ほぼ飲み会じゃねえか
■あんまり器用じゃないもんで、制作期間にブログも書く!全部やる!みたいなのができないんだな、こうなることはわかっていたぜ、これからもゆっくりやっていこうと思う、写真は仕事をやめた時に友達がくれたお祝いのケーキ、ニートおめでとうって文言、アツ〜。
—————————閑話休題—————————
前回のブログではメンバーが集結するところまで書いた、みんなはバンドを組んだことがあるだろうか、バンドのメンバーが集まったらまずやることがありますよね、そう、正解です、飲み会ですね、ということで2020年は8月23日、ぼくたちは新潟駅前にあった白木屋という居酒屋に集結した、今はもう潰れてしまったのだけれど。
石栗はぼくとしか面識がない状態だったので、性格は絶対合うだろ、と思っていたけれど、そこそこドキドキはした、それもそうだ、全員一癖くらいはあるのだから、合わない可能性もまあないことはないじゃないか。
結論から言うと、バカみてえに仲良くなった。なぜなら、全員バカみてえな奴らだからだ、だいぶうるさかったと思う、高橋さん(当時の白木屋の店長さん、今はどこにいるんだろうか)、ごめん。
正直ここの記憶はほぼない、楽しかったことと、その後カラオケに行って石栗がランクヘッドを歌っていたこと、羽茂が寝てたことぐらいかな、とにかく楽しい飲み会だった、そうしてぼくたちはちゃんとかどうかはわからないものの、バンドになったのだった。
そして後日、リバーストに挨拶に行くことになった我々5名、小林さんに会うためだ、「面倒見てくれるんですよね?」「あー、うん」というあまりに曖昧な返事であったものの、ぼくは面倒見てもらう気満々だった、というか、見てもらえなかったら困る、と思っていた、なぜならぼくはまだ焦っていたからだ、こうしている間にも時間は進んでいくしね。
そしてリバーストのバー営業、この日に行こうぜ、と言っていた日、石栗は来なかった。なんでかは忘れたけど、とりあえず来なかった、結局謎の花畑で撮られた自撮り写真を送ってもらって小林さんに見てもらうことにして、とりあえず残りのメンバーでリバーストに向かった。
そして、こいつらがメンバーです、と言って紹介した時の小林さんの顔を、ぼくは一生忘れることはないのだと思う。
それもそうなのである、だって初心者2人いるし、ドラマーもよくわかんねえガリガリだし、石栗はいないし、「え、マジ?」って小林さんは言ってるし、ぼくはぼくで「やばいっすよね」とか言ってるし。
それでもこのメンバーでやる旨を伝えて、とりあえずお酒を飲んだ、ぼくはバンド名を「終活」か「日本語大好きクラブ」のどちらかにしたかったので(終活がよかったけれど、重すぎて断られそうだなと思っていた)その旨を伝えたところ、じゃあ終活クラブでいいじゃん、と小林さんが言ってくれて、ぼくたちは終活クラブになった。ぴったりだし、普通にぼくが思いつきたかったなそれ、と思った。
そのついでにメンバーの名前が正式に決定した、酔っ払ってなかったら絶対ファイヤー・バードなんてイカれた名前はつけないと思うけれど、奴はガリガリのくせに虚像、虚勢で生きているので強そうな名前がまあまあ合ってるな、と思った、イシダヒロキはまあ、イシダヒロキって感じだし、羽茂さんも羽茂さんって感じだ、もちもちしてるしね、名は体を表すものだから、なんだかいいかも、と思っていた。いなかった花畑野郎石栗の名前は勝手に決めた。多分小林さんも覚悟を決めたのだと思う。
音楽という海へ出るにしては、あまりに幼稚だったけれど、とりあえず船は出来た、ここから怒涛の航海が始まる、初ライブも決まった、2021年の1月17日、あと4ヶ月くらいだ。
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