拡声の話。
こんにちは、みたにです。
このnote、もとはブログみたいな事をやるつもりで始めたことをすっかり忘れてしまってたもんで、
久しぶりに「おおやけに声に出すのははばかれるけど、でもなんか腑に落ちない!」ってことを感じたのでここに記します。
先に伝えておきますが、これはあくまで23年ぽっちしか生きていない冴えないギター弾きの一感想でありますので、あくまで何かを代弁したりだとか社会への反発だとか、そんな大それたものでは無いです。
今日、ある報道が僕の目に止まりました。
それがこちら。
THE ORAL CIGARETTES主催の音楽フェス、「PARASITE DEJAVU 2024」の本番中、撮影用に設営されていたクレーンが倒れ、最終的に5名が怪我を負ってしまったという、バンドマンとしても人としてもドキッとするニュース。
この報道が速報として出た時、僕はこう思いました。
「またバンドが悪くないのに、矢面に立っている彼らが心無い言葉を浴びてしまうんだろうな。」
そして、ついさっき。
THE ORAL CIGARETTESが公式で今回の事故についての表明をされていました。
それがこちら。
また、参加していた方々のツイートから推測するに、恐らく彼らの持ち時間の時に本人たちやスタッフ、事務所の方がステージに上がり今回の事故について説明、謝罪等を行ったようです。
「なんて誠実な対応なんだろうか」と僕は驚きました。
この件にメンバーやスタッフが本気で向き合い、誠意を持って取り組んだ事が手に取るように分かりました。
だからこそ、先ほどの僕の危惧は杞憂だっただろうな、と。
思ったんですが。
問題はここから。
この謝罪ツイートやニュースについて、様々な意見がありました。
それ自体はぜんぜん問題ないんですがね。
中にはですね、
「ライブに関わった全ての人、認識が甘すぎた。治らないならライブには行けない。」
「重大事故が起きた際イベント即中止しなかったのは悪手。責任を取るのは当たり前。」
「故意じゃないから許せは違くない?」
などなど、なんともまあ心無いコメントがポツポツとある事なのです。
1個ずつ論破してやりたい気持ちも無くはないんですが、、
とりあえず言えることをまとめます。
僕がこの音楽業界に踏み入れてからもう3年半。有難いことに凄まじい環境で揉んで頂き、音楽業界はおろか社会の事や人との付き合い方なんかもなんにも知らないプー太郎を新米ライブハウススタッフにして頂きました。(ほんとに関わってくれた皆様には感謝しかありません。ありがとうございます、)
その中で学んだことの一つ。
業界に入るには想像を絶するような技術、知識が必要で、業界で生きている方々はそれらをフルに駆使して死ぬ気で生きている、ということ。
アーティストは勿論、制作や音響、照明、舞台、我々のような一般スタッフまで。
全員が良い物を届ける為に、毎イベント魂を削り形にしているのです。
そのイベントによって、もしかしたらあの日の自分のように誰かが救われるんじゃないかと信じて。
当然お金が絡む事もあります。とんでもない額が動くところを僕も見た事があります。
沢山の会社が、沢山の想いがイベントが大きくなるにつれて重なっていきます。
それらに応えられるように関係者の方々は本気で取り組んでいるんです。
本気で取り組んで、それでもミスをしてしまった人間を追い詰めて楽しいんでしょうか?
少しでも来てくれたお客さんに満足してもらいたい、落胆して欲しくないという思いを無下にして満足でしょうか?
特にフェスなんて、万単位の人間が見ている中で自分の非を認め謝罪したスタッフ、自らは直接関係していないアーティストや関係者まで頭を下げる事の勇気を、誠意を踏みにじるようなことをなぜ言えるんでしょうか?
僕はソコを伝えたいんです。
確かに5名の方は楽しみにしていたフェスでこんな事になって、とても残念だったでしょうし痛い思い、苦しい思い、もしかしたら恥ずかしい思いも抱えた可能性もありとても辛かったと思います。
しかしその気持ちに真っ向から寄り添い、出来うる限りの最善策を取ろうとした彼らをもう責めないで欲しいです。
音楽業界に限らず、最近はそういう事が世の中は多いんじゃないか?と感じています。
非があることなら、誰でもある程度なんでも言ってしまっても良いという風潮。
拡声された人々一人一人の声。
せっかく大きくなった声なら、それを人に刺すために使うのではなく、人を支えたり背中を押したり、癒したりするために使いたいなと思いますし、使って欲しいなと思うばかりです。
ほんとにたまにだけどこんなシリアスな事も考えてたりするのよw
こんな駄文を最後まで見てくれてありがとうございます🙇♂️