戦争の防ぎ方 ~熱狂と無関心が死を招く~
地元の北鹿新聞に駄文を投稿しました。「軍靴の足音が近づいている」「きな臭い」と感じている方にご高覧頂きたいと願い、許可を得て本文を転載し注釈のリンクを張るとともに、解説を加えました。
恥ずかしながら「武」と「仏」の道を歩む者の端くれとして、多くの方から学び対話を重ねながら戦争を阻止する方法を考え続けた結果、これから述べる7つの事どもを私たち一人一人が常識と捉え【道徳的選択】を積み重ねて行くことが最善の策なのではないかと思うに至りました。
浅学菲才を省みずここに提案致します。
この拙稿にご賛同いただけましたら、是非お近くの方に思いを伝えてみてください。またご家族で話し合ってみてください。SNSで拡散してください。大館市少林寺拳法協会@shorinjiodateのXポストに返信してみてください。引用リツイートやリポスト、DMでのご意見も大歓迎です。
それは、大きな塊にはならなくても細やかなうねりの起点となるはずです。
非力だけど無力じゃない。
一緒に一歩を踏み出しましょう。
投稿本文
投稿本文(転載テキスト)
戦争は、一般に敵と戦う事のように思われていますが、その本質は支配者が配下に殺し合いを命令(督戦)して敵味方なく人々を不幸のどん底に陥れる行為です。
いまイスラエル政府が、自ら育てたハマスと自国軍(IDF)とを戦わせる事によってガザでの大量虐殺(ジェノサイド)を正当化しようとしていますが、人の命を蔑ろにする卑劣な蛮行に、極めて強い怒りを感じているのは私だけではないでしょう。
少林寺拳法の創始者は、第二次世界大戦を振り返りながら「イデオロギーや宗教や道徳よりも国家や民族の利害の方が優先し、力だけが正義であるかのような、きびしい国際政治の現実を身もって経験した。」と述べています。つまり、自分たちの欲望を満たすためなら人々に殺し合いを強いる事をも厭わない支配者は、意図的に外敵を作りだして督戦するものであるというわけです。「自由」だ「民主主義」だ「法の支配」だなどという大義名分に騙されてはいけません。
ガザ沖にある大量の天然ガスと油田の所有権を、ガザに住むパレスチナ人が主張していました。イスラエルは以前からガザの真ん中を貫く運河の建設も計画しており、英米イスラエル等のシオニスト帝国主義国家が何としてでも奪いたい死活的利益が、ガザにはあるのです。そう考えると、日本を含む十余の国が、ガザなどで人道支援に携わる国連機関(UNRWA)への資金拠出を停止した理由も、推して知るべしと言えるでしょう。たかが資源や権益のために、臆面もなくパレスチナ人を排除する狂気の民族浄化作戦が、あろうことか国際社会の協力のもと着々と展開されているのです。
指導者には高潔な人徳が求められるものですが、煩悩にまみれた幼稚で野蛮な人間がその地位に立てば下々を支配して欲望を満たしたくなるのも当然なのかもしれません。支配を企む者が出現すると、弱さゆえに真っ先に支配されて強者に媚びへつらい弱者を踏み潰す生き方(諂上欺下)を決め込む人が虎の威を借る狐のような従者となって人々を支配抑圧しはじめます。そんな【支配の構図】が、子供のいじめから国際社会に至るまで幾重にも広がっている事を、私たちは誰もが肌で感じているのではないでしょうか。戦争を体験した多くの先人たちもまた、この【支配の構図】を身に沁みて感じたからこそ、国家権力の横暴によって日本国民が奴隷化されないようにと願い主権在民の平和憲法を制定したのでしょう。
先日、伊藤忠商事がイスラエルの軍事企業との協業を取りやめると発表しました。従業員や市民が声を上げたことにより、この世界的大企業が経営方針を転換させたのです。上からの圧力に忖度し自らの良心に蓋をしてきた人たちが、【道徳的選択】をして【支配の構図】に抗い圧力をはねのけたと言ってもいいでしょう。
宇露戦争以降、「専門家」と称する御用学者がメディアを賑わせ、「抑止論」をまくしたてながらさかんに煽り続けています。抑止の理屈は脅し合いですから、軍拡競争の挙句に暴発する事が必然の屁理屈であり、核戦争による人類滅亡への道を開く危険思想です。頭の良い彼らが、「人殺しの道具を増やせば平和になる」などと本気で考えているとは思えません。彼らもまた弱者であればこそ、自らの生活や立場を守るために体制(督戦)側に忖度しているのでしょう。
そうであるならば、私たち市民がみんなで「殺し合いは嫌だ! 【道徳的選択】をせよ!」と声を上げれば、諂上欺下を決め込み従者となっている人たちの良心を呼び覚ます事が出来るのではないでしょうか。弱者は風見鶏ですから、民衆の側に立った方が安泰だと感じれば改心するかもしれません。
ところで、政府は大軍拡に必死であるにもかかわらず、自衛官は減少の一途をたどっています。誰だって殺し合いなどしたくないのですから当然でしょう。
「兵士には、違法な命令や人道に反する命令には従わない義務と権利がある」とされていますが、戦場でその抗命権を主張して銃を置くという【道徳的選択】ができる人はさほど多くいないでしょう。そもそも殺し合い(戦争)自体が非道徳的な行いです。ならば、「殺し合いをしたくない」と考えている現役の自衛官が、平時のうちに職を辞して帰って来られる環境をこの北鹿地域に整備しようではありませんか。災害などの現場で活躍した強くて優しい人たちを温かく迎え入れて、仕事に就いてもらいましょう。これまで三度も兵役逃れをしている大統領が女性や老人から病人に至るまで誰彼構わず徴兵しているウクライナを見るまでもなく、督戦側がどんなに兵器を買い揃えても、それを運用する兵士がいなければ戦争はできないのですから。
プロパガンダに踊らされた宇露戦争の【熱狂】と、意図的に目を逸らされているガザへの【無関心】が、結果的におびただしい人々の死を招いています。宇宙の全てが関連性によって成り立っている以上、この事実を前にして私もその責任の一端を感じずにはいられません。差別なく命を守るために、日本の主権者である私たち一人一人が、「人殺しに加担したり戦争の準備をしたりせず、すべての紛争を対話で解決せよ」と国家運営を委ね権力を与えている人たちに対して平和的に訴えることが求められているのではないでしょうか。彼らもまたより大きな【支配の構図】における従者でしょうから、国民の声を受けて改心し支配者に抗う【道徳的選択】の力を得るかもしれません。
「熱い心と冷たい頭」で【熱狂】と【無関心】を排し、誰も敵とみなさず全ての人に敬意を払い自他を共に尊重する多様で寛容な共生社会を目指して、人類が末永く繁栄する礎を築きませんか。子や孫らのために、微力ではあっても無力ではない私たち市民が勇気をもって数の力を活用し、人類滅亡への愚かな歩みを止める責任を果たしてまいりましょう。
解説
7つの常識
2022年2月に始まったとされている宇露戦争について、同年4月に停戦の期待と無念をつづった駄文を北鹿新聞に投稿しnoteに転載したところ、道場に通っている小学生の拳士が感想を聞かせてくれました。
「最初はロシアをやっつけるためにウクライナに武器をいっぱい送ってあげたいと思ったけど、それじゃあ戦争がひどくなって人がいっぱい死んじゃうから、ダメだよね。」と。
報道は「人の死」を「数字」に変えますが、その子は自分自身や親類縁者が巻き込まれる状況を想像したのではないでしょうか。「人の死」を他人事として見ていないからこそ、「どちらが良いの悪いのと言っている場合ではない」と気づいたのだと思います。
また、ある時、小学生拳士が対話していました。
「戦争なんか早くやめて欲しい」
「戦争をすると決めた人同士が、誰もいないところでやればいいんだよ」
「関係ない人を巻き込まないで欲しい」
「その人たちだけでやって、みんな死んじゃえばいい」
「それじゃかわいそうだから、最後は牢屋に入ればいい」
この子たちも同じように、巻き込まれる人たちに共感しています。そして、支配者が安全地帯で高みの見物を決め込み「配下に殺し合いを命令(督戦)して敵味方なく人々を不幸のどん底に陥れる」という【戦争の本質】を、見事に言い当てているのです。
ここに、YouTube「戦争のつくりかた」アニメーションプロジェクトで流れているナレーションの一部を紹介します。
私たち大人は、ついつい理屈を優先して感性を抑え込もうとしてしまうのかもしれません。けれどもその依って立つ理屈は、悪意をもったプロパガンダによって無意識のうちに導き出されているものなのではないでしょうか。
タヴィストック人間関係研究所について著したジョン・コールマンが、「報道の手法は、嘘であると認識できないように事実とフィクションを巧みに組み合わせて衝撃を与え恐怖を煽る」と解説しています。武道家は常々実感していますが、恐怖を覚えると多くの人が思考停止に陥ります。その隙をついて洗脳するのがプロパガンダの目的なのでしょう。もしも洗脳された結果「敵基地攻撃能力」を発揮して先制攻撃をしてしまったら、真珠湾攻撃や湾岸戦争、宇露戦争やガザ・ジェノサイドと同様、「先に手を出した奴が悪い」との理屈によって日本は大多数の国を敵に回してしまいます。
令和5年版防衛白書の冒頭、浜田防衛大臣が「相手に対して『日本を攻めても目標を達成できない』と思わせることが不可欠です。」と抑止の屁理屈を述べています。それが米国に従属しての事であっても、米国から独立した(とみせかけられた)軍隊になったとしても、果たしてそこまで強力な軍事力を持つ必要があるのでしょうか。そもそも日本を攻めようとしている相手が本当にいると思いますか。プロパガンダによってそう思いこまされているだけなのではないでしょうか。
一度、感性に従って素直に戦争を見つめてみませんか。【戦争の本質】など本文で述べた事どもを皆様に【常識】であると感じて頂けたらと願い、私が思う7つの常識をここに整理してみます。
7つの常識
【戦争の本質】「戦争は、一般に敵と戦う事のように思われていますが、その本質は支配者が配下に殺し合いを命令(督戦)して敵味方なく人々を不幸のどん底に陥れる行為です。」
【ジェノサイドの目的】「ガザでのジェノサイドは、支配者が資源を奪い権益を得る事を目的に行われています。」
【支配者の本性】「欲望を満たすためなら人々に殺し合いを強いる事も厭わない支配者は、意図的に外敵を作りだして督戦するものです。」
【支配の構図】「支配を企む人が出現すると、弱さゆえに真っ先に支配されて強者に媚びへつらい弱者を踏み潰す生き方(諂上欺下)を決め込む人が虎の威を借る狐のような従者となって人々を支配抑圧します。」
【支配の頂点】「【支配の構図】は幾重にもフラクタル(相似形)に広がっているため、右も左も、西も東も北も南も、支配者をたどっていけば世界規模の【支配の構図】が一つに繋がります。」
【日本国憲法の意義】「日本国憲法は【支配の構図】によって国民が奴隷化される事を防ぐために制定されました。憲法は、主権者である国民を国家権力の横暴から守るためにこそあり、『国民の人権を守ること(97条)』、『憲法に反するあらゆる法は無効になること(98条)』、『憲法に従うのは国民ではなく国家権力であること(99条)』の三つ(第10章最高法規)を大原則としています。」
【道徳的選択】「たとえ支配を企む人が現れたとしても、支配される人がいなければ抑圧される人は生まれません。誰も敵とみなさず全ての人に敬意を払い自他を共に尊重する【道徳的選択】をして、みんなが是々非々を貫くことができれば、支配の構図はもろくも崩れ去るのです。」
野蛮で卑劣な殺戮と破壊に過ぎない「戦争」というものは、「自衛のためなら仕方がない」などとする理屈を言う前に素直に感性を働かせて理性的に考えれば、誰もが「非道徳的行為」であるとして拒絶するはずのものです。「殺し合いの先に幸せがある」などと期待する人は、【支配者の本性】をもつ狂人と「自分は安泰だ」と勘違いして諂上欺下を決め込む従者を除いては、おそらく一人もいないでしょう。
けれども、真っ先に支配されて諂上欺下を決め込み督戦している破廉恥な弱者は、洗脳されて殺人マシーンと化しているイスラエルの軍人や、アメリカに言われるまま動いている国家指導者、あるいは彼らの下で忖度してる人たちばかりではありません。
ウクライナに【熱狂】し火に油を注ぐことを許したり、ガザでのジェノサイドに【無関心】であるが故に結果的に黙認したと捉えられたりしている私たち市民一人一人が、既に【支配の構図】にからめとられ弱者を踏み潰す側に回っていて、その結果おびただしい人の死を招いているのだという現実をしっかりと見つめ、反省する事が必要なのではないでしょうか。
そのうえで、私たち一人一人が自らの行動に責任をもって【道徳的選択】をしていこうではありませんか。
【道徳的選択】
政治も経済も軍事も教育も、全ての事は人によって行われています。
その立場にある人の考え方次第で良くも悪くも変わるのです。
宇宙が関係性によって成り立っている以上、一人一人の一挙手一投足が巡り巡って宇宙全体に影響します。
相手が強大であるからといって諦める必要はありません。
すべては人にあるのですから、一人一人が【道徳的選択】をすれば世界は必ず変えられるでしょう。
戦争を防ぐために自衛官退職帰郷キャンペーンをはじめませんか
とはいえ、安保3文書の改定等によって戦争準備を着々と進めている政府に対して、正面から「戦争反対」と叫んでもさしたる成果は出てこないでしょう。であるならば、まずは最前線で殺し合いを命じられる自衛官を減らしていくことによって、実質的に戦争をすることができない国にしませんか。
軍拡競争が緊張を高めるのと反対に、軍縮の流れは緊張を緩めます。純粋な国防策として考えても、敵うはずのない複数の大国相手に軍拡競争を挑むより、軍縮をして平和的な対話を求める事の方が、はるかに合理的でしょう。
私達市民の力で軍備増強を止めることが難しいのなら、兵器を運用する人を減らしましょう。それは、私たち自身がそうすると決めれば必ず成し遂げられることなのですから。
本来、軍人は平和主義者であるのが当然です。部下に殺し合いを命じなければならない人たちの苦悩は計り知れないものでしょう。防衛庁(当時)から内閣官房副長官補として官邸に入り自衛隊をイラクに派遣した柳澤協二氏は、次のように述べています。
自衛隊は国家のために働きます。「国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、国を防衛する」のであって、国民を守るために働くのではありません。それは自衛隊法に明記されています。
国を守ることが国民を守る事につながるという理屈もありますが、目的が国を守る事である以上国民を守る事は二の次となり、先の大戦時と同じように「お国のために命を捧げる」という考え方が大勢となる可能性があるのです。ましてや、戦争をさせたい支配者は、「国のために国民がいる」と思っています。
因みにイスラエルでは、「国のために死ぬのは素晴らしい」と教えているそうです。
自衛官は、「事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います。」と服務にあたって宣誓します。倫理行動基準には、「自衛隊員は、国民全体の奉仕者であり、国民の一部に対してのみの奉仕者ではないことを自覚し、」ともありますが、いざ戦争となれば、自衛官は、「国のために国民がいる」と思っている支配者のためだけに命がけで奉仕する奴隷となってしまうのです。
「殺し合い」の先にある「被害の苦悩」はとてつもなく大きなものですが、「加害の苦悩」も強烈です。国民のために国を守りたいと願い、誇り高く使命感をもって日々訓練に励んでいる純粋な国士に、そんなつらい思いをさせて良いのでしょうか。
平時のうちに、自ら【道徳的選択】をし「殺し合いに参加しない」と決めて職を辞する自衛官を、「非国民」と罵るのではなくすすんで暖かく地域に迎え入れませんか。
そのための仕組みを作りましょう。
企画書 https://1drv.ms/p/s!AqCpCuiK-geklwZ7hzulSuroPbez?e=jbZcwy
とても嬉しい話を聞きました。
今ソマリア沖に派遣されている艦隊に所属していた海自隊員の一人(知り合いの家族)が、派遣を通知された後、日本出港前に退職できたそうです。
彼の同期は、彼よりも早く退職したそうです。
この嬉しい話を聞いて、涙が止まりませんでした。
殺し合いに参加したくないと考える自衛官が【道徳的選択】をする流れが、確実に生まれています。
自衛官の皆さん! ぜひ彼らの後に続いてください!!
経営者に【道徳的選択】を求めましょう
企業の経営環境が悪化している中、軍需産業を育成するために政府は様々な助成策を打ち出しています。そのため、多くの企業経営者が「背に腹は代えられぬ」と、人殺しの道具を作ってでも利益を上げるべきかどうか本気で悩み始めています。
経営者が他人の犠牲を前提とした利益に目をくらませることのないように「【道徳的選択】をして!」と、ステークホルダーみんなで求めていくことが必要なのではないでしょうか。
伊藤忠での成功を次につなげましょう。
専門家やジャーナリスト等に【道徳的選択】を要求しましょう
このところ政府は、先の大戦の反省から軍事につながる研究を拒否している「日本学術会議」に介入したり、「福島国際研究教育機構」という軍事研究のための機関を設立したりして戦時体制を整えようとしています。
そんな支配者側に忖度して自らの良心に蓋をする弱者ばかりがメディアを賑わせていますが、矜持と信念を貫いている素晴らしい学者やジャーナリストたちも確かに存在します。
一人でも多くの専門家やジャーナリスト等が【道徳的選択】をして真実を伝えるようになって欲しいものです。
なお、私は選挙に期待をしていません。イギリスもフランスもアメリカも、そしてもちろん日本も、右から左まで役者になって支配者の言いなりに動いている人がほとんどなのですから。
また、だからこそ政治家一人一人に対して【道徳的選択】を求めることが必要であるとも考えています。
家族から【道徳的選択】を迫られたら立場にある人が変わるかも
人間は、守るべきものが生じると強くなることもあれば弱くなることもあるでしょう。けれども、守りたいものに執着すると苦悩が生じ、かえって弱くなることの方が多いのかもしれません。
立場や生活のために自らの良心に蓋をしている人たちは、愛する家族を守るために必死になっているというケースが案外多いのではないでしょうか。
そうであるならば、もしも愛する家族から【道徳的選択】を迫られたら、為政者も官僚も専門家もジャーナリストも、誰もがみんな良心を取り戻すのではないかという希望が湧いてきます。
メディアや集会等を活用して【道徳的選択】を訴えませんか
同調圧力の高い日本での意思決定は、選択肢の中から主体的に【道徳的選択】をする事よりも、空気を読んで大勢に従うという事の方が圧倒的に多いでしょう。おそらく伊藤忠も含めて。
多くのメディアが良心に蓋をしてブラック・プロパガンダを大量に流布し戦争に突き進もうとする空気を醸成している今だからこそ、7つの常識をもった人たちが、それぞれに、様々なメディアであるいは集会でどんどん発信していくことが大切なのだろうと思います。
そうすることで徐々に空気が変わってくれば、指導的立場にいる人の家族も、社会の目が気になり【道徳的選択】を迫ろうという思いに駆られるのではないでしょうか。
とはいえ、日本の市民社会が今後もずっと空気を読んで同調圧力に従うだけでいたのでは意味がありません。これを機会に、「世間の大勢がどうであろうと、自らの意思で【道徳的選択】をする」という人が増えることを願っています。
BDSムーブメントに参加しませんか
長い間アパルトヘイト政策に苦しみ支配抑圧されてきた人々と彼らに味方する人たちが、已むに已まれぬ心情から武力を用いた抵抗運動を行っています。暴力的な闘争では結果的に被害が拡大するばかりですが、これまで国際社会や市民社会が支配の構図に怯えて見て見ぬふりを続けてきたことによってそこまで追いつめられてしまったのですから、私たちに彼らを批判する資格はないでしょう。
支配者は、民衆が一致して数の力をもつことを何より恐れていますから、抵抗闘争や抵抗運動を利用し差別意識に働きかけて分断工作を図ります。純粋な抵抗者の思いが結局悪用され、抑圧されている人同士の争いに転換させられてしまうのです。分断工作が成功すれば、支配者に目が向くこともなく高みの見物を決め込めるわけです。同様の理由から、急進的・暴力的なデモも危険であるといえるでしょう。
であればこそ、平和的な手段で、彼らに味方する具体的な行動(BDS)を始めませんか。
日本で行われている様々なBDS活動を紹介しているサイトもあります。
上のYouTube動画は、必見「October 7 | Al Jazeera Investigations」です。
なお、イスラエルの製品は、バーコードの上3桁が「729」と表示されています。「729(なにくそ)イスラエル」と覚えてください。
おわりに
全ての人が納得ずくで、希望をもって楽しみながら【道徳的選択】のもとあくまで平和的に、出来ることをできる時に行うことによって、「誰も敵とみなさず全ての人に敬意を払い自他を共に尊重する多様で寛容な共生社会」を築きたいと願っています。
市民社会が分断されずに数の力を発揮できれば、必ず成し遂げられると信じています。
平和で豊かな地球を子や孫の世代に残してあげるために、是非とも一緒に歩き始めましょう。
「殺し合いに加担するのは嫌だ!」
「奴隷にされてたまるか!」
「このままでは駄目だ!」
【道徳的選択】を!!
リンクした注釈資料一覧
人殺しに加担するアメリカ(それに追従する日本)
#道徳的選択
#MoralChoice
#NOシオニスト帝国主義
#NOZionistImperialism
#BDSMovement
#ガザ大虐殺をやめろ
#StopGazaGenocideNOW
#CeasefireForGazaNOW
#IsraelTerrorist
#WarCrimesBylsrael