一日二食、または三食
■写真は大阪で食べたでっけえミートソーススパゲティ、最近思うのは、ご飯を食べるってすごく身近な幸せで、それが一日二回か、多いと三回あるって、割とすごいことなんじゃないかと言うことだ、幸せなんて形もないしいつかは酸化するのだから、食べてる瞬間とか、寒い時にお風呂につかった瞬間とか、そのぐらいの長さでいいな、とも思う。後にお腹いっぱいで苦しむハメになったとしてもね。
————————閑話休題—————————
2020年7月だか8月、ぼくは羽茂さんの家にいた、奴の家はやたらと居心地が良く、割としょっちゅう遊びに行っていたのだけれど、そこにはいつも通りファイヤー・バードもいて、イシダヒロキは大体一時間ぐらい遅れてくる感じで、まあそれもいつも通りだった。
当時は奴の家に行けばまあ誰かいるか来るかするんじゃない?と言う位には誰かしらが常にいて、散らかってるのも、無駄にでっけえテレビがあるのも、ラブリンと羽茂さんが名付けたハムスターのぬいぐるみがいるのも居心地の良さの一助、ラブリンは横腹にほつれた穴が開いていて、綿を取り出すことができるが、やりすぎると羽茂さんに怒られるので注意が必要だ、みんな気をつけて。
ところでぼくらの関係性が何なのかと言うと、元々で言えば大学の先輩後輩で、まあすごく長い付き合いなんだな、ファイヤー・バードはやっぱり大学の頃からだいぶうるさい奴で、当時はなんなんだこいつ、と思っていたが、意外と話せる奴なのでなんだかんだで卒業してからも、というか、卒業してからの方が遊んでるよね、こいつは本当にびっくりするぐらい何も変わっていない。
イシダヒロキは大学に入学した頃はなんというか、チャラいなこいつ、という感じだったけれど、軽音部に「幽霊部員なります!」と言って入部した割には毎日来ている地縛タイプの幽霊部員だった、当時はドラムをやっていて、まあうまくはなかったけれど、人がいいし、根は真面目なのでやっぱり好かれていた、あとシンプルにイケメンで行動もちゃんとそれに準じてイケメンだったりする、ムカつく野郎だぜ。
問題は羽茂さんだ、こいつは出会った頃、とにかくキラキラしていた、どのくらいキラキラしていたかというと、「好」青年と言えるくらいにはキラキラしていた、その輝きは年々くすみにくすみ、2020年には土色そのものになっていた、家でストロングの缶チューハイをひたすら飲んでは暴れる化け物、だが、それを生み出してしまったのは紛れもなく我々なので、責任を取らなければいけないとは思っているんだよ、本当に羽茂さんになれてよかったね、キラキラしてるもん。
先にもう言ってしまえば、終活クラブは運命的に出会った石栗と、いつかはバンド一緒にやってみたいね、と話していたメンバーで出来ている、ぼくは前回のブログで書いたようにメンバー集めを色々うじうじ悩んでいたけれど、結局のところ音楽に対する後悔を残さないためにバンドをやるのだ、それも人生最後のバンドと思ってやるのだから、いつかバンド一緒にやろうぜ、という約束を守れない時点でそれって後悔じゃないんですか?どうなんですか?という思いがふつふつと煮立ち、ついには沸騰する運びとなったのだ。
なのでまあ、友達を誘うことにしたんだよ、ただしそこには大きな障壁もあった、すごく軽音楽部みたいなこと言うね。
パート、被ってたんだよ。
ファイヤー・バードとイシダヒロキはドラムだったし、羽茂さんに至っては違うパート(公開情報じゃないので隠している)をしていて、もろくそ被っていた、ここからはそれぞれを誘った時の内容を書いていこうと思う、各位、記憶が曖昧なので間違っていたら教えてくれ、訂正のブログ出すから。
【ファイヤー・バードを誘った時の記憶】
その日ファイヤー・バードは羽茂さんの部屋のベッドで寝転がりながら携帯を触っていた、その時の会話がこうだ。
ぼく「てんさあ、ぼく少年あああああってやってんじゃん」
てん「やってんね」
ぼく「それでバンドやることになったから、ドラムお前ね」
てん「あ、マジ?へえ、はい」
これだ。
こいつは正直訳わかってなかった。土日あんまり休めないよ多分みたいなことを言っていたが無視した、どうにでもしてくれるだろうと思っていたからだ。
【イシダヒロキの記憶】
一時間ぐらい遅れて来たイシダヒロキは羽茂の家のボロいソファーに座った、こいつは先述にもあったようにドラムしかやったことがなかったけれど、まあ根性ある奴なので大丈夫だろ、と思っていた、その時の会話がこうだ。
ぼく「ひろちゃん、バンドやるんだけど、ドラムはてんにやってもらおうと思っててさ、ベースやんない?」
イシダヒロキ「いいよ」
これだ。
軽い、文章にすると余りにも軽い、が、イシダヒロキってそういう奴なのだ。
【羽茂さんの記憶】
羽茂さんの部屋には、いつか使おう!と言って、よく遊んでいたみんなで買ったキーボードがあることを思い出した、バンドとしてはギター2本、ベース、ドラムで完成していたのだけれど、せっかくあったし、羽茂さんにキーボードやる?と聞いてみた、その時はちょっと考えさせてください、と言っていたが、2日後に「やりたい」と連絡をくれた、やんないだろうとは思ってなかったよ。
そんなこんなで、少年あああああバンド化計画は、小林さんに確認も取らず、
・最近運命的に知り合ったギター
・訳もわからず入ると言ったドラム
・やった事ないのに加入したベース
・やった事ないのに加入したキーボード
が集ったのだった。文字にするとヤバすぎ。
〜そして顔合わせ、結成編へ〜
追記:わかりづらくてごめん、ファイヤー・バードは大学時代からドラムやってました!
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