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「湘南のイギリス海岸」への夢
日本で「イギリス海岸」と言えば、岩手県花巻市郊外の北上川の川岸。宮澤賢治がドーバー海峡の白亜の海岸を連想してこの命名をしたとも言われています。ここは、水位が下がった時に河床に泥岩層が現れるという観光スポットになっています。
地質学・土壌学を専攻した学徒でもあった賢治は、大正10年稗貫(ひえぬき)農学校(岩手県立花巻農学校)の教師となり、イギリス海岸を生徒の教育の場として活用していました。翌年の大正11年には、「イギリス海岸」という随筆風童話や「イギリス海岸の歌」を創作しています。
Tertiary the younger Tertiary the younger
Tertiary the younger Mud-stone
あをじろ日破れ あをじろ日破れ
あをじろ日破れに おれのかげ
Tertiary the younger Tertiary the younger
Tertiary the younger Mud-stone
なみはあをざめ 支流はそそぎ
たしかにここは修羅のなぎさ
Tertiary the youngerとは地質時代の新生代新第三紀(約2,600万年前から200万年前)のことです。この「イギリス海岸」で賢治は新第三紀の終わりころに茂っていたバタグルミの化石を日本で最初に発見しています。大正14年、賢治は東北大学の早坂一郎博士を「イギリス海岸」に案内し、くるみ化石の調査をすることに発展したのでした。(「宮沢賢治の生涯ー石と土への夢」宮城一男(筑摩書房)参考)
この話を知ったのは40年近く前のことで、実際に後日イギリス海岸を訪問する機会がありましたが、その時はあいにく雨天で泥岩層は水面下でした。
今から20年くらい前でしたか、記憶は定かではないですが、花水川堤防をジョギングしている時に大きな岩が川の中にいくつもある場所に気づきました。それからそこを通るたびにその岩を探すようになりました。水位が下がった時には水面から岩がいくつも現れるのです。すぐに「イギリス海岸」を思いつきましたが、心の中にしまっていたままでした。ただ岩がゴロゴロしているだけと思う自分もいました。
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今から数年程前、同じ花水川の少し下流で水面から岩が頭を出しているのに気づきました。そこも、最初に見つけた河床と同様に高麗山(こまやま)の近くといえる場所でした。
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それからは、その2つの場所を通るたびに心が湧き立つのを感じました。そこで、一昨年末、ついに周辺の地層を文献調査してみることにしました。その結果、地質学的に非常に興味深いことが分かったのです。
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1.高麗山の地層が、「イギリス海岸」と同じ新第三紀のものであること、
2.高麗山と花水川の間に断層が走っていること(平塚市博物館)、
3.最近、高麗山の露頭でサメの化石が発見されたこと(平塚市博物館)、
4.高麗山と同じ時代の地層は、三浦半島、江の島でも見つかっていること(神奈川県立生命の星・地球博物館 https://nh.kanagawa-museum.jp/www/contents/1612424247437/simple/chouken16_049_068ishihama.pdf)です。
もし、花水川の河床にある岩が断層を介して高麗山から連なるものであれば、花水川の河床でも化石が発見できるのではないかとの期待が膨らみます。
そこで、1年前の1月初め、居ても立っても居られず、花水川の河床の岩の調査について平塚市博物館へ相談を持ち掛けました。若い地質学学芸員である研究者が親切に対応してくださり、話をすると、最初に見つけた河床の岩の存在場所はご存知でした。しかし、調査は行っていないことでした。その岩は、すぐ近くの高麗山にあった石切り場で採石されたものが捨てられた可能性があるとのことでした。一方、下流側の河床の岩はご存じなく大変興味を持っていただき、これらの岩の調査をすることを快諾してくださいました。
そして、今年、1月下旬に岩の調査をすることになりました。その日は、運よく水位が下がり、かなり岩が露出していました。そこで、数年前に見つけた下流側の未知の河床の岩の調査を行いました。
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ハンマーで採石すると岩からは色鮮やかな石が現れました。まるで生きているような色です。「イギリス海岸の歌」に歌われている「あをじろ(青白い)」が連想されます。
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下のリンクが平塚市博物館からの調査報告です。化石ではありませんでしたが、火山砕せつ岩で高麗山と同じ時代、すなわち新第三紀の高麗山層群の露頭であることが推定されました。
湘南地区はフォッサマグナ(巨大地溝)の中にありますが、約500万年前~数100万年前に太平洋の海底火山や堆積物が日本列島に衝突し、丹沢山や丘陵地が形成されました。高麗山層群は、1000万年前以上の海底に堆積した堆積物が、プレート境界で本州側に付加した付加体だと考えられていますが、まだわかっていないことが多く、この発見によりこれからの研究の進展が期待されます。
一方、今回の発見とさらなる調査によりこの花水川の河床と本家である北上川の「イギリス海岸」との間での共通点がさらに広がりました。
1.河床の露頭が同じ新第三紀であること
2.露頭は水位の下がった時のみ見ることができること
に加え、
3.約6000年前の温暖期(縄文海進期)には、湘南地区には海が広がっており、花水川は高麗山の海岸であったこと、また
4.平塚市と花巻市が友好都市関係にあり活発な交流が行われていること、
が分かりました。その共通点の多さに驚かされます。
さらに、付け加えたい共通点としては、この両河川の河床の露頭を発見したのが、共に「けんじ」という名前をもつ人物なのです。
花水川は、丹沢山系を水源とします。水源は大山南西斜面で金目川と呼ばれ、河口近くで渋田川と合流して花水川と呼ばれるようになります。さらに支流の河内川が合流しています。河口付近では川幅が広がり、富士山、丹沢山系が見渡せる風光明媚な場所です。地元では桜の名所としても知られています。花水川の名は、岸辺に桜が多いことによるそうです。
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古くは、花水川と高麗山は、富士山と共に歌川広重の東海道五十三次之内 平塚《縄手道》に描かれています。
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観光地としても価値のある場所と思われます。今後は、平塚市博物館と共に研究を進めるとともに、花水川を公式に「湘南のイギリス海岸」と呼べるように、環境保全も含めて市民や市に働きかけていきたいと考えています。
この花水川の河床の岩と高麗山が見える場所に賢治の「イギリス海岸の歌」碑を建てるのが夢になりました。歌碑の前に多くの人が集い、「イギリス海岸の歌」を詠み、賢治に思いを馳せる日がくることを楽しみにしています。