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『ベスト・オブ・キャプテン・アメリカ』刊行記念! キャップの本質とは何なのか?

キャプテン・アメリカの本質に迫ったエピソードを選りすぐってまとめた単行本『ベスト・オブ・キャプテン・アメリカ』が、7月21日頃に発売されます。今回はそれを記念して、本書の翻訳者であり、構成も担当している石川裕人氏による解説記事をお届けします。第二次世界大戦前夜に「反ナチス・ドイツの超人兵士」として誕生したキャップは、なぜ時代や国境をも超えたスーパーヒーローとして愛されるようになったのでしょうか?

文:石川裕人(アメコミ翻訳者)

『ベスト・オブ・キャプテン・アメリカ』
※電子書籍も同時発売

※本記事は『ベスト・オブ・キャプテン・アメリカ』に付属している解説書の一部を抜粋し、編集部で再構成したものです。

マーベル・ヒーローを広く世に知らしめる契機となった、2008年の『アイアンマン』に始まるマーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)。先の小社刊『ベスト・オブ・アイアンマン』では、MCUの主人公ともいうべきアイアンマン/トニー・スタークのキャラクターが確立される様を、コミック版トニー・スタークの変遷に焦点を当てて構成したが、本書『ベスト・オブ・キャプテン・アメリカ』では、その手法は使えなかった。なぜなら、時代と共に様々に変化してきたアイアンマンに対し、キャプテン・アメリカというキャラクターの本質は、1941年の誕生以来、大きく変化してはいないからだ。

個人の自由の尊厳を重んじ、その実現のためには如何なる犠牲も厭わない。キャプテン・アメリカは、そんなアメリカ人の理想を体現する存在として、第二次世界大戦前夜に誕生した。まだアメリカが参戦していない時分に、原作者のジョー・サイモンとジャック・カービーは、ヨーロッパの同胞であるユダヤ人を迫害するナチス・ドイツへの怒りを、決然と立ったキャプテン・アメリカに込めたのだ。

キャプテン・アメリカが初登場した
『キャプテン・アメリカ・コミックス』#1(3/1941)

以来、朝鮮戦争、ベトナム戦争と、キャプテン・アメリカは常にアメリカの戦争と共にあったが、アメリカ人の理想像としてのキャプテン・アメリカに変化はなかった。いつでも彼は万人の自由と理想を尊重し、その実現に我が身を捧げる存在だった。変化したのは、時代そのものである。敵襲に応戦する“正義”の戦争とされた朝鮮戦争までの戦いはともかく、キャプテンの復活と共に本格化したベトナム戦争は、大義の見えぬまま、世界的な反戦運動を招くに至り、アメリカの伝統的価値観は大きく揺らいだ。キャプテン・アメリカそのものに変化はなくとも、彼を取り巻く社会に変化があったのだ。

また、60年代から80年代のアメリカでは、国論を二分する戦争をきっかけに、人種問題、貧富の差など様々な社会問題が表面化し、社会は混沌の度合いを増していた。この時代、パニッシャーのようなビジランテが脚光を浴びたのも、荒んだ世相ゆえだろう。そして、キャプテン・アメリカもまた、否が応でも社会に向き合う事を余儀なくされる。アメリカの理想、社会、政治が同じ方向を向いていた時代に生まれた彼は、それぞれがする時代にあって、自らが仕えるべき相手を選ばねばならなくなったのだ。

反ナチス・ドイツ、あるいは合衆国政府のシンボルとして誕生したキャップだが、時代の変化と共に彼はアメリカン・ドリームのシンボルとして認識されるようになっていった

以上のような状況の変化を踏まえ、本書では、複雑化する社会問題とキャプテン・アメリカの関わりを軸にストーリーを選出した。本書で描かれるアメリカの理想と過酷な“現実”のギャップは、21世紀の分断されたアメリカを見るようであり、実情は40年も前から変わっていないのだと実感させられる。穿った見方をすれば、キャプテン・アメリカが掲げた理想は問題解決に何ら寄与していないとも言えるだろうし、昨今の混迷ぶりからすれば、問題はさらに悪化している感すらある。それでも、キャプテン・アメリカにはこういった問題を受け止める度量が期待され、だからこそのアメリカの象徴でもある。民族、宗教、価値観など千差万別の国民を星条旗が繋ぎ止めているように、理想を掲げ続けるシンボルもまた必要なのだ。数あるマーベルヒーローのなかでキャプテン・アメリカが特別な地位を保っているのは、その存在意義ゆえではないだろうか。

街を放火して回るテロリストグループと対決するキャップ。彼らが言うような「マイノリティが優遇され、マジョリティが割を食っている」という主張は今なお聞かれ、深刻な分断を生んでいる

以下は、本書に収録した各エピソードの簡単な紹介である。

『キャプテン・アメリカ・コミックス』#1(3/1941)
実に80年以上前に刊行された、キャプテン・アメリカの初登場エピソード。あらすじなど基本的な要素は現在も変わりはないが、スティーブ・ロジャース自身の描写は意外と少ない(“改造”前はひと言も発していない)。当時のコミックスは現在の倍の総64ページだったものの、複数の作品を混載するアンソロジー形式だったため、このオリジンエピソードも8ページと短い。また、印刷技術の制限で使える色数が少ないため、どぎつい原色が縦横に行き交う誌面もこの時代ならでは。

『キャプテン・アメリカ』Vol.1 #109(1/1969)

1964年に『アベンジャーズ』#1で復活して以降、改めて発表されたオリジンストーリー。作画は1話目と同じジャック・カービーであるものの、「コップを見てもカービーの作とわかる」ほどの特徴的なカービータッチが完成されており、もはや別人の作品に思える。ライターは全盛期のスタン・リーで、スティーブが危険な人体実験に挑むまでの心情、そしておよそ30年前の日々を独り振り返る郷愁など、細やかな人物描写が盛り込まれ、マーベルが躍進した時代の充実ぶりを実感できる。

『キャプテン・アメリカ』Vol.1 #155(11/1972)

1941年にデビューしたキャプテン・アメリカは、ヒーローコミックの衰退と共に人気が低迷し、1949年を最後に誌面から姿を消してしまったのだが、1953年から1954年にかけての短期間、“赤狩り”の時代に合わせ、反共産主義者として活躍した過去がある。1964年にキャップを復活させたマーベルは、彼は大戦末期に行方不明になり、約20年後の現代(1964年)に蘇ったと、50年代の活躍をなかったことにしたのだが、このある種の“タブー”に触れたのが本エピソードである。野心的な作風で知られるスティーブ・イングルハートがこの難問をどう料理したか、キャプテン・アメリカというキャラクター、引いてはアメリカの本質を問う注目の一作である。

『キャプテン・アメリカ』Vol.1 #246(6/1980)

自らの時代から取り残されてしまったゆえに、キャプテン・アメリカの物語にはスパイダーマンのような“日常”が欠けていたのだが、方針転換の一環だったのか、1979年から職業(広告アーティスト)を持ち、市井の人々に混じって暮らし始めた。そんな時代の一作で、地球の命運や危機などとは無縁な、ある過程を襲った不幸に向き合う姿が描かれる。決して派手ではないものの、こうした“リアル”な問題を取り上げられるほど、読者層の年齢が上がってきたことの証左と言えるだろう。

『キャプテン・アメリカ』Vol.1 #250(10/1980)

大統領選挙の年を反映して、キャプテン・アメリカの大統領選出馬を巡る喧騒を描くエピソード。些細な事件をきっかけに、ある小政党の候補者に祭り上げられてしまったキャップ。誰からも愛されるヒーローの出馬に世論は歓迎ムードで盛り上がるが、キャップ本人は大統領に求められる資質、自らに課せられた使命など様々な問題に思い悩む。そして彼は出した結論は……。アーティストは、80年代のコミックスシーンに君臨したジョン・バーン。ストーリー的にアクションシーンは少ないものの、多彩な人物描写で読者を飽きさせないのはさすが。

『マーベルファンファーレ』Vol.1 #18(1/1985)

“大人”のファンに向け、高品質・高価格を謳った『マーベルファンファーレ』誌の一篇。持つ者と持たざる者、社会的弱者同士の対立と、現代にそのまま通じるテーマが描かれる。安易な解決策などあり得ない問題だけにキャプテンもまた無力でしかないのだが、それでも前を向こうとする姿勢がキャプテン・アメリカの存在意義でもある。アーティストは『バットマン:ダークナイト・リターンズ』(小社刊『DARK KNIGHT バットマン:ダークナイト』収録)で知られるフランク・ミラー。時期的に同作の直前に描かれた作品であり、その片鱗がうかがえる。

『キャプテン・アメリカ』Vol.1 #332(8/1987)

米陸軍の実験で誕生したキャプテン・アメリカに対して合衆国政府がその所有権を主張するという、彼が忠誠を捧げるべき政府が、建国の理念から乖離してしまっていることを示す問題作。当時のX-MEN人気に対抗するため、スパイダーマン、アイアンマンなどの有名ヒーローは話題性の高いコスチュームチェンジを実施したが、本シリーズでは単なる“衣替え”に留まらない、キャプテン・アメリカの存在そのものを問う内容となっている。

石川裕人
翻訳家。1993年よりアメコミの邦訳に関わり、数多くの作品の翻訳・プロデュースを手がけている。

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