トルコ滞在記録8【東洋と西洋の混ざり合う土地で】
どうも!
今日のアマスラは快晴でした。
気づけばトルコでの滞在もあと10日程度です。
あっという間です。
トルコでの滞在は奥深く、知的探究心がくすぐられることが多いです。
このエリアは緑も多く、湿度も高いです。
温暖な地中海、黒海の沿岸地域と海の影響が遮断され乾燥した高地の内陸部。
国内でこんなにも自然環境が変化するエリアも珍しいなと思います。
また人の雰囲気もトルコは独特です。
滞在した国の中でダントツでの親密性がある印象があります。
5歳くらいの子どももおじいちゃんもおばあちゃんも常に挨拶以上に、どこから来たのか?や、なんできたのか?的なことを聞かれること多いです。
また常に何かサポートをしてくれる姿勢を感じます。車がちょっと段差に捕まりそうな時は、一言声をかけてくれるなんてこともしばしばです。
さて、そもそもトルコを訪れた理由は(広義の意味での)西洋と東洋の合流地点であるトルコでは世界が混ざり始めた現代の複雑化する世界で生きていく上での何か大きなインスピレーションが得られるかもしれないという期待からでした。
そもそも西洋と東洋という概念が文脈により変化するものなのでそこまで厳密に突き詰めることはしていません。
個人的には西洋は理性を基礎に置いた直線の思想、東洋は身体を基礎に置いた円の思想。双方ともに状況により良し悪しがあると思っています。
実際に滞在していても東洋的や西洋的という括りではカテゴライズできないことの方がほとんどです。(多くの国でそうだと思いますが。)宗教やその土地の環境などさまざまなことが影響し、思考や習慣を形成していることを考えるとエリアごとに多様な思考習慣を持っているように感じます。
また、実際にはイスラム教をベースにしているのでそこを起点にイスタンブールを中心とした地中海や黒海沿いは西洋的な側面が景観や文化的活動に強く出ているような気がしました。
ただ、南東に寄っていくほどに景観や文化が東洋的になるかというとそうではなく、どちらかというと中東っぽい空気感を強く感じるというのが正直な感想です。
一方で自然の見方や生活習慣は東洋っぽい感覚を受けています。
自然の見方については人間と自然という概念的に分けられた位置付けというよりも一体的にその全体的な構造の中に「人」という存在も埋め込まれているような印象です。だからこそ動物との共存も比較的当たり前のこととして生活に組み込まれているのかなと思いました。
イスラームの教えの中でも常に自分自身の身体的な営みが重要視され、哲学的な思考世界のことよりも日々の実践をしていくことを基礎にしているような印象を受けます。
基礎習慣は東洋的でありつつも、その上に西洋的な思考が乗っかっているそんな全体的な印象を受けました。
その点では日本に似ているなぁという感想です。
ただ、過去から今にかけても様々な文脈が混在しています。
常に西から東から、南から北から様々な文化や背景を持つ人が流入し続ける国。とても曖昧な状況を許容できることはこのエリアの特異性なのかもしれません。
だからこそトルコでの生活では知らない感覚、見方だらけでとても面白いです。
そしてこの滞在中に得た印象が実際にはどうなのか?ということについて確かなことは一つもありませんがまずは自分自身の忘備録としてこの感覚を残しておこうと思います。
まだまだ10日も続くのでもうシャープな問いを持ってここでの生活を楽しんでいこうと思います。
それでは!