合っているのは少数派だ)
だけれど、そういうヒトがいるお店が、ずっと続くかって話はまた別。
例えば凄い技術を持っているけれど、、って話はよく聞きますよね。
話が逸れましたが
代わりがきくことは、変わっていくだろうって話。
誰にもできない、自分らしさで生きていきたいものだ。
そんな願望と自分への戒めも含めて
nakabayashi