見分けやすくなった『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』 (映画感想文)
確実にネタバレします。
嫌な人は即退散してください。
小柳ルミ子の『お久しぶりね』が好きです。
映画の話だっつといてなんですが。
昔の恋人とばったり会って「あら!」なんて。「時間あるならお茶でもする?」なんて。
コーヒー片手に軽口叩いているうちに「この人の視点、相変わらず面白いわー」「そうそう話が真面目になりすぎると突然シモネタぶっこんでくんのよ!」「褒めると照れてそらす目が可愛いんだよー」なんて、好きだった頃の記憶がどんどん蘇っていく。
「ああ、私はこの人のことが本当に大好きだったなー」と改めて心が熱くなってちょっと後ろ髪引かれちゃう感じが、この歌にはよく出ていると思うのです。
逆もありますけどね。
恋愛、に限らないけど。
長く音信不通だった人と出くわして立ち話しているうちに「そうそうこのだらだら話す感じ」「結局は自慢話なんだよな」「なんで人のこと指さすかな?」なんて、嫌いだった頃の記憶がどんどん蘇っていく。
「あの決別は我ながら英断だったなー」と過去の自分を褒めてあげたくなる感じ。
どちらにせよ、懐かしさよりさらに一歩踏み込んで、あの頃の記憶や体験がじわじわと皮膚感覚で蘇ってくるような、ちょっとしたタイムトラベルみたいな瞬間が好きです。
で、『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』です。
なんてったって13年ぶりのパート2です。
パート1のことなんて忘却の彼方で、観直そうかと考えましたが『アバター』にそこまでの熱量を注ぐ気にはなれず。
ぶっつけ本番の覚悟で映画館へ。
そして、開始5分。
あの頃の記憶が、じわじわとまさに皮膚感覚で蘇ってきたのです。
「そうだ、私はアバターが見分けられないんだった…」
全員、青。
全員、爬虫類顔。
それでなくても好きなタイプの男以外の人間の顔を覚えたり、見分けたりするのが苦手な私は(タイプの男はすれ違うだけでインプットできる)、登場人物が多いミステリーものなんかもわりと苦手です(観るけど疲れる)。
アバターはその最高峰であったことを思い出しました。
なにがどうしたって3時間12分の大長編。
これから!とにかく!アバターを見分けることに全集中!と考えると軽い目眩さえしました。
が、しかし。
パート1では森に暮らしていた主人公のアバター一家は、なんやかんやあって、開始早々、海へと引越します。
森アバターが真っ青だったのに対し、海アバターはエメラルドグリーンっぽいブルー。
違いは一目瞭然で、前回よりも主要キャストが見分けやすくなっています。
海アタバーたちは、最初、肌の色の違う森アバター一家を警戒します。
ここらへんは流行の『ダイバーシティ』を表現しているのだと製作者サイドは主張されるかもしれませんが、いいえ、私には解ります。
これは絶対に「前回の反省を踏まえて」の顛末です。
私と同じく「アバターが見分けられない!」というクレームが殺到したに違いありません。
でもって、この海の映像が素晴らしい!
潤沢な資金で、最新のテクノロジーを存分に使って作り上げられたであろう海や海の生き物たちのキラッキラとした表現が夢のように素晴らしいのです。製作者サイドとしても「ここが最大の売り!」とでも考えているようで、結構な長尺で流れます。
でも、全然、飽きない。
およそ3年間、コロナで日本国内に閉じ込められてきた私たちとすれば「ハワイ行きてー!」と言う欲望が掻き立てられること必須です。
『7つの海を楽しもう!世界さまぁ〜リゾート』や『世界ふしぎ発見』などを観ている時にこみ上げてくる、あの感情と同じです。
ですが、こんなデジタルだらけの世界の中に、アバターたちと共存している人間の少年が、唯一、実写で出てきます。
こんな子が、アバターを気取ってふんどしとターザンパンツの合いの子みたいなの一丁で、裸一貫でデジタルの世界に殴り込みだ!と言わんばかりに飛んだり、跳ねたり、駆け回ったり、体育座り(一番好き)をしたりするのです。
この映画のキャッチコピーは『奪われるのは目か、心か』。
それは確かにそうなのですが、スクリーンいっぱいに、1秒で1億円くらいかかっていそうな美しく壮大な戦いシーンが繰り広げられていても、ひとたび彼がその片隅で体育座りでもしていようものなら、私の目も心も奪われるのはただ一点…(以下、彼は未成年の俳優なので自粛)
デジタルテクノロジーがどれだけ進化しても、リアルには敵わない!
そんなことを改めて教えてくれた『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』
公開からだいぶ経ちますが、まだご覧になっていない方は、ぜひ。