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自分を貫く

何かを始めたり選択したりする時に、周りから自分や自分がやることがどう思われるか、ということを気にして自分がやりたいことをできなかったり、言いたいことを言えない、という人は結構多いのではないかと感じる。

会社員であれば上司や会社が、サッカー選手であれば監督やチーム、サポーターが、もしくはもっと広く世間から自分がどう見られるかを考えることがあると思う。

僕の意見は、自分や自分がやることは周りからこういう風に思われてるだろう、ということは実体がなく、自分がやりたいことをやるべきだと思う。

僕は2019年にV・ファーレン長崎を契約満了になって、その後チームを見つけるのに苦しんだ。
16歳でプロになって26歳でチームがない、という状況は惨めに感じたし周りからもそう思われてるだろうなと思っていたから、トライアウトに行くことも満了のリリースが出ることも嫌だった。
ボスニアやベトナムに練習参加に行った時も、16歳でプロになったやつが10年経って、誰も行かないような土地でなりふり構わずチームを探してる姿は知られたくなかった。
SNSを更新することもできなかったし、親しい友人や身内にしか打ち明けられなかった。

だからボスニアやベトナムでの写真はあまり撮ってない。
精神的にきつかったのもあるけど、見られたくなかったからだ。

だが結果としてトライアウトは行ってみたら、思ってたほど悪いものではなかったし、チームが決まらず苦しんでた時期も今振り返れば自分にとっては素晴らしい時間だった。

当時更新できなかったSNSも今の自分だったら全てを曝け出して、見てくれてるフォロワーの人たちを巻き込んで応援してもらって、チームを見つけた時にはコアなファンを増やせる、という発想もできたと思う。


僕は自分のサッカー人生で後悔してることが1つだけある。
2013年、20歳の時にレンタル先の長崎で初めてサッカー選手として、1シーズン通して試合に出て充実したシーズンを送った後、レンタルバックでFC東京に帰ることになっていた。

2014年シーズンが始まる前のキャンプ時にヨーロッパの有名チームからオファーをもらった。

だが、僕は断った。

当時は今のようにJ1で試合に出ていない選手が、海外に行く例は少なかったし、J1で実績もない自分がヨーロッパで通用するはずなく、FC東京で試合に出てから行くべきだと思ったからだ。

多分周りからもそうするべきだと思われていただろうし、自分自身もヨーロッパでやっていく自信をつけてから行くべきだと思った。

という自分の決断を肯定する理由を探した。

僕はそれを後悔している。

行ってれば選手として成功できたかもしれないからとか、結果として残ったFC東京で全く試合に出れなかったからとかそういうことじゃない。

こうあるべきだ、ということに囚われてチャレンジしなかったことを悔やんでる。

何かにチャレンジするとき『自信』や『確信』なんて必要なかった。

今の自分でぶつかって、コテンパンに打ち砕かれたらそれまでだし、むしろそのほうがいいかもしれない。

自分にとって過酷で危険な道の方が成長できることを知っていたのに、その選択ができなかった自分が悔しい。

自分がこう思われてるから、こうあるべきだ、と思って守ってる自分なんて壊せばいいし、結局のところ周りからこう思われているだろうという自分はそもそも実体がない。

自分が気にする程、いい意味でも悪い意味でも周りは自分のことを気にしていないし、本当の意味で自分を貫くべきだ。
辛く苦しかった時間が、今では自分にそう思わせてくれてる。

だから今は周りにどう思われてるかとか、こうあるべきだなんて事は考えてない。
洋服を始めるときも、他の何かを始める時も周りにどう思われるか、ということは全く考えなかった。
前よりもさらに自分らしくいられるようになって、シンプルに生きれるようになった。


人生は選択の連続で自分を貫くことは危険で難しいことかもしれないけど、これからも自分らしく刺激的でチャレンジングな選択をできるようにしていきたい。

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