『リズと青い鳥』考察
もうすぐで『響け!ユーフォニアム』第3期が始まるということで、過去作全部は無理でも、せめて『リズ鳥』だけはもう一周しておきたいと思って、改めてこのガラスの世界を覗き込んでみた。前々から本作については色々書きたいと思っていたから、この機会に自分の解釈や考察を綴ってみたいと思う。
ネタバレ全開なので、万が一まだ『リズと青い鳥』を視聴していないのであれば、今すぐこのページを閉じてお持ちの動画配信サービスを開くことをおすすめする。
12000字を超える長い記事となるが、是非最後までお付き合いくださいませ。目次から気になるところたげ読むのもよろしいかと。また、ネット上の神たちと比べて読解力も文章力も足りていないので、変なところがあったら暖かい目で見てくれると嬉しい。
はじめに
本作は大変文学性をはらんだ多義的に解釈できる作品であり、ここに記すのはあくまで私個人の一見解にすぎない。意見や反論があればどうぞコメント欄に。というかコメントしてくださいお願いします。
まず最初に、特に意見が別れやすいいくつかの点において、私がどういう派閥に位置するかを明確にしておきたい。
・みぞれは希美に対して友情以上の思いを抱いている。またそれを希美は察しているが気づかないふり(放置)をしている。
・希美は本作が始まった時点で既にみぞれの才能に気づいており、嫉妬している。
・みぞれの行動理念は「希美の後を追いかけること」。
・希美の行動理念は「みぞれと対等であろうとすること」。
・リズと青い鳥の対応関係は
みぞれ=リズ 希美=青い鳥
↓
希美=リズ みぞれ=青い鳥
という構造の変化がある。ただし、「みぞれ=リズ 希美=青い鳥」はただ二人の勘違いであり、初めから「希美=リズ みぞれ=青い鳥」の関係性である。
・みぞれの「髪を触る動作」と希美の「足を動かす動作」はどちらも心の揺らぎを表し、嬉しかったり傷ついたり嘘をついたり迷ったりするときに無意識に行われる。
二人の儚く脆い関係性
最初に希美がみぞれを吹奏楽部に誘った瞬間から、二人の関係性はある程度決定した。ずっとひとりぼっちだったみぞれに音楽という新しい道を与えた希美は、みぞれにとっては光のような存在だったのだろう。彼女に好意を抱き、彼女を憧れるようになるのも、そう不思議なことではない。希美もみぞれとは仲良くなりたかったからこそ、彼女を吹奏楽部に誘ったのだろう。結果的に二人は親友とも言える関係になったのだ。
しかし、その関係性は儚くて脆い。なぜなら、両者の思いにはすれ違いがあったから。
みぞれは希美に憧れている。だからこそ、朝に希美がやってくるのを待って一緒に部室に入る。その過程でもみぞれは常に控えめな足取りで、軽快なステップを踏む希美の三歩後ろを歩く。希美の後ろ姿を目で追いかける。希美が触れたところを自分も触る。希美が歩いたところを自分も歩く。水を飲まないのに希美の真似をして冷水機のボタンを押す。彼女はずっと希美に引っ張られている。言い換えれば、彼女にとって希美が全てである。それも仕方のないことだろう。希美が彼女の世界を広げたのだから。
一方で、希美は確かにみぞれとは友達でいながらも、また別の思いを抱えていた。それはズバリ“嫉妬”である。彼女はみぞれの持つ才能が羨ましい。それもそのはずで、自分が誘って一緒に吹奏楽部に入った子が、蓋を開けてみたら自分以上の才能の持ち主であったのだから、その心中は察するに余りある。みぞれがもたれかかってくる前に立ち上がったのも、自分から大好きのハグをしようと言ってやっぱりやめたのも、後輩からみぞれ先輩とは仲がいいですよねと聞かれ断定しなかったのも、全部隔意からくるもので、みぞれと同じ土俵に立っていないことの表れである。それでも、彼女にとってみぞれはかけがえのない親友であることに違いはない。
二人のそんな関係性は、まるでヒビが入ったガラスのようで、少しでも触れるとバラバラに崩れてしまいそうだ。それを辛うじて保つために、みぞれはオーボエに本気を出さないし、希美もそれに気づかない振りをしている。
「練習」と「本番」の意味
冒頭の二人での練習シーンにて、みぞれが無意識に発した「嬉しい」の言葉は、おそらく“希美と一緒に練習できて嬉しい”という意味だろう。それを希美は(わざと)読み間違えて、“この曲が選ばれて嬉しい”の意味で受け取っている。たぶらかされたみぞれの「知らない」の言葉は少し拗ねているように聞こえる。その後の二人の会話シーンを考えてみよう。
みぞれは「練習」を二人で過ごすこれまで通りの日常、あるいは二人の関係性という意味で使い、対して「本番」を、それが終われば部活を卒業することから、関係性の終わりとして考えている。それを知ってか知らずか希美は本番が楽しみと言ってしまった。だからこそ、「本番なんて一生来なくていい」とみぞれは呟いた。だって…の後ろに続く言葉とは、フルートとオーボエの掛け合いがあることから、「みぞれと対等になれる曲だから」がしっくりくるが、ここの解釈に正解はないと思う。
音大の志望動機と希美の「え?」
音大のパンフレットを丸めて手にするみぞれは、音大になんの興味もなさそうだった。それを偶然見かけた希美は、ここでもやはり対等性を求めて「私、ここの大学受けようかな」と言う。その瞬間、手持ちのパンフレットには意味が生まれた。希美を追いかけることが行動理念であるみぞれは、当然のように「じゃ、私も」と言う。しかし、それを聞いた希美からは「え?」と驚きの一声が発される。当たり前のように思われるこの展開において、「え?」の反応は不自然だ。その真相は後に明かされる。希美が言った「音大受けようかな」の言葉は、音大に行けばみぞれと対等になれるかもと思い、自然と発露した、思いつきの言葉だったのだ。しかしそれをみぞれは真に受けて、逆にみぞれの進路の決め手となった。それは希美にとって大きな誤算であっただろう。
それを認めたくないから、希美は夏紀と優子には「みぞれ、音大受けるんだよ」と、自分を含めずに言った。みぞれが「希美が受けるから私も」と返答したところ、沈黙が流れる。それは、前からみぞれの依存に気づいていた夏紀と優子が、そんなみぞれを憂いたからだろう。あるいは、外から見ても希美よりはみぞれの方が才能があるから、才能の大小関係との矛盾による気まずさを覚えたのだろう。またもそれを認めたくなくて、希美はジョークということにしたのかもしれない。
リズと青い鳥/みぞれと希美
ずっとひとりぼっちだったリズのところに、ある日青い鳥が現れた。青い鳥はリズと一緒に住むようになり、リズは孤独ではなくなった。これはみぞれと希美の関係にピッタリとマッチしている(ように見える)。冒頭に希美がみぞれに青い羽を手渡したことも鑑みて、『リズと青い鳥』という童話が「何だか私たちみたいだな」と希美が言った時点で、観客はみぞれ=リズ,希美=青い鳥と結びつけるに難くない。実際二人もそう思っていた。この時点は。
梨々花ちゃんの役割
本作において梨々花は間違いなくキーパーソンの役割を担っている。一番初めにリズと青い鳥の対応関係に疑問を呈したのが彼女である(無意識)。希美にみぞれのことで相談をした後、お礼にコンビニで買った“ゆで卵”を渡した。ゆで卵とは鳥になれない者のメタファーである。つまり希美に対してあなたは鳥ではないと暗に伝えたのだ。もちろん、本人は気づいていないが。
梨々花は幾度もみぞれに対してアタックを仕掛け、悉く突き放されても決して挫けず、ついにリードの作り方を教えて貰うことに成功した。そしてその後、超大事な一言を泣きながら口にする。
これまでずっと希美に憧れ、希美の後について行くことしかできず、希美が全てだと思っていたみぞれの世界に、新たな光が射す瞬間である。みぞれに憧れを抱く後輩ができたのだ。この一言は、みぞれが変化するきっかけとなった。実際、この後希美からプールの誘いを受けたとき、みぞれは初めて別の子(梨々花)を誘ったのだ。そのとき、希美は一瞬だけ驚きと不安を顔に出すが、すぐに表情は元に戻る。しかし彼女は、関係性の崩壊が始まることに気がついてしまったのだろう。
プールに行ったあと、写真をみぞれに送るときに添えた言葉が、「先輩大好きです」。本作において、みぞれ自身に対してはっきり「好き」と伝えたのは梨々花のみである。みぞれにとって梨々花の存在がどれほど重要かが伺える。
おもしろいことに、「剣」崎梨々花と「鎧」塚みぞれがちょうど攻めと守りの関係とマッチしていて、そこまで考えてキャラクターに名前をつけているのなら本当に脱帽である。
新山先生の態度の差
今年も橋本先生と新山先生が練習を見てくれる時期となった。この機会に、希美はみぞれに音大を勧めた張本人である新山先生に自分も音大を受けることを告白する。しかし返されるのは「頑張ってね。私で良かったら何でも聞いてね。」の二言だけ。志望調査票を白紙で出したのは私も同じなのに、なぜみぞれだけ……
後日、熱心にみぞれを指導する新山先生の姿を見て、ついに心の制御装置が外れた。嫉妬という名の負の感情は外の大雨のように流れ出す。みぞれと目が合うと、これまでは口パクで小さく頑張ろうと言っていたのが、今回は顔を背けてしまった。そんな希美の様子を不審に思い、後を追いかけるみぞれ。みぞれが自分から大好きのハグを求めるのを見て、やはりみぞれは変わってしまったんだと改めて認識する。そして、拒絶した。ここで、希美が元から抱いていたコンプレックスは大きく膨れ上がり、ついには爆発してしまったのだろう。
対応性の逆転-「強気なリズ」
前にみぞれに対して「ブレーキをかけているでしょ」と本音をぶつけた麗奈は、何かしらの助けになると願って、久美子と一緒にフルート・オーボエのソロパートを演奏した。麗奈の奏でたリズは夏紀の言葉を借りて「強気なリズ」であり、「じゃ、元気でな」とでも言っているようである。それを聴いた希美はついに自分は青い鳥なんかではないと気づく。
希美はずっと自分を青い鳥だと思っていた。一人だったみぞれを見つけ、友達となった自分は青い鳥に違いないと。しかしそれは違っていた。自分よりもよっぽどの才能を持ちながら、関係性を保つために本気を出さないでいるみぞれは、自分に縛られている。まるで、本当はどこまでも飛んでいけるはずの青い鳥の美しい翼を、リズが奪ってしまったように。このままみぞれと一緒に音大に行ってしまうと、大学でもみぞれを束縛してしまうことになる。みぞれを大切に思うが故に、彼女を解放してあげなければいけないし、自分の嫉妬の気持ちにも決着をつけなければいけない。
対応性の逆転-「愛のカタチ」
どうしても青い鳥を逃がしてしまうリズの気持ちがわからないみぞれは、新山先生に相談を持ちかける。そこで、リズと青い鳥のそれぞれの「愛のカタチ」を知ることになる。
これまでみぞれは自分をリズ、希美を青い鳥に当てはめていた。自分にとって希美は大切な存在で、大切すぎるあまり手放してはいけないと思っていた。これは、彼女がリズの気持ちについて、「好きな人を自分から突き放したりなんかできないから」という言葉に表れる。彼女がこれまで上手く演奏できなかったのは、ひとつは希美を大きく突き放したくなかったから、もうひとつはリズであるはずの自分がリズの気持ちがわからなかったから。そこで、新山先生の言葉を受けて初めて「もし自分が青い鳥だったら」を想像してみる。愛するリズの「自由にしてあげたい」という願いを、青い鳥は受け入れるしかないのだ。その願いがリズの愛のカタチであり、それを受け入れるのもまた青い鳥の愛のカタチであるから。彼女は、ようやく自分が青い鳥であることに気づく。
リズと青い鳥/希美とみぞれ
ついに本当の自分がわかった二人だが、その対応関係の伏線は最初から張られていた。一番冒頭の童話シーンで、リズは周りの動物達に餌をあげ戯れていた。その様子は現実でたくさんの友人に囲まれながら楽しくワイワイしている希美を想起させるに難くない。またそれを遠目に眺めていた青い鳥は、リズに見つかることも相まって、やはりみぞれと姿が重なる。青い鳥がリズ以外の人と話すシーンが見受けられないことや、リズのハンカチが風で飛ばされた時に翼を広げなかったこともまたそれの裏付けである。ここで冒頭の希美がみぞれに青い羽を手渡すシーンを思い出してみると、みぞれが発した疑問形のありがとうは、もしかするとその対応関係に対する疑いであったのかもしれない。
ここでひとつ大事なのは、リズの持つ「与える性質」である。リズは青い鳥を束縛している以前に、青い鳥に暖かさを与え、居場所を与え、食べ物を与えた。これは希美がみぞれと友達になり、音楽の道を指し示し、進路の決め手を与えたことなどに一致する。つまり、希美は初めから「リズ的性質」を備えていたのだ。
もう少し深く考察してみる。希美=リズであるとすると、リズの持つ「ひとりぼっちである性質」に矛盾する。だが一度考えてみてほしい。リズは確かに一人で住んでいるが、本当に孤独と言えるだろうか。彼女には動物の友達がたくさんいるし、仕事場であるパン屋さんでも交流がある。決して他人との付き合いが苦手なタイプではないはずだ。ただ本当に親しいと言える人間がいないから、「ひとりぼっち」である。そのような存在を希ったから、青い鳥を見つけ、助けたのではないだろうか。これを希美に当てはめてみると、みぞれに声をかけたことに、また違った意味が現れてくる。
また、本作では結末以外全てのシーンが学校の中で完結する(あがた祭りやプールは言及こそされるが実際のシーンはない)。これは、学校という舞台が「鳥籠」の役割を担い、青い鳥を閉じ込めていることを表す。結末のみ学校の外が映し出されるのは、リズが青い鳥を解放してあげたことの象徴。実に巧妙な仕掛けである。
籠の開け方と自ずから飛び立つ青い鳥
決着をつけると決めた希美は、夕日に照らされた街並みを遠く眺めながら、リズの言葉を口にする。
籠の開け方とはすなわちみぞれとは別々の道へ行くことだろう。自分の嫉妬の気持ちをうち明け、みぞれに自分から離れてもらう。そう決意したのだ。夕日とは沈みゆく太陽、それは二人の関係性の終焉を表す。しかしこの時点で、彼女はみぞれもリズと青い鳥の真の対応性に気づいたとはまだ知らない。
翌日、みぞれは飛び立った。自分は青い鳥であり、飛び立つべきだと考えたみぞれはオーボエを本気で吹いた。それを目の当たりにした希美は自然と涙をこぼす。この涙には様々な含意があるだろう。ついていけない悔しさ、やはり上手だという嫉妬、そして、もう二人はこれまで通りの関係ではいられないことへの悲しみ。覚悟はしていたが、まさか先にみぞれからそれを突きつけられるとは思いもしなかったのだろう。余談だが、ときどき画面のピントが合わなくなる演出は、希美の涙でぼやけた視界を表す。これのおかげで更に感情移入できるようになり、繊細で臨場感溢れるシーンに仕上げている。さすがである。
大好きのハグと告白と失恋
いよいよクライマックスである。この生物学室内で行われる会話は全てが超大事なので、一言一句咀嚼しながら考察してみよう。
まず希美がこの生物学室に逃げてきたのは、おそらく無意識によるものだ。みぞれにとって思い出深いこの場所を決戦の地にしようとは思っていなかったはず。なぜなら、みぞれが追いかけてきたとき、明らかに驚きの表情をしたから。しかし都合はいい。ちょうどここで決着をして、みぞれの最後の足枷をとってあげよう。
大丈夫?と問いかけながら手を自分の頭に置こうとしたみぞれの動きを言葉で制止する。一言目から残酷極まりない。ずっと気づかない振りをしていた事実をみぞれに詰問する。それはもう終わりにしようという合図である。そして、青い鳥であるみぞれをずっと自分が縛っていた構図の再確認である。
ここでの「ずるい」とは、「みぞれが自分にはない才能を持っていることがずるい」や、「みぞれだけが新山先生に音大を勧められてずるい」という意味である。みぞれの「違う」の言葉は、咄嗟にでてきた反射的な否定であり、効力を持たない。
音大を志望した動機をみぞれに明かす。それはすなわち自分の嫉妬の気持ちをみぞれにぶつけたことと同義である。
注目すべきはみぞれの反応だ。これまではただ弱々しく否定していただけなのに、「私、普通の人だから」の言葉に対してははっきりと力強く違うと言い切った。なぜなら、みぞれにとって希美が「普通の人である」はずがないからだ。その言葉だけは、どうしても否定しなければならない。しかしそれすらも、希美によって遮られてしまう。とうとう我慢できなくなったみぞれは、今度はこちらから希美の言葉を遮る。
希美に対して愛をぶつけるみぞれ。そう、「愛」である。「love」である。初めに言った通り、私はみぞれは希美に対して友情を超えた感情を抱いていると信じている。だから、こんな重い言葉でも大袈裟ではない。自分は確かにそう願っているから。ここでの希美の「ずるい」とは、純粋な愛をぶつけてくるみぞれによって、自分の決意が揺らいでしまっているという意味ではないだろうか。ようやく打算を捨て、みぞれを解放してあげようと決めたのに。
ここでひとつ考察をしてみよう。希美とみぞれは共依存関係にあるのではないだろうか。みぞれが希美に依存しているというのはこれまで幾度も述べてきたので省略するが、希美がみぞれに依存しているとは一体どういうことか。希美はみぞれに頼られることが嬉しい。みぞれが他の誰でもない、自分を好きでいてくれることが嬉しい。希美はみぞれの気持ちを利用して心地良さを覚えているのだ。この関係を失いたくなくて、みぞれをそばに置いているのだ。先述したリズの「ひとりぼっちである性質」を踏まえても、やはり希美もみぞれに依存していると考えるのが妥当だろう。しかし同時に、彼女に対して嫉妬の気持ちも確かに抱えている。だから、共存する依存と嫉妬の矛盾性から、希美はみぞれに対して隔意をもっていて、肝心なときはみぞれを避ける。それが彼女の言う「軽蔑されるべき」正体である。
色々ごちゃごちゃしてて混乱すると思うからまとめると、みぞれは希美に対して純粋な愛(愛ゆえの依存)のみを抱いており、希美はみぞれに対して友情や嫉妬や依存や隔意など多くの感情を抱いているということだ。そんな闇鍋のような心の内を持った彼女は、決してみぞれが憧れるべき存在ではない。
でもそんなことはみぞれにとってどうだっていい。むしろ、希美のそんな態度があったからこそ、いま自分はここにいる。追いかけることしかできなかった過去と違って、彼女は今自分から動くことができる。そして三度目の大好きのハグを求めた。きっと、告白の意味を含んで。
ちなみに「なんでそんなに言ってくれるのかわかんない」は私は嘘だと思っている。ただここの嘘は、もう隔意なんかによるものではなく、自分はみぞれには似合わないと思っているからだろう。
作中、希美とみぞれの間で三度「大好きのハグ」が登場する。一度目は希美がしようと言って、それにみぞれが応えようとするとやめてしまう。これはすれ違いを表す。二度目は嫉妬の頂点に達した希美にみぞれが要求し、拒絶される。これは関係性の亀裂を表す。三度目は自分の思いをぶつけ合う中でみぞれが希美に抱きつく。これは愛を表す。三度のハグからわかるように、みぞれは常に同じような「好き」を抱いているのに、希美は気持ちを変化させ続けている。
大好きのハグ中、みぞれによる最初のセリフは「感謝」である。二つ目のセリフは「憧れ」である。そして三つ目のセリフは「告白」である。それぞれに対する希美の返答を見ていこう。
自分を見つけてくれたことへの「感謝」に対して、希美は「覚えていない」と答える。もちろん嘘である。むしろ後の回想シーンからわかる通り、みぞれよりも鮮明に覚えている。ではなぜ嘘をついたのか。やはり「みぞれを解放する」ためだろう。みぞれが楽器をやり始めたきっかけは確かに希美であるが、同時にそれは束縛のきっかけでもある。だから、その記憶をみぞれにも忘れさせたかったのだ。理由はそれだけか?否だ。希美自身、このことを否定したかった側面もあるだろう。みぞれに対するあらゆる感情の始まりであるその記憶を、封じ込めておきたかった。それは、自分が「汚い人間」になる始まりでもあるから。
「憧れ」に対して、希美はみぞれに「努力家」という言葉を当てはめる。「努力」について広辞苑を開くと、「目標実現のため、心身を労してつとめること」と書いてある。これを踏まえると、みぞれの努力とは「希美への感情が実るために、ずっと同じ純粋な気持ちを抱き続けること」である。これは希美には不可能なことであり、だから、そんなみぞれに対して彼女もまた憧れているのだ。
最後、みぞれは希美の好きな点をひとつひとつあげていく。そのとき、希美の目は絶えず揺れている。まるでなにかに期待しているように。しかしその言葉はついにみぞれの口から出なかった。だから、みぞれの最後の、一番の告白である「希美の全部が好き」を途中で遮り、反対にみぞれにとって最も残酷な言葉を突きつける。
「みぞれのオーボエが好き」
この一言に含まれる意味を正確に捉えるのは非常に難しい。多分、たくさんの考察が存在するだろうが、自分はこう考える。
まず、希美はフルートが大好きである。大好きで、誰よりも練習してきた自負がある。しかし、みぞれの才能にはどうしても勝てない。それでも、ずっと頑張ってきた自分を褒めて欲しくて、みぞれには「希美のフルートが好き」と言ってもらいたかった。それなのに、みぞれはその言葉をくれない。そんな諦めの気持ちを乗せて、「みぞれのオーボエ」が好きと告げる。
それは同時に告白を断る言葉でもある。みぞれにとっての唯一の正解は、希美がその言葉を口にする前に、「希美のフルートが好き」と言ってあげることだ。しかし今となっては、言ったところで後出しジャンケンであり、本心からの言葉ではないだろう。だからこの時点で、みぞれは「詰み」である。もうこの気持ちが実ることは不可能となった。
追い討ちに、それは「部活が終わればそれまでだ」という再確認でもある。本音をぶつけられもはや別れは回避不可能だと悟ったみぞれは、もうそれを受け入れるしかない。自分一人で音大に行こうと決意したのもまさにこの瞬間である。
ここでフグについて考えてみよう。フグとは希美のメタファーである。希美はみぞれにとって毒であり、また、みぞれがフグに餌をやることは、希美がみぞれに依存していることと同義である。そしてここのシーンでは、フグはこちらに背を向けて向こう側へと泳いでしまう。これは希美がみぞれから離れてしまうことを表し、もうみぞれの気持ちが叶うことはないということを示す。
さらに、この言葉はそれぞれの解放の意味をもつ。みぞれは希美への感情が叶うことがなくなって、本当の意味で希美の束縛から解放された。希美もまた、もう天才なみぞれのオーボエについていかなくてもいい、もうみぞれに嫉妬しなくてもいいという安堵が生まれる。二人はこの瞬間、ようやく純粋な友達同士となったのだ。隣合って空を飛ぶ二羽の鳥のように。
この後希美は大きく笑い出すが、この笑いには諦めと安堵の気持ちが含まれる。続けて発した三度の「ありがとう」は、みぞれの気持ちに対する感謝であり、同時に拒絶の言葉でもある。また、帰りの廊下でみぞれを部活に誘う記憶を回想した後、大きく空気を吸って飲み込んだのは、先述したように封じ込めておきたかったからである。封じ込めて、前へ歩き出す。気持ちを一新した様子が伺える。
disjointからjointまで
序盤のdisjointと終盤のjoint、どう考えても二人の関係を表していることは明白だ。disjointは「ばらばらの」という意味で、数学的に「互いに素」を表す単語でもある。そしてjointは反対に「繋がった」という意味。二人は互いに対して別々の感情を抱いていたのが、今は調和が取れたシンプルな関係となり、より低いステージで繋がりをもつようになった。青と赤が混ざり合い、紫へと変わるカットも印象的である。
それぞれ違う道へ進み、ただの友達同士になった二人。希美は今や嫉妬の感情を全て捨て、みぞれより下の位置から「みぞれのソロ、完璧に支えるから」と告げる。希美との別れを受け入れたみぞれも、「(希美のためではなく自分の意思で)オーボエ続ける」と宣言する。「本番、頑張ろう」の言葉が被ったのも、二人の心が一つになったことの表れであり、最初は本番を望んでいなかったみぞれがハッピーアイスクリームを口にすることから彼女の変化が伺える。
二人は確かにようやく本当の意味で「繋がった」と言えるが、それは「別れ」の上にて成り立つことを考えると残酷のように思える。しかし、希美が「リズに会いたくなったら、まだ会いに来ればいい」と話したように、私はやはりこの物語はハッピーエンドだと思いたい。
最後に
さて、ここまで長々と書いてきたが、考察できた点は本作を構成する要素の半分にも満たないだろう。初めに言った通り、『リズと青い鳥』は本当に文学的な作品で、その全てを考察することは不可能である。軽くネットで感想を調べてみたところ、私と似ている意見、真逆の意見、新しい意見、とにかくたくさんのものが見られた。正直近年ここまで考察で盛り上がりを見せた作品は『リズ鳥』だけではないだろうか。それほどに本作は人々の心に残った、「名作」であることが言える。
ちなみに私は「傘木希美」というキャラクターが大好きである。なかなか共感してもらえない性格の持ち主であるが、人の心とはもとより混沌としたもので、一言二言では説明できないものである。だから、一人の人間に対して好意と悪意を同時に向けられた彼女は、どの登場人物よりも「人間らしい」と私は思った。
山田尚子監督をはじめ、本作に携わった全ての人間に感謝の言葉を申し上げたい。これほどに繊細で美しい芸術作品を世に出してくれて、本当にありがとうございました。京アニではなくなるけれど、今年上映の『きみの色』も大変楽しみにしています。