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好きなことを続ける覚悟

前回、僕が今サッカーをやりながら挑戦してることの概要や、それに挑戦してる理由をざっくり書きました。
今回はサッカーをなぜ続けるのか、という根本的なところを書きたいと思います。

結論から言うとサッカーが好きだからです。

好きなことをずっとやり続けることは簡単なようで簡単ではありませんし、ただ、逆も然りだと僕は思っています。

僕は2020年2月オーストラリアに渡り、たった1か月で右膝の前十字靭帯損傷という大怪我をし、契約解除して日本に帰ってきました。
実は僕はその一年半前、2018年にも逆足の左膝で同じ怪我をしています。
前十字靭帯損傷は、結構知られてる怪我だと思いますが、この怪我をすると一年近くプレーできません。
だからこの三年間くらいはほとんどサッカーをプレーすることができていません。

僕自身は考えたことはありませんが、その怪我によって、サッカーをやめるという決断をする人もいると思います。
ましてや僕のように契約解除して、無職になってまで1人でリハビリして、またどこかのチームと契約を目指すくらいなら、もうやめるという選択肢もあったかもしれませんし、現にまだ僕はどこのチームとも契約していません。

ただ、僕のなかでやめるという選択肢は全くありませんでしたし、今もありません。

そこまでしてサッカーを続けるという選択に至った理由は一つではなく、自分の中でも沢山理由があると認識してます。
ただ大きく影響してるのはオーストラリアに行くまでの経験だと思います。

僕は2019年冬にV・ファーレン長崎を契約満了になった後、国内、国外問わずオファーを待ちながら過ごしていました。

今思えば、なんでそんなにキツいと思ってたのかはわかりませんが、その時はチームがないという現実が辛かったです。

25年以上サッカーをやってきて、チームに所属していないという期間はなかったし、ましてや16歳でプロ契約し26歳でチームがない、という状況は惨めで、コンディションを維持するためにトレーニングする場もなく、1人で毎日ランニングしながら、本当にきついな(精神的に)って思ってました。笑

そんな風に思いながら年が明けて、一月の下旬にベトナムのチームから獲得を前提とした練習参加のオファーが届きました。
獲得条件も悪くなかったし、いく気でいましたが、その直後にボスニアヘルツェゴビナのチームから練習参加のオファーが届き、ボスニア行きを決めました。
多分オファーをもらってから、2、3日後にはボスニア行きの飛行機にのっていたと思います。
ちなみにボスニアいくときは1週間前くらいにお願いしないと、レンタルのWi-Fi借りれないので、ボスニアに行く人は気をつけてください。笑

僕がボスニアで練習参加したチームは、FKジェリェズニチャル・サラエヴォというボスニアの首都サラエヴォのチームで、イビチャ・オシムさんが指揮をとっていた1984-85シーズンはUEFAカップで準決勝まで行った経験もある強豪チームです。
現在はイビチャさんの息子さんのアマル・オシムさんが監督を務めています。

僕はリーグ後半戦の前のトレーニングキャンプに参加することになり、キャンプ地に比較的近い隣国クロアチアのドブロブニク空港に降り立ちました。
そこからUberに乗り、3時間かけてキャンプ地に向かいました。
もちろんずっと一人です。笑
無事キャンプ地につき、食事会場から合流し、英語で自己紹介をしその日からチームに合流しました。
今までJリーグで沢山移籍してきて、自己紹介等は慣れてましたが、英語での自己紹介は初めての経験だったのでちょっと緊張しました。笑

その日の午後練習から参加しましたが、チームメイトたちの体格はめちゃくちゃデカくて、180cmある僕が下から数えたほうが早いくらいでした。
ヨーロッパの強豪チームなだけあって、みんな技術がしっかりしつつ、フィジカルコンタクトの強さや、ボールを奪いに来る時の迫力は僕が今まで体感したことのないレベルでした。

さらにボスニアの環境は長い間日本のJリーグでプレーしてた僕には厳しく感じました。
グランドは沼のようにグチャグチャなところとコンクリートのように硬い場所が一つのピッチに混在してるような感じでした。
それもあり、パスは全然繋がらずガタイのやばいやつらの肉弾戦が繰り広げられていました。笑
一度出場した練習試合では、対戦相手が地域的に敵対してる地域のチームだったこともあり、前半だけで四人くらい担架で運ばれていきました。笑

僕は2018年に左膝の前十字靭帯を損傷したとき、軸足が滑って怪我してしまったので、とにかく日常でもピッチでも滑るということがなによりも怖く、さらにガタイのやばいやつらが肉弾戦を繰り広げる環境は、当時の怪我明けの僕には厳しいなと思っていました。

一度断りを入れたベトナムのチームがずっと連絡をくれていたこともあり、僕はボスニアから帰国し、ベトナムに行く判断をしました。

帰国するためにサラエヴォの空港に行き、夜のフライトとまで6時間近く空港で待ちました。
ちなみにサラエヴォはボスニアの首都ですが、空港は日本の地方空港くらいの大きさしかありません。

6時間待ち、やっと帰れると思い電子掲示板を見ると、真っ赤な文字でCANCELと書いてありました。
霧で飛行機が飛ばず欠航です。
僕は日本でも欠航というシチュエーションに出くわしたことがなかったので、その場に立ち尽くしました。笑

とりあえず、どうにかしないといけないので空港のカウンターに行き、地獄のような気持ちでその日のホテルと翌朝の航空券を取ってもらい、ホテルに泊まりました。
そして翌朝、ホテルのロビーでまた霧によって欠航になったことを告げられました。
もう僕の中でボスニアの印象は霧しかないです。笑

写真は霧に包まれる前のサラエヴォ空港です。

もうここにいては一生帰ることができないと思い、悩んだ挙句300km近く離れた、隣国セルビアのベオグラード空港にタクシーで行く決断をしました。
今思い返しても、なかなかの決断でした。笑

全く知らない土地(ましてや、つい10年前くらいまで内戦をしていた国)で、全く信用できないドライバーと共にWi-Fiなしで過ごす6時間近くの道中は非常に刺激的でした。
寝たらやばいなとも思ったし、もしかしたら連れ去られてどこかに売られるかなとも思ってました。笑
携帯を触っても電波がないからなにも出来ず、ただただ自分と6時間向き合いました。
しかし、今思えばこの6時間は僕の人生の宝物です。
自分は今まで何をしてきて、今何がしたくて、これから何がしたいのかを本当に考えました。
というより考えなくてはいけませんでした。

結論、僕はそれでもサッカーがしたくて、自分が好きなことをして生きていくことに本当の意味で覚悟を決めました。

好きなことを続けるということに腹を括れたのはこの時だと思います。

結果、ドライバーのおじさんはめちゃくちゃ良い人で無事にベオグラードに着き、約25時間くらいかけて日本に帰りました。
その後ベトナムに行き、最終的にシドニーのチームと契約し、すぐに大怪我をすることになりますが、それでもサッカーを続けているのは、ボスニアでの6時間が大きく影響してると思います。

最初にも書きましたが、好きなことを続けるということは難しいことなのかもしれません。

でも僕は覚悟を決め、恥を捨て、自分を貫けばそこまで難しいことではないのではないのかなという気でいます。

もちろん、沢山の人の支えや協力があり、今僕はサッカーを続けることができていますが、腹を括って困難に立ち向かえば、現状なんとかなるということがわかりました。

だからこそ、これからも自分らしく、好きなことをするための選択をしていきたいと思っています。


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