
『忠』 〜1991年 年上の男〜 vol.4
忠は、優しい人だった。
バブル経済の崩壊直後だったけど、アクセサリーショップは儲かっているのか、高級なお寿司や焼肉を食べさせてくれたり、ラルフローレンで洋服を買ってくれたりした。
ふたたび外泊を繰り返すようになった息子に、しかも突然耳にピアスを開けて帰ってきた息子に、親の目は厳しかったけど、家族なんて本当に遠くの国に思えるくらい、僕は僕で楽しく生きていた。
ただ、ひとつ、気になることがあった。
たとえば、過去の仕事の話をしていた時。
アクセサリーショップを開く前。
忠は銀座のホストクラブのようなバーに勤めていたと言う。
白いスーツを着て酒を飲み、シャツの胸ボタンを開けてお客さんと踊ったりしていたらしい。
「あまりに激しく踊るから、みんなに『トラちゃん』と呼ばれていたんだ」
「トラちゃん?」
「うん。『ジョン・トラボルタ』」
たとえば、カミングアウトをしていない人から「好きなタイプの女性は?」と聞かれたら誰と答えるか?という話をしていた時。
ちなみにいつも僕はキョンキョンと答えていた。
『小泉今日子』が大好きだった。
もちろん恋愛対象ではなくて。
生まれ変わったら、色黒でぱっちり二重の男の子か、キョンキョンになりたいと思っていた。
「忠さんは?」
「俺は『大地真央』」
トラちゃんといえば『男はつらいよ』の寅さんしか思いつかない自分が平凡でつまらない人間に思えた。
『ジョン・トラボルタ』を『トラちゃん』と呼ぶセンスにハッとさせられた。
そして、大地真央はたしかに美しかった。
だけど、どちらの話も少し古臭いように感じた。
だいたい28歳とか、29歳とか、そんな感じの人の話に思えなかった。
そう。
付き合い始めて数週間。
僕は忠の正確な年齢を教えられていなかった。
だから、ある日、忠が買物に出かけているうちに家中を漁った。
こういうことは淳一のシステム手帳の件で十分懲りているはずだろうに、家中の引き出しという引き出しを引きまくった。
そして、パスポートを見つけた。
「ごめん。見ちゃった…」
ソファに座って俯いたまま忠を出迎えた。
「なにを?」
「パスポート。どうしても年齢が気になって…」
「…ああ…」
忠が小さな溜息をついた。
「忠、忠は…僕のお母さんと、同い年だった…」
43歳。
おっどろいた。
だけど、思い返せば、そもそもゲイポルノ映画館で出会ったあの日、「忠臣蔵の忠の一文字でタダシ」と自己紹介された時から違和感は感じていた。
「忠臣…蔵?説明がおじいさん…」
だから、あの違和感も、この違和感も、すべて勘違いではなかったんだ!という、妙な達成感もあったりはした。
「ちゃんと言わなかったのは悪かったけど、でも、年齢なんて関係ある?」
「え?」
「僕が29歳じゃなくて43歳だったからって、そんなことで真文の気持ちは変わる?」
ずいぶん強気なことを言うな、と思った。
29歳が33歳だったら気持ちは変わらないかもしれない。
だけど、29歳が43歳はどうだろう?
しかも、自分の母親を同じ年齢だと判明したなら、変わってしまう気持ちだって、この世にはある気がした。
だけど。
自分の心の深くまで覗き込んでみたけれど。
僕の気持ちは意外にも何も変わらないような気がした。
「ううん。変わらない気がする」
「そっか。よかったよ。ありがとう」
「でも、もう、嘘は嫌だよ」
「わかったよ。もう、嘘はつかないよ」
家に帰ったら、母は相変わらずギャーギャー怒鳴っていた。
だけど、この人だって、いつか15歳も年下の男の子と恋に落ちる可能性だってないわけじゃないんだよな、と思った。
忠に対する気持ちは変わらなかったけれど。
親に対する気持ちが、少し変わっていた。