水筒のなかに
明日は早朝5時に家をでる。
ごく身内だけの神社での式と、親しい友人や上司、同僚だけを招待したレストランでのパーティが終われば、そのまま新居に向かい、新生活が始まる。
地方都市のそのまた郊外の築40数年の実家の2階の部屋は、今やあらかたの荷物が運び出されている。
部屋の真ん中に敷いた客用布団のうえで、わたしは悩んでいた。
「お父さん、お母さん、いままでお世話になりました」というアレ。
アレはみんな、やっているのだろうか。
寝巻きにしているスウェット着ちゃったし、階下の両親が点けているらしいテレビのバラエティー番組に笑う母の声も聞こえている。
何と切り出せばいいのかわからない。でも今晩を逃せば、改まって両親に向かい合うときなど、一生ない気もする。
そもそも親に「ありがとうございました」という言葉、わたし言ったことあったっけ。
「おーい」
首をかしげたとき、ドアの向こうで遠慮がちな父の声がした。
滅多にないことに恐る恐る顔を出すと、水筒をもった父が立っている。
「これ、会場の冷蔵庫に入れてもらって、持って帰ったらどうだ」
「・・・なあに、これ」
「ヨーグルト、ほら、あの」
「ああ・・・」
「持っていくなら、ほら明日早いから、水筒で冷蔵庫入れておくから。このまま忘れないように、な」
父が必ず朝食に出していた手作りヨーグルト。何年も牛乳を継ぎ足して育てているものだ。
(買ったほうが早いって)
(式場に冷蔵庫があるか分からないよ)
いろいろ言いたいことがありすぎて、ぐっと胸がつまり。
「・・・ありがと」
わたしは小声で言う。
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