漢字の説明が独特
ベルマーレのホームタウン9市11町を、もう一つのふるさとだと思ってる私は、親しい人に誰かの名字の漢字を説明する時の表現が独特だと、よく家族に言われる。
具体例を挙げてしまうと、私はたとえ愛着を持ってそう言ってたとしても、言われた側は抵抗を感じるかもしれないので、実在する特定の名字を挙げるのはやめておくとして、例えば「大」は「大磯の大」、「小」は「小田原の小」、「平」は「平塚の平」みたいな説明になる。
そしてそういう漢字は特に心をこめて書くので、小さい頃からずっと、他の漢字よりきれいに書けるというおまけまでついてくる。
この間も、とある芸能人の名前の漢字の話題の時に、私は芸能人にあんまり詳しくないので、親が「下の名前は〇〇へいさん。平塚の平ね!」と説明してきて、だんだん私みたいになってるなとちょっとおもしろかった。
私が昔住んでた家の住所は、連続で湘南地域に関する漢字を使ってた。
人にその住所を説明する時にはもっと万人に分かりやすく説明してたけど、住所を書くたびに心の中で、同じ漢字を使う湘南の町を思い浮かべてたら、離れててもいつもベルマーレがそばにいるようで、とても嬉しかった記憶がある。
でも、私の名前はフルネームで名前を書いても、1文字ギリギリベルマーレに関係する字があるかなあというくらいで、「茅ケ崎の崎」みたいなはっきりと湘南っぽい漢字は出てこない。
自分の名前は全然嫌いじゃないし、むしろ下の名前は私らしくて結構気に入ってるんだけど、名字がもっと湘南の地名にも出てくる漢字を使ってたらもっと良かったなあと考えたりはする。
私がベルマーレを大好きで、湘南地域が“帰る”場所になってるのを知ってる人と話す時は、相手も同じ感じで話してくるので、人の名前の漢字の説明の途中に、あまりに湘南湘南しすぎた話になってきて、思わず話がズレたり笑ってしまう時もある(平和だなあ)。
これは名字や名前の話ではないけど、小学生の時の調理実習で、大さじ何杯とか小さじ何杯とか計ってる時に、「大さじの大は大磯の大」「小さじの小は小田原の小」と言って、他チームのサポーターだった子と笑ってたら、何杯入れたのか分からなくなったこともあった…(笑)
家庭科の先生も、私がベルマーレサポーターというのはよく知ってたし、「そうやってどんな形からでも料理に親しもうとする姿勢はいいことだね!」と笑ってくれたりして、なんとなく嬉しいけど申し訳ないような気持ちになったりもした。
今でも料理中に「大磯とか小田原とか言ってたなあ」と懐かしく思い出すことがある。
そういえば家庭科で作ったエプロンも、黄緑が入ったサッカー柄のエプロンだった。
女子でその柄にする人が私しかいなくて、親に「別にいいけど、Nikoは周りと違ってもいいの?気にならないの?」と聞かれたのも覚えてる。
私が自分らしく等身大で生きて、中身も磨いて人として少しは成長した時に結婚という未来があったとして、もしその相手が湘南地域っぽい漢字が入った名字だったとして、もちろん名字で選んだりなんてしないけど、その名字に自分もなったとしたら、毎日どれだけ幸せなんだろうなとか、名字書くたびにハッピーになれて最高だなとか、勝手に考えてしまう私は、相当怪しいと思う…(笑)
たまーに、本当にたまーに、そんな話を親しい人とすることがある。
「名字の漢字がどうこうよりも、神奈川から…というか湘南地域から、Nikoみたいな湘南人間を流出させたくない!(笑)ベルマーレのホームタウンから出て行かないでね!(笑)そんなに湘南人間なのに、全然違う町でずっと生きて、こっち(湘南)に帰ってこれなくなるなんて寂しいじゃん…」と言われたりして、「流出って魚じゃないんだけど…!でもありがとう(`;ω;´)」と思ったりしてる。
ずっと湘南と関わってほしいと、神奈川、特に湘南地域の知り合いからも思ってもらえることはとてもありがたくて、とても幸せだと思う。
人生の中の大きい(←大磯…!)幸せだけでなく、毎日の中の小さい(←小田原…!)幸せを見つめて感謝することも忘れずに、これからも毎日、生活の中に湘南が身近にある暮らしをしていけたらいいなと思う。