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「年齢=人生のプレイ時間」ならば、どれくらい自分を生きてきたのか
僕にはあり方を教わった「人生の師」と呼べる人がいる。
師は21歳年上で、自分らしく生きていて、
ちょっとダメなところがあって、人間臭さがあり、とても魅力的な人だ。
年齢が離れている僕のこともリスペクトしてくれて、
常に何かを学ぼうとする姿勢にいつも感銘を受ける。
ひねくれものの僕が心の底から尊敬できる数少ない大人である。
まだ僕が20代の頃、
そんな師と食事をしているときに年齢の話になった。
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「年齢という数字はね。気にしたってあまり意味がないんだよ。」
「ゲームでプレイ時間ってあるでしょ?」
「年齢は謂わば、人生におけるプレイ時間みたいなものだから。」
「そのプレイ時間の中で、何をしてきたのかが大事なんだ。」
「ちゃんと自分らしく生きることができているのか。」
「自分を殺して、やりたいこともやらずに、
自分を生きずに死んでいく人だっている。」
「だから僕は年齢よりもその人がどう生きてきたかを見ているんだ。」
師の話を聞きながら
「年上だからという理由だけで威張っている大人は
プレイ時間をアピールしているからダサくみえるんだなー
そんな大人にはならないようにしないと」
なんてことを考えていた。
師は話を続ける
「僕はね。”自分”を生き始めたのが遅かったんだよ。」
「30代になってから本当に自分がやりたいことをやり始めた。」
「自分を生きた年齢としては、まだ成人にもなっていないんだよ。」
「だから子どもの頃から自分を生きている紹太くんをリスペクトしているんだ。」
「自分を生きるという意味では紹太くんの方がだいぶ年上だね。」
尊敬している師から
リスペクトされていることを
直接伝えてもらえたことが照れくさく、
純粋に嬉しかった。
そして、さらっと僕のことを上だと
言えてしまう師の懐の深さにただただ驚いた。
師とはいろんな会話をしているが
「年齢=人生のプレイ時間」の話は
特に強く印象に残っている。
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寝つけない夜にベッドの中でこの会話を思い出してしまい、
文章にまとめていると外はもう明るくなり始めていた…
「果たして僕は自分らしく生き続けられているのだろうか?」
常に自問自答しながら
今日もまた1日を大切に生きていこうと思う。
そして、自分らしく生きようとしている人を見つけた時、
協力することのできる人間であろう。