京都と少年堂:復活への想い
1980年代から1990年代にかけて、京都四条寺町で営業していた「少年堂」。その復活を決意したのは、京都のBARで交わされた一見何気ない会話がきっかけでした。
京都のBARを訪れると、40代から50代のバーテンダーやマスターが少年堂をよく知っていて、「よく買いに行きましたよ!」や「ジーンズが山積みでしたね」という懐かしい声をかけてくださいます。中でも、全員が口を揃えて言うのが、「黄色いショッピングバッグが有名でしたね!」という言葉。少年堂を知る人なら誰もが思い出すアイコンだったようです(笑)。
そんな中、ある場末のBARでの会話が心に残りました。マスターがこう言ったのです。
「再開してくれたら本当に嬉しいです。自分は当時小学生で買いに行けなかったけど、憧れの店なんです。」
その言葉に、これまでにない熱い気持ちが込み上げました。
YouTubeで流している少年堂の音楽には、こうしたBARをイメージして作った曲も多くあります。特にチルアウトやブルースの楽曲は、あのBARの雰囲気そのものを感じながら創作したものです
私が若い頃から、デザインや企画を考える場所は決まっていました。
それは京都の鴨川。鴨川の北側、北山から上賀茂神社あたりまでの静けさの中で、アイデアを練ることが多かったのです。一方で、辛い時や悲しい時はさらに北へ、または五条あたりの南側へ足を運びました。気持ちが晴れやかな時は、丸太町から今出川あたりの鴨川がちょうどいい(笑)。
鴨川は、まさに私のクリエイティブな空間そのものです。ここで、REGGAEやヒップホップ、バラードなど、さまざまな音楽やデザインが生まれました。20代、30代の頃はこの場所で何千というデザインを生み出しましたが、今はそのエネルギーがYouTube動画に形を変えています(笑)。
私の夢は、かつて生み出したデザインを復刻し、少年堂の店内に並べること。そして、現在制作しているYouTubeの映像や音楽を店内で流し、お客様に「少年堂の世界観」を感じてもらうことです。これは当面の目標であり、長年温めてきた願いでもあります。
「ケンタッキー・フライド・チキン」の創業者、カーネルサンダースが62歳でフランチャイズを思いつき、そこから躍進を始めた話を聞いたことがあります。人生は本当に分からないものです。才能があって努力しても、思うようにいかないこともあります。ただ、夢を叶えるには「果てしない妄想」を描けるかどうかが鍵だと感じます。妄想自体には良いも悪いもなく、問題はその妄想を続けられるかどうかです(笑)。
少年堂の復活という夢を追いながら、これからも京都の空気感や音楽を通じて、自分の世界を発信していきます。京都に根ざした少年堂の物語を、ぜひこれからもお楽しみください!