そしてニタリと笑うのだ
■たまに「宗教やってるんすか?」と言われることがある、純粋な疑問でも嫌味でも、そういう時は決まって「やってますよお〜」と言ってニタリと笑う、と決めている、今回のブログは多分そんな感じにそこそこキモい、かみさまだということ以上に、ぼくはやさしいおばけのキモオタだからだ。ちなみにぼくはバリバリの無宗教だ。
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「心霊スポットに行った後、バイト先に行ったらそこの先輩が何かあるね、携帯を見せろと言ってきて、心霊スポットで撮った写真を開かれたんです、この人は危ないからお祓いをしてもらった方がいい、写真は消して忘れなさい、と教えてくれたんですよ、凍りましたね、背筋。」
って話、ぼくが学生の頃ありました、先輩すげえ。こんな感じでとにかく悪霊というものは取り沙汰されるものだ、守護霊も然り、おばあちゃんあなたのこと守ってますよ、みたいな。
人によって取り憑けるおばけの数は違っていて、やたら取り憑かれやすい人もいれば、それが0の人ももちろんいるのだと思う、ちなみにこれはぼくが唱えているだけの詭弁だ。そもそもぼくはおばけを信じていない、だって意味わかんないもん、重力とか無視できる訳ないって思っちゃうし、突然手形がお風呂場に!とかさ、変じゃん、伝える方法別にあるだろって思っちゃうじゃん。マルチバースです、とかずるいじゃん、ホラー映画はとっても大好き、面白いから。
その上での話でね、ぼくが取り憑かれることができる数を1として、嫌だと思うんです、悪霊に取り憑かれるのは。そういう理由で、どうせ取り憑かれるならやさしいおばけがいいな、って漠然と考えていた。そして思い立った、どうせおばけになるならやさしい奴になりたいもんだな、と。
思ったはいいものの、簡単な事じゃないのだ、なぜなら悪霊とか地縛霊になる要素というのは、本当にたくさんあるからだ。前科がついていますとか、借金があって、とかそういうことだけじゃない、自分に残る後悔のことだ。ついてはいけない嘘をついてしまったとか、母親の足にダンベルを落としてしまったとか(あの時は本当にごめん)、まあ、とにかく色々だ。
人は死ぬ時に走馬灯を見ると言う、死んだ事ないからわかんないけれど、死ぬ直前に人生の記憶に残る場面のダイジェストムービーがクロスフェードで流れるとしよう、その走馬灯の後半が後悔、後悔、また後悔では本当に死ぬに死にきれない、もう死んでんのにね、結果うらめしや〜となりまして、悪霊や地縛霊のできあがり、デデン!という流れだとぼくは唱えたいのであります。
そしてぼくは運良く知っていた、ぼくの人生の走馬灯版:悪霊・地縛霊コース確定ポイントで一番ヤバいのは音楽をやり切らないことへの後悔であろうということを。
と、いうことで、ぼくは、やさしいおばけを後悔しないようにやりきったことの象徴として、かみさまと呼ぶに相応しいと思っている、初めてそのことをメンバーに話した時は、多分正直引いていたと思うけれど、多分ぼくがあまりに本気だったので微妙に文句も言えない雰囲気でただただ「こいつマジか」と思われていたことだろう、いいんだ、そんなことは。
ぼくね、現在進行形で後悔だらけの人生なのだけれど、音楽だけはやり切ってやさしいおばけになりたい、と結構真面目に考えているよ、まだまだやり切るにはほど遠いんだけどね、まだまだやれそうでもあるんだ。
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