二度と見ることのできない良さ。
今日、一足早く花火を見てきた。
地方で開催されるローカルな花火大会。5月下旬で涼しく、人もそれ程多くないから気に入っている。
ある程度屋台を巡って、祭りグルメを堪能した後、花火を見るために場所を取った。
夜の8時前、花火が始まる知らせを告げる音花火が打ち上げられた。
花火スタート。一斉に観客はスマホを構えて、パシャパシャと音を立てながら写真を撮ったり、動画を撮っていた。
このご時世、人々は目新しいものがあったり、何か特別なことが起きるとすぐにスマホを取り出して写真を撮る習慣がある。
僕はこの光景に勿体無さを感じる。
皆んながスマホで撮った写真や、動画は後で見返して余韻に浸ったり、SNSに投稿するのだろう。
批判はしないが、この行為が勿体無く感じる。
花火を一番楽しめるのは自分の目で直接見ている時だ。
夏の夜空に打ち上げ代から発射された光の玉を目で追って、普段感じることのない音と迫力のある光をカラダ全身で感じる。
それが花火の良さだと思っている。
だから極力写真は撮らない。写真を撮る暇があれば直接花火を感じることに全力を注ぎたい。
僕には叶えられない一つの夢がある。
スマホもカメラも無い時代で生きること。
いわば、過去にタイムスリップしてみたい。
昔の人は、現在の人々が写真を撮るようなことが目の前にあっても、記録媒体に残すことができないので、残したいものがあれば、自分のノウミソにしっかりと刻んでいただろう。
それは僕が花火を見る時と一緒で、目の前の出来事を、身体の隅々を研ぎ澄まして観察している。
そう言ったモノの見方をすれば、気軽にスマホのデータとして残す人よりも確実に目の前の出来事をしっかりと読み取れて、より感動を味わえる。
だからそういうモノの見方をしている人が多いであろう過去にタイムスリップをして、価値観を共有したい。
皆も「データに残す」という概念を捨てて一度生活してみて欲しい。
きっと見えない部分が見えると思う。
5月25日 自宅にて