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カズ子さんはフクハラで待ってる


今日は例のところに4時集合だと誰かが囁くと、仲間たちは小さくうなづいた。決して目立つことなかれ、非合法ファイトクラブの掟は絶対だ。話もそこそこに一旦帰路に就く仲間たちだったが、それぞれが闘志を燃やして秘密の場所“フクハラ”に集結。番人のカズ子さんが見守る中、男たちの殴り合いが始まった。


時は1990年代、日本では格闘ゲームブームが起こっていた。格闘ゲームとはプレイヤーが選択したファイターを操作して様々な技を繰り出し、相手をK.O.することを目的としたゲームである。相手の戦法を読み、かっこいい技で倒す、手に汗握る対戦が全国の少年の夏を熱くさせた。

その熱狂は小学校でも瞬く間に広まり、休み時間になるとそこかしこでファイターごっこが始まった。空手の演武を真似してみたり、ドラム缶や樽を見つけるとボーナスステージだと殴りかかって手を痛めたりする者が続出。佐々木君は奇声と共に金網から跳躍をみせ、それを跳びあがりアッパーカットで迎撃した小田君は骨折し、フライングバルセロナ事件として語り継がれた。


ゲーム人気は過熱する一方だったが、そこには小さくない問題点があった。最新の格闘ゲームは全てアーケードゲーム、つまりゲームセンターに行かなければプレイできなかったのである。

ゲームセンターもリーゼントヘアのヤンキーがたむろするような場所では無くなりつつあった時代だが、それでもなにかと物々しい場所であったことには変わりなく、当然ながら校則でも「保護者同伴でない限りゲームセンターへの出入り禁止」と明記されていた。

3年6組の狼たちは飢えていた。お父さんお母さんといっしょでなければ闘えない、そんな環境はもう限界だ。このまま闘争心だけがたかぶり続けると第二、第三の小田君が誕生してしまう。「無敵切れてた、いってぇ!!」と言いながら早退する小田君を見送った仲間は涙していたし、それを遠巻きに見ていた女子たちは男子ってなんでこんなに頭悪いのかしらと冷ややかな視線を送っていた。あんな悲しい事件は二度と繰り返してはならない。


国道沿いにできたフクハラにはゲームコーナーがある。ある日そんな情報が入ってきた。フクハラというのは新規出店した中規模の食品スーパーであるが、確認すると確かに店内の一角にはゲームコーナーがあった。

食品スーパーの1コーナーというのがミソだ。校則に触れるゲームセンターではないし、明るく禁煙の空間は子供にもやさしかった。専門のゲームセンターと比較すればラインナップは見劣りするものの、大手を振って遊べる貴重な場所であり、子供たちが集まるようになるのに時間はかからなかった。秘密というにはあまりにもオープンではあるが、ともかく校則の網をくぐったファイトクラブは連日盛況だ。


そこにはいつもカズ子さんがいた、ゲームコーナーの管理人である中年のおばちゃんだ。新しいゲームのことはあまりわからないよと言いながらも、「あのキャラがかっこいい」「この技がすごい」と興奮しながら話す子供たちに囲まれていつもニコニコ笑っていた。

彼女はただ単にゲームの保守管理をするだけの人ではなかった。勉強をおろそかにする子にはゲームなんかせずに帰って勉強しろと追い返すこともあったし、筐体を乱暴に叩いたり、順番待ちを無視しようとする子は厳しく叱る。キャンディすくいの取り出し口から手を入れるという狼藉を咎められた田口君は後に「あの時のカズ子さんは向き合うだけで気絶しそうだった、間違いなく最強のファイターだ」と震えながら語った。

そんなカズ子さんが管理していたからだろうか、ゲームコーナーに通う子供たちの間では、ルールやマナーは守らなくてはならない、勝つために何をしてもいいわけではないといった武士道精神のようなものが芽生えていた。さながらファイトクラブの掟である。


連日盛況だったゲームコーナーに異変が起こったのは、季節も冬にさしかかった頃だった。中学生、いや高校生だろうか、お兄ちゃんプレイヤーがゲームコーナーに入ってくるなり、プレイ中の小田君に対戦を仕掛けた。こうした知らない人との対戦も格闘ゲームの醍醐味、我々は筐体を囲み勝負の行く末を見守った。

結果から言うと小田君は負けた。なぜか「くそう、この腕さえ折れてなければ!!」と骨折したことがないはずの左手をおさえて悔しがっていたが、問題はそこではない。乱入してきたお兄ちゃんは「待ち」と呼ばれるプレイスタイルを徹底する人だったのである。

「待ち」は相手の出方をひたすらうかがい迎撃する、徹底すると強力無比な戦法。しかしその消極的なスタイルはゲームをつまらなくすると仲間内では禁忌とされてきた。ことわっておくが待ちプレイはルール違反ではない、勝利至上主義で闘うならば自然と行きつく先の一つでもあった。

我々は文句を言わなかった。他人のプレイスタイルを指定する権利は無いし、それを抜きにしても自分たちより強いプレイヤーがたくさんいることも知っていたからだ。

こんなこともある、仕方ないね。そんなことを言いながら、待ちプレイが横行するようになったゲームコーナーからは自然と足が遠のいていった。


カズ子さん待ち禁止にしたってよ。窓からの眺めに雪がちらつくようになった教室でそんな話が入ってきて、その日のうちに確かめることになった。やっぱり待ちなんてやり方はよくないよなと田口君は憤っていたが、キャンディを不正にかすめ取ろうとした奴にそんな事を言う資格があるのだろうか、そう思いながら私は自転車をフクハラに走らせた。

『待ちプレイ禁止』

ゲームコーナーの壁や筐体に張り紙がされていた。カズ子さんが言うには、多くの子にゲームを遊んでもらいたいからローカルルールとして待ちを禁止にしたらしい。発端となったお兄ちゃんにも直接話をして理解を得られたようで、後にゲームコーナーで時々彼にも会うことがあった。

でもゲームに詳しくないカズ子さんがどうやって「待ち」かどうかを判断するのか、気になって聞いてみると彼女はにやりと笑いこう言った。

「そりゃおばちゃんも勉強したよ、みんなが熱中するゲームのことも知りたかったし、楽しく遊んでほしかったからね」

久しぶりにおとずれたゲームコーナーの一角にはそれまで無かったゲーム情報誌が並んでいて、参考書のように赤線や付箋がびっしり入っていた。ああそうだ、この人はこういう人だった。100円を握りしめて来る小学生に目線を合わせてくれる人だった。なんとなく悟ってあきらめていく子供たちを見て、解決策をさぐっていたんだ。フクハラのゲームコーナーの居心地が良かったのはカズ子さんがいてくれたからに他ならなかった。


私はカズ子さんから様々なことを教わった。ルールを守ることの大切さ、仲間を思いやる気持ち、恐怖に震える田口君の顔。ゲームコーナーに入り浸っていたというと多くの大人は顔をしかめる事だろう、でもそこには子供の気持ちをわかってくれる女性がいたから楽しかったし、まがいなりにも道をはずれることなく大人になれた気がする。


高校生になった時、同じ学校に進学した佐々木、小田と共にフクハラのゲームコーナーをおとずれた。

既に格闘ゲームブームも下火になっていたため、店内はクレーンゲーム等のプライズゲームが主流となっていたが、いつもの場所にいたカズ子さんは我々を見つけると嬉しそうに迎えてくれた。

久しぶりに会ったカズ子さんはずいぶん小さくなって見えた。話を聞くと足を悪くした影響でお店に出るのも月に数回程度になってしまったらしい。でもアンタたちアタシに会えてラッキーだねと言って笑う姿はあの時のままだ。

私は待ちプレイ禁止の件について礼を言った。あの時は子供だったからちゃんと言えなかったけれど、自分たちの居場所を守ってくれて本当にうれしかったと。

カズ子さんは一瞬きょとんとした顔をしたかと思うと、少し間をおいてにやりと笑いこう言った。

「バカだねアンタは、みんなが対戦してくれないと儲からないんだ、アンタたちにじゃぶじゃぶお金を使わせるために待ち禁止にしたんだよ」

ああそうだ、この人はこういう人だった。じゃあ僕も今日はたくさん遊びますね、そう言って自分も笑った。

ゲーム画面では佐々木が跳躍させたキャラを、小田がアッパーカットで迎撃していた。


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