恋愛を経験すると音楽が上達するのか?

まず、タイトルの訂正をさせてもらいます。

正しくは「恋愛やそれに付随する性交為の経験は、演奏技術や音楽の研究にかならずしもプラスに作用するのか?」です。

なぜ"音楽の上達"という意味不明な文言をあえてタイトルにしたかというと、この手の話題に食い付く人たちはその多くが人をあいまいな甘言で釣ろうとする人か、逆に騙されて簡単に釣れるカモだからです。

マリンバ(大型木琴)奏者のHaseです。

数年前からSNS等でこのような説がまことしやかにささやかれており、その説を提唱する演奏講師や"自称"演奏講師がちらほら現れ、それに賛同する人も一定数いるようなので、個人的に「恋愛やそれに付随する性交為の経験は、演奏技術や音楽の研究にかならずしもプラスに作用するのか?」という説への個人的な所見を述べたいと思います。本題は一番最後にあります。

以下目次です。



・恋愛は演奏を良くするのか

これは「否定。恋愛や、それに付随する性交為が演奏を左右する場合もあるが、その体験が必要不可欠なものでは決してない」と言えると思います。解説します。

この説がどういうメカニズムを含んでいるのか考えると、

内面が変わると演奏も変わる

演奏を変えるために内面を変える

内面を手っ取り早く変えるには恋愛

のような、逆説的なアプローチが見てとれると思います。

たしかに、心のありようが演奏に出る、というのは(僕の主義にはやや反する※が)まぁあり得る話でしょう。

※心のありようで演奏がいちいち変わっていたら安定したパフォーマンスができないし、そもそも感情に振り回されて演奏をコントロールできないって演奏家として致命的では…?

しかし、心のありようはどんな時も変わる可能性があります。自然に触れたり、芸術に接したり、恋愛以外の人間関係を通してだって感情は動き、それが良くも悪くも自分の演奏に更なる変化を与えます。内面を変えるために恋愛を手段として使う必要はないわけです。

あと、そんな事にうつつを抜かしている時間があるなら普通に練習している方が有意義でしょうし、どうしても越えられない壁があるなら、恋愛説に手を染める前に演奏をちゃんとした人に教わった方が絶対にいいです。そのために音楽教育機関があるわけですから。


・この説の問題点

「恋愛やそれに付随する性交為の経験は、演奏技術や音楽の研究にかならずしもプラスに作用するのか?」この説を提唱する人をSNSで見かけたとき、まず僕は"こいつら責任取れんのか?"と思いました。

恋愛には"ある特定のパートナーと共同体を作り、共同体としての幸せを目指すもの、またはその演習"と"擬似的な恋愛や性交為そのものを目的としたもの"の大きく2つがあると考えています。この辺は時代と共にフワフワ形を変えるので別にどうでもいいんですが。

もし中高生にこの説をささやく大人がいるとしたら、子どものすぐに他者の影響を受けて形を変えてしまう繊細な心をなんだと思っているのでしょう。演奏講師の恋愛説を信じ込んで、生徒が性的な暴力を受けたり、性被害に遭い人生が変わってしまったら、いったいその講師はどうするのでしょうか。「別にそこまでやれって言ってねえしw」と煙に巻いて逃げるカスがありありと脳裏に浮かびます。こうなったら死刑しかありませんが、問題は子どもの人生は取り返しがつかないということです。

そして「統計取れてんの?」という問題もあります。

恋愛感情が心理学としてどう捉えられているかは存じませんが、「恋愛やそれに付随する性交為の経験は、演奏技術や音楽の研究にかならずしもプラスに作用するのか?」説を立証するためには、実験をするか統計を取る必要があります。探してみましたが少なくとも日本国内にはこのデータは無い(あったら教えて)ようです。逆に、YoutubeやSNS、ブログ等で恋愛と音楽の相互関係に言及したもの(イケメン美女がダラダラ経験談を話すみたいなやつ)を見かけることが多く、こういった個人体験に基づいて「恋愛やそれに付随する性交為の経験は、演奏技術や音楽の研究にかならずしもプラスに作用するのか?」が構築されていったとすれば、それはデータもソースのない「疑似科学」に近い性質を持っているものだと推測できます。

根拠の明示できない説を唱えて演奏を指導している人、まさかいませんよね…と思ったらいたわ、という話でした。


・なぜこの説が流布しているのか

理屈と屁理屈を述べていきましたが、今回のキモはここにあると思っていて「なんでそんなこと言うやつが一定数いるの?」という疑問についてです。

簡単に言えば、こういう誰も明確にできないかつ、誰でも取っつきやすい話題に説得力を持たせるのって人気になりやすいんですよね。血液型や学んでいない人の占星術や、性格診断などの遊びに近いと思います。胡散臭い擬似科学が横行している昨今、人間は愚かなので、流行ってしまっても流行るだけの理由はあることは認めます。

こういう不明瞭な説を唱える講師がもしいるとしたら、それは講師ではなく「恥ずかしげもなく恋愛に関するソースの無い説を振り回す、確実性のある分野(演奏講師なら楽器の演奏)で勝負できるほどの実力の無い疑似科学に手を出した終わりの人」ということになります。

自分が伝承できる技術が少ないために、疑似科学(に至ってすらいない)を武器にしなければ生きていけないと思っているから、こういう説が流布するんでしょう。

こういう講師は必要のないコンプレックスの虚像にまみれた世界の果てにいる人が多いですが、それはそれで心理学の別の分野なので割愛します。


・正直な話

本題です。

正直この説を唱えているツイートを見たとき、こんな長々とした所見を書くまでもなく「ええ…(ドン引き)これは同じ世界の出来事か?」と戦慄しました。そしてそれを賛同する人もいる。これは完全に教育の敗北の一側面でしょう。一部でこのような完全にセクハラ剛速球の発言が求められている音楽の世界は、衰退の一途を辿ることでしょう。

恥を承知で、何人もの友人のプロの演奏家(クラシック、ポップスジャンル問わず)に「恋愛やそれに付随する性交為の経験は、演奏技術や音楽の研究にかならずしもプラスに作用するのか?」について訊きましたが、全員が「は?ヤバ(笑)」「いやまあ、分からんくはないけど講師が言ったら完全にアウトでしょ」という答えでした。みんな言葉が優しいなと思いました。

みなさんのご意見お待ちしています。

ありがとうございました。

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