パラグアイの思い出

仰々しいタイトルですが
勿論パラグアイに行ったことはありません^^;
昨日は日本代表がパラグアイ代表と対戦を行いました。
結果は皆さんの知るところではありますが4-1で快勝のようですね。
私にはありがたくないジンクスがありまして・・・
日本代表の試合がある日は大抵仕事が長引いたり、電車遅延が発生したりと
かなりの確率でリアルタイムに観戦ができません。
昨日もご多分に漏れず帰宅は試合終了後でした。

さて、先日Twitter上で今年は日韓W杯より20年経ったと話題になりました。
平塚にもナイジェリア代表がキャンプを行うなど盛り上がりがありましたね。
この辺りはまた、改めて記事にしたいものです。
(今回があほ程久しぶりの投稿なのに大丈夫か?)
今日はタイトルのパラグアイ。
南米にある、この国もベルマーレに少なからず縁がある国ですね。

パラグアイ出身の選手

1990年代のベルマーレというべきか
藤和不動産時代より、チームは伝統的に外国籍選手はブラジル路線が多かったと感じます。
降格となった1999年から様々な国籍の選手が加入し始め、J2初年度となった2000年はチームとして初のパラグアイ出身選手が2名加わりました。

①ダニエル・サナブリア 

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守備の再建を期待され背番号4と期待はされていたのだと思います。
真面目な選手だなという印象があります。
1年間通して在籍はしましたが湘南ベルマーレではJ2通算15試合3得点と特筆するほどの活躍ができませんでした。
パラグアイ帰国後に同国リーグのクラブリベルタでは活躍をし何とパラグアイ代表として日韓W杯のメンバーに選出されています。
2002年はW杯後に京都にも加入しましたがこちらでは出場は無し。

②アンヘル・オルティス

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サナブリアと共に来日、8番を付け試合に出場をしていたのですが・・・
6月に退団、それまでにJ2通算10試合の出場があります。
戦術の都合だと思われます。8番の後釜にはクロアチア国籍のフチカが加入、主戦場はボランチや最終ラインと言ったディフェンシブなポジションでした。
オルティスも帰国後グアラニーではレギュラーを取っての活躍。
日韓W杯は選外でしたが2003年からはパラグアイ代表となり27Capを記録しています。

日系ベルマーレ

2006年にパラグアイ地域2部リーグ(実質的には4部)にClub Nikkei Bellmareというチームが誕生しました。
パラグアイリーグには外国籍枠はなく若手日本人選手の海外活動の為の受け皿、活躍した選手をJリーグへという思惑があったようです。
クラブの運営はパラグアイ法人のサクラグループと日本のSEA Global社が出資した社団法人日系ベルマーレで湘南ベルマーレは出資はしておらず、あくまで提携という形でした。
日本人選手としては2009年に湘南から菅野哲也、同年には徳島からも石川雅博が3カ月留学を行い選手として活動しました。
パラグアイから日本への参加として2007年に選手参加していたミゲルが2008年に当時JFLの鳥取に加入しましたが残念ながら出場には至らず・・・
2009年を最後に活動を聞かなくなりましたがどうなったのかよくわかりません。

意外に縁があるパラグアイのお話しでした。

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