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続けることができるようになった理由

先日Twitterにも投稿したが昔に比べて、やると決めたことを『続ける』ことができるようになったと感じる。

今僕は毎日主にサッカー、アパレル業、英語学習、プログラミング学習をやってる。

当然サッカー選手だけをやっていた頃に比べて、時間の使い方を意識しなければそれらは一日で終わらないし、何もせずにのんびりするという日はない。

Jリーグにいた時は今やってることをやろうとしても続けられなかったと思う。

続けられるようになった理由は、『自分で選択した』ということを強く意識するようになったこと、『目的意識』を強く持つようになったことの2つだと思う。

そもそも生きていくことだけが目的なら、サッカーも英語も洋服作りも全て、別にやらなくてもいい。

日雇いのバイトでも暮らしていくことはできるし、他にも生きていく方法はある。

一昨年長崎を満了になってチームが見つからなかった時、一度日雇いのバイトアプリに登録したことがある。

結局やらなかったが、それで生きていくことだってできた。

でもわざわざ自分がやりたいことを選択してやってる。

サッカーと洋服はシンプルに大好きで一生追求していきたいから、プログラミングは海外に行っても役に立つスキルだから、英語学習は海外に出て、異なる文化に触れて自分の価値観を広げたいからやってる。

やりたいことでも大変なことや面倒くさいことは沢山ある。

サッカーだって1試合で自分がボールに触れる時間は90分のうちのほんの少しで、キツくても守備に走らないといけない。

洋服もデザインが思いつかない時は全く思いつかないし、SNSでのマーケティングや在庫管理、発注、発送全て自分でやってて挫けそうになる時もある。

英語も長いことやってるが自分の力はこんなものか、と落ち込む時もあるし最近始めたプログラミングもそう。

しかし、誰に強制されたわけでもなく自分の意思でサッカーをして、洋服を作って、英語とプログラミングを勉強してる。


思い返してみれば今までも同じで、自分の人生の中で他人に強制されたことはほとんどなかった。

サッカーだけは、父親に志有人『シュート』と名付けられた為物心つく前にほぼ強制されたと言っても過言ではないけど、(冗談です。)それ以外は全て自分で選択してきた。

それなのにプロサッカー選手になってから、純粋に好きで楽しかったサッカーが仕事になり、どこか強制されているような気持ちでサッカーをしていたときがあったかもしれない。

23歳くらいから始めた英語学習も、どこか惰性的で目的意識を持っていなかった気がする。

でもその時だって、いつだって辞めることはできたわけだ。

試合に出られない時も、屈辱的な扱いをされた時も、理不尽な大人に死ぬほど腹が立った時も、大怪我をした時だって辞めるタイミングは自分で選択すればいくらでもあった。

というかなんだってそうだが、義理や世間体とかそういうものを気にしなければタイミングなんて気にせず辞めることはいつだってできる。

でも自分で選択して続けてきた。

大怪我やチームが見つからずプレーする環境を失って、プロサッカー選手でいられなくなるかもしれなかったこと。
またはそもそも別にサッカー選手でいなくてもいいという状況が逆に『自分がどうしてもサッカー選手を続けたくて、続ける為の選択をして今の自分がある。』という状況を深く自覚させた。

何かなりたいものや、やりたいことがあってそのために今それをやってるんだという意識があれば続けられる。

だから何かをやっていてキツいなって思った時は自分がわざわざ選択してこれをやってるんだと思うこと、そもそもどうなりたくてそれを始めたのか、ということを考えて、このくらい大したことないなという気持ちでもう一度踏ん張ることができるようになった。


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