1972年藤和不動産記録
初の日本リーグ挑戦へ
日本リーグが発足したのは東京五輪の翌年となる1965年、昭和40年のことで、この年は創設8年目にあたります。この年より1部リーグ8チームに加え、2部リーグ10チームが誕生することとなりました。社会人にもいい選手は沢山いる、チーム力がバラバラな地方リーグだけでは有望な選手の伸び代を奪うことになる。その思いから全国的なリーグを作りたいという思いがあったようです。
藤和不動産は結成3年目の前年度に日本リーグを除いたトップリーグ第7回社会人大会で優勝をし、日本リーグ入れ替え戦の切符を手にし、2戦合計1−0で制し、晴れてトップリーグ入りが認められました。
1972年戦績
チーム名 試 点 勝 分 敗 得 失 差
①日立製作所 14 21 9 3 2 36 16 +20
②ヤンマー 14 20 7 6 1 30 11 +19
③東洋工業 14 16 7 2 5 20 13 +7
④三菱重工 14 16 5 6 3 26 19 +7
⑤日本鋼管 14 13 4 5 5 15 18 −3
⑥新日本製鉄 14 12 4 4 6 22 30 −8
⑦古河電工 14 8 3 2 9 17 41 −24
⑧藤和不動産 14 6 2 2 10 11 29 −18
対日立製作所 ●1−5 ●1−3
対ヤンマー ●1−3 △1−1
対東洋工業 ●0−2 ●0−1
対三菱重工 ●1−4 △1−1
対日本鋼管 ●1−3 ●0−2
対新日本製鉄 ○3−0 ●0−1
対古河電工 ○1−0 ●0−1
昇格1年目ということもあり14試合中2勝2分10敗の最下位と苦戦しました。
特に前期日程は7戦全敗とトップリーグの洗礼を受ける結果に。後期は苦しい戦局を打開すべくブラジルから元プロ選手であるセルジオ越後を獲得。後期開幕戦となる対三菱戦より起用すると後期は2勝2分け3敗と善戦、セルジオの卓越したテクニックが光りました。とは言え、最下位なので本来であれば入れ替え戦、降格があるのですが翌年度に1部リーグを8チームから10チームに増やす構想があり降格を免れています。
登録メンバー
名前 ポジション 背番号
高橋 常信 部長
下村 幸男 監督 30
石井 義信 コーチ
田中 登 主務
栗本 直 GK 1
池田 陽二 HB 2
内田 和夫 FB 3
河口 国男 HB 4
川崎 博史 HB 5
安藤 正俊 HB 6
脇 洋一 FW 7
武林 和憲 FB 8
花岡 英光 FB 9
徳永 正和 FB 10
中村 勤 FW 11
田中 登 GK 12
佐藤 喜一 FB 13
小方 静夫 FB 14
原田 勝視 HB 15
郡山 善治 FW 16
吉田 健二 FW 18
西村 諭 FW 19
神田 和男 FW 20
佐々木 勝彦 FW 21
中島 茂 FB 22
脇 裕司 FB 23
木村 勝 HB 24
日暮 博 FW 25
古市 文明 FW 26
渡辺 三男 FW 27
田中 稔 FW 28
セルジオ 越後 HB 調査中
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