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言葉は世界の解像度

休日の午後にAlpaca白ワインを1杯飲みながら、noteを書いております。
(休日の陽が出ている時間からお酒を飲むのはかなり久々ですが、少しばかりの罪悪感と引き換えに味わってみる心地よさもあるものですね笑)

あの人は”頭が良い”、このようなフレーズをどこかで必ず1度は耳にしたことがあると思います。学校、職場、塾...果てはSNS上であっても、よくよく聞いたり見かけたりする表現です。

前までは何も意識することなく使っていた”頭が良い”というフレーズを、改めてよくよく考えてみた。すると大体こんな意味に落ち着いた。

・いつもテストの点数が高い
・高校までで習う学習内容が定着している
・他人の説明や話を素早くかつ正確に理解できる

このうちの少なくとも1つに該当していると、おそらく頭が良いという判定をしていたように思います。だけれども、今考え直してみると、頭が良い人というのはもっと多岐に渡っていて、この世界には色々な側面で”頭が良い”方がいるんだよなぁ...とふと思ったのです。

・過多な情報を統合して、理解しやすいように分類・カテゴライズできる
・2つ以上の要素を組み合わせて新しいものを生み出すことができる
・情報の真偽を正しく行うことができる
・自分の情報や知識を他人に分かりやすく教えたり伝えたりできる
・教養的な知識を幅広く、深く所有している
・物事の枠組みを考えたり、作り出したりできる

ここに挙げた以外にも”頭が良い”に該当する例は数多くあるのだと思います。

普段、言葉を使う時、どれほどその言葉の輪郭がぼんやりしているのかを意識することは滅多にない。自分の認識や考えが当たり前のものとして、言葉を聞き、話し、そして書いている。

話しながら、聞きながら、そして書きながら、そのことに気づいた。

自分で使っているこの瞬間、この言葉の意味は何だろう?この言葉はどういうことを表しているのだろう?と、改めて考えてみると、意外な程に意味がぼんやりしているのだ。

こんなことに気がついた僕は、少しでも相手に明瞭に伝わるように、誤解を与えないように、間違って解釈されないように、以前より言葉を選ぶようになった気がする。


世界の解像度は語彙力によって変化する。自分(と相手)が持っている言葉の辞書が豊かであればある程、世界の物事や事象は細かいレベルにまで分解できる。その逆に、辞書が乏しいと世界を大雑把にしか捉えることはできない。

”見る”のか”注視する”のか”閲覧する”のか...行為の細かいニュアンスや様子を表すためには語彙力が必要不可欠だなぁ...。でも自分の頭の中の辞書をもっともっと豊かにするには、言葉に対して常に疑問を持つ姿勢を忘れないようにしないと、なかなか難しいのかなと感じます。

今や誰しもスマートフォンを装備し、分からないことや知りたいことがあれば即座に無限の情報を検索して、自分の知識として扱うことができます。

携帯電話やスマートフォンが登場する以前の世界であれば、頭が良い人=知識を多く持っている人というのが、おそらく共通認識として理解されていたのだろう。けれども今やスマホを武器として携えた我々の世界では、皆が等しく情報にアクセスできる権利を持っていることに他ならない。

おそらく今現在の世界において”頭が良い”=”上手に検索できる術を知っている”ということなのではないだろうか。その手に持っている魔法の機械を如何にして自分の思い通りに、自分のメモリーパートナーとして活用できるのかが、所謂”頭の良さ”に繋がっているのでしょう。

だからこそ、日々疑問に思ったことや気づいたことをそのままにせずに、なるべく早くググるようにしたいと思ってます。(正直まだまだできていない)そうすることが、この変化の激しい現代の状況に追いつく方法とも言えるかもしれません。


ここ最近は空模様がどこか梅雨混じりです。そして夏の雰囲気を早くも携えている気がしております(´`)...。

もう気がついたら5月も後半戦。あと1ヶ月と少ししたら、1年の半分が終わり。

今年も結局コロナに振り回される1年になりそうですねぇ...。

STAY HOMEしつつ楽しいこと見つけましょ。

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