【道徳的選択】 (Moral Choice)
誰も敵とみなさず、全ての人に敬意を払い、自他を共に尊重して多様で寛容な共生社会を志向する以外に人類が永く繁栄する道はないと、21世紀の今、殆どの人が気づいたはずです。
生物多様性の重要性を知れば食物連鎖ピラミッドの頂点が支配の頂点を意味しているのではないと分かるはずなのに、世界支配を企み王政復古を目指す支配者たちは、「今だけ、金だけ、自分だけ」の為に欲望を燃やす諂上欺下の従者たちを意のままに動かして世界中を幼稚で野蛮な狂気に包み込み、支配者にとってのユートピア(それはつまり私たち市民にとってのディストピアですが)を建設しようとなりふり構わず猛進しています。
けれども、支配される人がいなければ支配の構図は成り立ちません。
であるならば、私たち一人一人が【道徳的選択】を心がけていくことによって支配の構図は崩れ、平和で豊かな理想世界を実現させることができるはずです。
なお、「道徳」という言葉には本質的な危うさがありますので、念のため補足しておきます。
「道徳」や「倫理」は時の為政者が、庶民を支配するために都合よく利用するものでもあります。
「道徳」には儒教的意味合いも強く、社会性のために個を抑制するような意図をも含んでいます。
そのため、曲解すれば、家父長制や滅私奉公にも繋がり、明治以降の近代国家作りの根底にあった思想とも一部でリンクしてしまいます。
とはいえ、「道徳」を素直に善意でとらえれば、まさに「誰も敵とみなさず、全ての人に敬意を払い、自他を共に尊重した多様で寛容な共生社会を志向する事」と言えるでしょう。金剛禅の開祖(少林寺拳法の創始者)である宗 道臣(そう どうしん)は、「半ばは自己の幸せを 半ばは他人の幸せを」と表現しました。
そんな「自他共楽」「自他共生」「共存共栄」を志向した意思決定"Moral Choice"こそが、【道徳的選択】という言葉の意味するところです。
誰かの犠牲の上に成り立つ幸福を求めたり、見て見ぬふりをしたり、誰かに支配されたり忖度したり、そして殺し合いをしたり、あるいは殺し合いをしているどちらかを応援したりする等といった非道徳的な選択肢を全て排して、一人一人が誇りと希望を胸に、是々非々を貫く勇気をもって【道徳的選択】を心がけることによって、差別なく全ての人が尊重される本当のユートピアを目指しませんか。