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『証明』を目的とするか、『成長』を目的とするか。



僕は自分のキャリアの中で沢山の移籍を経験してきた。

シーズン途中での移籍も経験したし、トライアウトやセレクションなども含め自分の価値を『証明』しないといけない、という局面を子供の頃から沢山通ってきた。

サッカーという競争社会で生きていくためには常に自分の力を『証明』しなくてはならないはずだ。

要するに他者からの『評価』を得なくては生き残れない。

これはサッカー選手として契約を勝ち取ったり、試合に出たりステップアップするためには必要なことだ。

しかし、僕は自分の力を『証明』することだけがゴール(目的)となってはいけないと思う。

なぜなら『証明』することを目的としてしまうと、上手くいかなかったときに必要以上に自分を否定し、不安を抱き、失敗を恐れてしまうからだ。

大切なことは自分の力を『証明』することより『成長』することにフォーカスすることだと思う。

僕は今までずっと自分の力を『証明』したいと考えていた。

今まで移籍したチームでは最初の練習に合流する時、特に上のカテゴリーから下のカテゴリーのチームに移籍した際は、初日の練習から自分の力を証明しなければ、と強く考えていた。

それが上手くいった時もあれば、上手くいかなかった時もある。
そうして必要以上に自分に失望し、他者からの評価を一日でも早くより良いものにしなければと考え、自分にプレッシャーをかけ苦しんだ時期があった。

2014年、21歳の時にジェフ千葉に夏のウインドウで移籍したときは特に苦労した。

その前年、2013年にV長崎に在籍していた時にジェフとの試合で活躍したことも自覚していたし、FC東京というクラブからレンタルで移籍している以上、周囲が求めるものは高く、また周りにも自分の力を『証明』しなければ、と考えていた。

だが、ジェフに移籍するまでの半年間ほとんど実戦を経験していなかったこともあり、今思い返しても本当に思い通りに身体が動かず、練習から普段の自分ならしないはずのミスを連発し、自分は本当に力がないんじゃないかと悩み、負のスパイラルに陥った。

チームメイトや監督からも期待外れだと思われているんじゃないか、と余計なことを考え、本当にあったかどうかもわからない被害妄想に近いようなものを覆すために日々苦しんでいた。

最終的に試合にコンスタントに出続けることはできたが、ほとんど自分が納得できるようなパフォーマンスはできなかった。

僕はこの経験を苦しんだ中で、なんとか打開しようとしたという意味では良い経験だったと位置付けているが、今だったら違うマインドでいれたのではないかと思う。

これと同じようなことが恐らく、いろんな世界にあると思う。

上司や同僚に自分の能力を認めさせたいだとか、富や名声を手にして、世間に自分の価値を示したいだとか、サッカー選手であれば、自分を使わなかった監督を見返したい。

今の僕の立場であればサッカー選手でありながら、いろんなことに挑戦し、サッカー以外のこともできることを見せつけたい、とかそういう感情に往々にして陥りがちだ。

もちろん『証明』に使うパワーが効力を発揮する場合もある。

不遇の時を過ごした選手が移籍先で、古巣と対戦し大活躍するパターンは日本でも海外でもよく見る。
それは『証明』したいことに対してのモチベーションが強く影響していると思う。

しかし、『証明』することがゴールとなってはいけない。

なぜなら、何かを『証明』するために努力し仮にそれを『証明』できたとしても、それで全てが終わるわけではなく、その先も人生は続くのだ。

『証明』を目的としてしまうと、上手くいかなかった時に以前の僕のように必要以上に自分を責め、失望し、失敗を恐れてしまう。

しかし、『成長』することを目的としていれば上手くいこうが上手くいかなかろうが、一喜一憂することはない。

もちろん人間だから、時には失敗に落胆するだろうし、成功すれば嬉しい。

だが、そもそも失敗することを前提にして生きていればどうだろう。

失敗にもへこたれることなく、そこから学んだと考えれば常に挑戦し続けられるはずだ。

1人の人間の失敗なんて地球規模で考えたら本当に大したことない。

台湾のデジタル大臣であるオードリー・タンも著書『自由への手紙』で『人生を通して学びなさい。学び続けなさい。』というアドバイスを送っている。

この言葉の通り、学びに終わりはなく、大事なことは『成長』し続けることであり『証明』することではない。

今までの失敗を自分自身が面白く感じ、喜楽だけではなく怒哀も人生の素晴らしい一面だ、と捉え楽しむことができれば、自分自身の小さな『成長』にも目を向けることができる。

これからの自分にはそんな人生を歩むことを期待したい。


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