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【おしえて!キャプテン】#8 大注目のマーベルヒーロー シャン・チーのルーツを探る!【前編】
アメコミを深掘りする連載コラム。今回は8/26発売の新刊『シャン・チー:ブラザーズ・アンド・シスターズ』の解説から溢れてしまった部分「シャン・チーの父親について」を中心に再編集した内容でお送りします(元が解説用の原稿ため普段とは文体が異なりますが、ご容赦ください)。まずはシャン・チーが初登場した記念すべきストーリーの紹介から始めましょう!
▲8/26発売の新刊『シャン・チー:ブラザーズ・アンド・シスターズ』。兄妹達を守るため、最強のヒーローが立ち上がる!
▲9月3日公開の映画『シャン・チー/テン・リングスの伝説』でも、シャン・チーと父親の因縁が描かれることが示唆されている。
1973年、シャン・チー初登場
……どことも知れない地下要塞の中、赤い道着を着た青年が、5人の武術家を相手に徒手空拳で戦っている。青年は武術家たちを次々と倒していくが、最後に残った相撲の力士は青年に対して言い放つ。
「混血の愚か者め! 貴様の技がいかに優れていようが、我が主人フー・マンチュー様へ辿り着かせはせぬ!」
青年は答える。
「愚かなのはお前だ。私こそはフー・マンチューの息子、シャン・チー!」
シャンチーは思い出す。19年間の人生をフー・マンチューの河南離宮での修行で費やして、ついに外界に出る日が来た時のことを。父フー・マンチューは彼に、イギリスへと赴きピートリーなる老医師を暗殺するよう命じたのだ。殺人は今まで受けてきた哲学の教えに反するが、父を信じるシャン・チーはロンドンへと赴き任務を遂行した。だが、ベッドで眠る老人ピートリーを殺害した直後、車椅子に乗った老人ネイランド・スミスが彼に銃を向ける。シャン・チーは彼の銃を蹴り飛ばすが、悪人と信じていたピートリーのために涙を流すスミスを見て、疑問を抱く。問いただすシャン・チーに対して、スミスは真実を明かした。シャン・チーの尊敬する父、フー・マンチューは世界の闇で暗躍する悪の秘密結社の首領であり、ピートリーとスミスは彼を相手に戦ってきたのだと。困惑したシャン・チーはアメリカ出身の白人である母親の元に赴き、彼女の話を聞いてスミスの言葉に確信を抱いたのであった。
こうして、フー・マンチューとの対決を決めた経緯を思い返したシャン・チーは、力士を倒して父の邪悪な研究室へと入り込む。父フー・マンチュー本人の口からその野望を知ったシャン・チーは、決別を告げて父の前を去った。フー・マンチューは今後は戦いになることを告げて息子を見送る。そして、謎の地下要塞を出たシャン・チーは現代のニューヨークに足を踏み入れていた。フー・マンチューはニューヨークの地下に古代中国を模した秘密基地を構えていたのである。父の送り込む刺客と戦いながら異文化の世界をさまよう、シャン・チーの冒険がここに始まった……。
こうして、シャン・チーは1973年の『スペシャル・マーベル・エディション』#15で誕生した。しかし、その物語の登場人物の多くは、元々はマーベル世界の住人ではない。老医師ピートリー、イギリスの官僚ネイランド・スミス、そしてフー・マンチューの3名は、20世紀初頭の探偵小説シリーズから導入された。特に、文化史上で巨大な存在感を放つのが"東洋の怪人"フー・マンチューである。
悪魔博士フー・マンチュー
フー・マンチューは、1913年に英国の小説家サックス・ローマーによって発表された探偵小説『The Mystery of Dr.Fu Manchu』/邦題『怪人フー・マンチュー』(早川書房刊)で登場した大悪役で、西洋文明を転覆させようと企む悪の天才である 。毒や罠を始めた様々な暗殺技術に長け、シー・ファンと呼ばれる絶対の忠誠を誓う部下達を使って世界征服を企み、ロンドンの中華街ライムハウスで陰謀をたくらんでいるとされる。初期のフー・マンチュー小説は、イギリスの官僚兼スパイのネイランド・スミスと、相棒かつ語り手のピートリー医師が主人公側となり、フー・マンチューの繰り出す様々な陰謀と暗殺事件の謎を追う内容であった。シリーズ途中からはフー・マンチューの娘ファー・ロー・スイも登場し、その世界を広げて十数冊に及ぶシリーズとなっている。ネイランド・スミスとピートリーの関係は名探偵シャーロック・ホームズとワトスン医師の関係に近く、またフー・マンチューの起こす事件もホームズ物に近い怪奇さがあるが、展開が非常にスピーディーであること、そして非常にキャラ立ちが強いフー・マンチューが人気を呼んだと思われる。
一方でアジア人に対する人種偏見を助長する内容でもあるが、これについてはシャン・チーに付きまとうテーマにも関わるので後述する。日本語のWikipediaでは、元は北京に住む篤実な医師だったが、義和団事件で家族を失って復讐鬼と化したとされている。しかし『怪人フー・マンチュー』の内容を読むに、これは1929年の映画版の設定と混同していると思われる。
欧米では19世紀から、アジア人に対する恐怖と蔑視を煽る、いわゆる黄禍論が台頭し始めていたが、1900年の義和団事件はこれを一層強化することになった。ローマーの書いたフー・マンチューの登場するシリーズ小説は時代の空気に迎合してヒット作品となり、映画やラジオドラマなどに翻案されていき、「陰謀をめぐらせる東洋の怪人」はフィクションにおけるアーキタイプとなった。例えば『フラッシュ・ゴードン』に登場するミン皇帝、『ディテクティブ・コミックス』#1の表紙に出てきた清朝の服装を着た東洋人、マーベルでもマンダリンやイエロー・クロー(のちにゴールデン・クロー)といったキャラクター達が、そうしたフー・マンチュー・フォロワーとして挙げられる。
DCコミックスのラース・アル・グールもその影響下にあると言われるが、創造者のデニー・オニールへのインタビューによると彼はローマーの小説を読んだことはないという。ただ、グラント・モリソン原作の『バットマン・インコーポレイテッド:デーモンスターの曙光』(小社刊)では、ラース・アル・グールが娘のタリアに「ライムハウスの悪魔博士のかつての隠れ家」を与えている。ライムハウスの悪魔博士とはフー・マンチューのことを指す。創造者が意図しなくても、こうしたオマージュなどを通じて結び付けられていく過程がわかる。
▲『シャン・チー:ブラザーズ・アンド・シスターズ』では、シャン・チーのシャン・チーの父親の設定が整理されている。詳しくは本記事の後編で!
"東洋の怪人"をめぐって
シャン・チーの創造に関わったクリエイターたち、編集者のロイ・トーマス、そしてライターのスティーブ・エングルハートはそれぞれフー・マンチューの小説のファンだったが、アーティストのジム・スターリンは小説を読んだことはなかった。2019年のスターリンの発言によると、前述の『スペシャル・マーベル・エディション』#15を書いた後にスターリンは、日系ライターのラリー・ハマから借りた『怪人フー・マンチュー』を読んで、そこにカジュアルに描かれている有色人種への偏見や白人至上主義に呆れ返ったという。スターリンはそれを理由にシャン・チーの活躍を描くコミックからは3冊で降板し、『キャプテン・マーベル』でマー=ヴェルとサノスの戦いを描くことに集中したと同年のインタビューで発言している(ちなみにエングルハートは、スターリンはスケジュールについて来れないためギブアップしたと思っていたようだ)。さらに、シャン・チーの創造者として映画版について聞かれて「フー・マンチューについては過去の恥も同然だから、映画版では省いてほしい」とまで発言している。
スティーブ・エングルハートによれば、1970年代当時でも、マーベルがフー・マンチューを使うことに対し、読者から批判の手紙が届いていたという。フー・マンチューというキャラクターとその物語には、常に人種偏見がつきまとってきたため、非常に取り扱いが難しい。遡ると1932年の映画『The Mask of Fu Manchu』(邦題『成吉思汗の仮面』)の描写には、当時の中国大使館が正式に抗議をしている。1940年の映画『Drums of Fu Manchu』に対しては、米国国務省がこれ以上フー・マンチューものを作らないよう映画会社に要請している。ただし、1940年の例はアメリカが日本との戦争に際して中国を同盟国としていたことによるもの、つまり白人支配層の都合でアジア人のステレオタイプを左右していたという時代背景に注意する必要がある(この背景については小社刊『スーパーマン・スマッシュ・ザ・クラン』が参考になる)。戦後には再びフー・マンチューの映画が作られはじめた。近年になってその影を潜め、マンダリンの様なフォロワーたちもイメージチェンジをはかっていくわけだが、フー・マンチューは未だにポップカルチャーに無視できない影を落としている。
※後編に続きます(9月3日公開予定)。
本日登場した本
◆筆者プロフィール
吉川 悠
翻訳家、ライター。アメコミ関連の記事執筆を行いながらコミック及びアナログゲーム翻訳を手がける。最近の訳書に『ブラック・ウィドウ:イッツィ・ビッツィ・スパイダー』『ヴェノム・インク』『スーパーマン・スマッシュ・ザ・クラン』(いずれも小社刊)など。Twitterでは「キャプテンY」の名義で活動中(ID:@Captain_Y1)。