見出し画像

藤本由香里の『シーハルク:シングル・グリーン・フィメール』評

邦訳アメコミ『シーハルク:シングル・グリーン・フィメール』の発売を記念して、藤本由香里先生によるブックレビューを公開します! 8月17日配信のMCUドラマ『シー・ハルク:ザ・アトーニー』の予告編も公開され、いま最も注目を集めているスーパーヒロイン、シーハルク。漫画文化論・ジェンダー論が専門の藤本先生は、コミック版『シーハルク』をどう読んだのでしょうか?

「規格外」であること、「ふつう」であること:ほんとうの私って……?

文:藤本由香里

『シーハルク:シングル・グリーン・フィメール』
ダン・スロット[作]ジュアン・ボビーロ、ポール・ペルティエ[画]ケン・U・クニタ[訳]

自由気ままな独身女性

『シーハルク』のカバー絵を見たとき、思わず顔がほころんだ。余裕ありげに微笑む美女と、あわてふためく眼鏡の女性。だけどたぶん、この二人は同一人物。そしてサブタイトルが、「シングル・グリーン・フィメール」。きっとこれは、「自由気ままな独身女性」の物語のはず。

 予測にたがわず、『シーハルク:シングル・グリーン・フィーメール』は、とても楽しい物語だった。それと同時に、ちょっぴりメタなスーパーヒーローもので、とてもアメリカ的な物語でもあり、私にものを考えさせた。

 主人公はあの「超人ハルク」の従妹で、ハルクの血液を輸血されたために、女性版ハルクになってしまう。ただハルクと違うのは、ハルクが変身すると理性を失ってしまうのに対し、彼女は人格を保ったままだということ。人格は保ったままで、背が高くなり、肌が緑になり、いわゆるボン・キュッ・ボンのきわめてメリハリのきいた身体になり、怪力になり、朝、アベンジャーズ・マンションで、アイアンマンの執事のジャービスが掃除をするとき、家具を片手でひょいと持ち上げて、その下の床を拭くのを助けてくれる(このシーン、すごく好き)。

家具を片手で軽々と持ち上げるシーハルク

パリピなシーハルク

 この身体になると代謝がものすごくよくなるので、いくら飲んでも酔わず、シーハルクはパーティーが大好き(文字通りパリピー)! ときにはパーティー帰りに男性モデルを「お持ち帰り」しちゃったりなんかする。その翌朝、ベッドで目を覚ますと、彼女は本体のジェニファー・ウォルターズ(ジェン)に戻ってしまっている。非力な本体のままでは、彼女は上に乗っかっている彼を押しのけることもできない。「元の姿に戻らなきゃ。彼が起きる前に。“シーハルクと帰ったのに、君、誰?”ってなる前に。急げ、急げ」。

パーティーで出会った人気ファッションモデルを“お持ち帰り”したシーハルク

 ここで私は、「あれ?」と思う。「恋」って本体でするもんじゃないの? 変身した姿でつき合い始めたら、「ほんとうの自分」を隠している…という葛藤が起こるもんじゃないの? それが(日本の)物語の定番なのに、『シーハルク』はちょっと違っているみたい。

 実際、その通り。彼女は「シーハルク」としての自分に満足している。「シーハルク」の方が「ほんとうの自分」だとはっきりと口に出して言う。そこには、「本来の自分」を否定している葛藤などまるでないかのようだ。これって、アメリカと日本の差なの? それとも、「シンデレラ」と同じで、変身によって「本来の自分」が引き出された、って感覚なの? それとも男性なら、眼鏡のオタクが突然、クォーターバックを務めるような一軍イケメンに変身してラッキー! って感覚なの?
 でも、変身前のジェニファー・ウォルターズ(ジェン)だって、まるでイケてないわけじゃない。シーハルクみたいに派手ではないけれど、ちまちまっとして可愛いし、なにせUCLAの法学部を首席で卒業した優秀な弁護士だ。

学生時代のジェニファーは非常に成績優秀だったが、自分に自信がなく、内向的な性格だった

「規格外」であることと、「ふつう」であること

 シーハルクになってからは、法廷にもシーハルクの姿で立ち、ときに最終弁論の最中に、「アベンジャーズ」の一員として地球を救いに飛び出していったりする
 しかし、その彼女が、たび重なるパーティーでのご乱行や、駐車禁止の場所に車を止めたり、「アベンジャーズ」としての特権を乱用するというので、住んでいたアベンジャーズ・マンションを追い出され、スーパーヒーローとしての特権が裁判を有利にさせたのではないかという疑いを向けられ、職場もクビになってしまう。
 そして、その彼女の救い主として現れたのが、かつては裁判の敵方だった、東海岸随一の弁護士事務所。願ってもない話だが、そこで働く条件は、職場とその周りでは一切、「シーハルク」に変身しないこと。つまり、この物語で「本来の自分」が必要とされるのは、恋愛の場ではなく「仕事」の場だ、ということだ。

ジェニファーをスカウトに来た大物弁護士、ホールデン・ホリウェイ

 ここまで書けばわかるだろう。この物語の隠れたテーマは、彼女のアイデンティティと並んで、「規格外」であることと、「ふつう」であること、なのだ。
 そして主人公は、自分が「規格外」であることを、きわめて肯定的に受け止めている。このことは、第2話で、放射能汚染された貯水槽に落ちたために超人的な力を得た男性が、「ふつう」だった自分に戻りたい、と思うのと好対照をなしている。女性である主人公が、「超人的」な強さを持つ自分の方を好み、男性である彼が、超人的に強くなるのでなく、「ふつうの幸せ」に戻りたい、と願う。男女逆転の時代。そしてこの彼は「”大きく””パワフル”になった」ことを理由に、会社に損害賠償を求めようとする。いったいそんなことができるのか? 弁護士としての主人公(ジェン)はこの法廷闘争をどう戦うのか? それは本編でぜひ確かめてみてほしい。

超人“デンジャーマン”の弁護を担当することになったジェニファー

スーパーヒーローの法廷闘争

 ジェンとしての主人公が雇われたのは、「超人法」を扱う弁護士業務だ。いわば、「超人」に適合する法のルールを生み出し、運用すること。このあたりがアメリカだなあ、とつくづく思う。排除するのでも例外扱いするのでもなく、「超人」に適用されるべき適切な法のルールをみきわめる。この物語はいわば、「スーパーヒーローの法廷闘争」の物語だ。

 そして物語の骨子となる法廷闘争とは別に、『シーハルク』は随所にユーモラスな小技が効いていて楽しませてくれる。たとえばヴィランたちを小さくして収容・監視している「ビッグ・ハウス」という収容所や、私の大好きな、アンドロイドのアンディくん! 読者にはぜひ、彼の魅力に微笑んでほしい。
 『デッドプール』が好きな人はきっと、『シーハルク』が好きだと思うよ!

藤本先生イチ押しのキャラクター、アンドロイドのアンディ

藤本由香里
編集者を経て、現在は明治大学の専任教授として、漫画文化論・ジェンダー論などを教えている。著書に『私の居場所はどこにあるの?』(朝日文庫)などがある。
https://twitter.com/honeyhoney13