クリエイティビティを取り戻す
言いたくは無いが、時間が無い。
いや、時間が無いというのは違う。正しくは時間が(圧倒的に)足りないのである。
あれもしたい、これもしたい、それもやりたーい!と思考を巡らせTO DOを考えているうちに、膨大な想像を巡らせていて、思考がとっちらかったまま気がついたら現実に引き戻されている...なんてことが多々ある。
クリエイティビティ=創造性、と日本語に訳されるけれど、別にこれは形のあるものに対してだけ使われるものではないと思います。
おそらく多くの文脈では、新しい”モノづくり”といった意味合いで使われる言葉だけれども、新しいサービス / 価値 / 体勢 / 概念...を創造するのもクリエイティビティだと思うわけです。だから何だっていう話ではあるんですが。
とはいえども、文章を綴る、コンテンツを制作する、曲を生み出す、絵を描く、映像を作る...いわゆる”クリエイター”という領域に関係する行為に対してクリエイティビティという言葉は良く似合う。
クリエイターって良い響きですよね...!
じゃあ一体、クリエイティビティの一番の敵ってなんだろう?と、ふと考えてみたわけです。0→1の作業も然り、1と1を足したり掛けたり、時にはブレンドしたり...そんなこんなで新しいものを生み出す過程に対峙する人にとって、一番のハードルとなるもの。
知識・センス・経験・時間・場所...これは正直どうにでもなる要素とでも言えばいいんでしょうかね...とにかく量や質や工夫等をして改善したり克服したりしやすいものかなと感じています。(でも、この中だとセンスはなかなか難しい場合もあるなーって後々思いました)
本当に厄介なものは”めんどくさがる気持ち”です。そう、想像したものを創造する行為に移すそのプロセスがクリエイティビティにとって最大の阻害要因だと思うわけです。
忙しいだの、時間がないだの、そして経験が足りないやら場所がないやら知識が無いやら...こういうのは全て「めんどくさいなー」の言い換え表現に過ぎないのかもしれません。
心の底から”あ、これは自分が創造しなければこの後の世界で同じものを作り出す人が絶対に現れないんだな”という気持ちが少しでもあれば、自然と行動に移るものじゃないかと...というか、気がついた時には書いたり作ったりしているし、それを微塵も億劫だと感じません。
だからといって、無意識的に創造行為に移るものだけを掬い取って、その他の億劫になってしまうレベルのアイディアに関しては、再び空中に返してしまえばいいとも思わないのです。
そもそも、めんどくささというものは0→1の工程だけに訪れるものではありません。
曲作りで言えば、最初のアイディアを元に楽器を弾くプロセス、コード展開を考えるプロセス、歌詞を考えるプロセス、アレンジを考えるプロセス....と無限にめんどくささが入り込む余地があります。
小説や物語を作る時だって、登場人物の名前、全体の流れ、設定や背景知識とかを細かく作り込むのに、どれほどの時間がかかり、幾日も思考を巡らせる過程を必要とします。そこに”めんどくさい気持ち”が侵入してくることの機会の多さは、想像するに容易いのではないでしょうか。
だからこそ、”めんどくさい気持ち”をいちいち相手取っていたら、クリエイティビティを発揮したいのか、めんどくささを追い払いたいのか、どっちが目的なのか忘れてしまいそうになるんじゃなかろうか...
そう、君の素晴らしい、唯一無二のクリエイティビティがそんなくだらない"めんどくさい気持ち"にやられないようにするためには、日々の工夫や自分ルール、そして近代文明の利器を存分に使いこなしてやろうぜ!というお話です。
で、僕がやっていること?というか、仕事をしながらでも、noteをなんとか拙いながらに続けられている理由をここに記録しておこうと思ったわけです。
もちろん読者によっては、既にされているものもあると思いますし、やってみて合わなかったとか、まだやったことないとか、色々なケースがあると思うので、話半分くらいに考えていただけたら一番いいんじゃないでしょうか。
冗長的に書くのもあれなので、(なるべく)箇条書きにします。
(その他創作に属すると思われるものに共通することも書いておきます)
・タイトル、ヘッダーの画像、内容の一部、使いたい言い回しのどれか1つだけでいいので、新規作成して下書きに保存。
・キーボードを打ってて、5分以上文字が進まなくなったら終了する。
・使いたい言い回しが複数出てきたら、記事を分けて保存しておく。
・iphoneのウィジェットにnoteの下書きを表示させて、毎日ちらっと見る
・読んでいる本の中から”おっ”と思うフレーズや内容があったらメモる。
メモはnoteか、iphoneのメモ機能とかの即時同期可能なもの。
・ある程度下書きは溜めておいて、一覧にして眺める時間を持つ。
具体的に何分眺めるとかは決めてません。
・誰に読んでほしいかを想像しながら書くようにはしている。正確に言うと誰に読んでほしいかというよりかは、読んでほしい人が読んでくれたと仮定して、その人にどう感じてほしいかを想像するという方が近い。
・電車の移動時間とかでは清書しない。下書きか箇条書きでアイディアを書きためておく。
・ある程度書けてきたら、一度全体を流し読みをする。違和感を感じたところや表現の重複の不自然さを見つけたら修正する。
・何でnoteを書き始めたのか、何が目的なのかを思い出してみる。
(僕の場合ですが)いいねがもらえる記事を書いているわけじゃないと自分に言い聞かせる。僕にとってはあくまで記録、アーカイブ的な役割を主としてここに文字情報を残しているわけであって、「1人でも多くの人に読まれる」noteを目指しているわけではないということを忘れないようにする。
もちろん読んでもらえたり、いいねをもらったら嬉しいけれども、その数を集めるのが本来の目的じゃないことは忘れてはいけないということです。
うーむ...なんというか英語の学習と似てるんですよね、なんとなくですけど。溜めて溜めてどこかでどかーんと書くんじゃなくて、毎日ほんの少しでもいいから書いていくというか...触れない日を作らないというか。
継続は力なりじゃないですけど、僕はそういうタイプなんだなって再認識しました。あとはやっぱり言語化することって非常に大切だし、人間の言葉の機能をより活用した方が、日々割と健やかに過ごせるんじゃなかろうかと思うわけです。
また年末あたりに、自分がどんなnoteを書いてきたか一度振り返るようなnoteを書くのもありかなと思いました。
さーて、明日は連休最終日か...英語の勉強しよ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?