平塚に初めて行けた日

今日はとてもとても大切な(といっても全試合どれも大切なのには変わりないけど)横浜FCさんとの試合。

緊張して文章がまとまりそうにないけど、それでも今日は神奈川ダービーにちなんで、この話を書きたいと思います!

(神奈川ダービー、続きの日程でフロンターレさん、Fマリノスさんと対戦があって、そんなに期間を置かずにまた横浜FCさんとの対戦で、こんなに同じ県としょっちゅう当たるのは神奈川ならではだなあ)


私が初めて平塚に行けたのは、まだ子どもの頃の話。

ベルマーレがベルマーレ平塚だった頃のこと。


親と、これを達成したら平塚に連れて行ってあげるという約束事があった。

それは私にとって、乗り越えるのが少し大変なことでもあったけど、とにかく平塚に行きたくて必死に頑張って、ある年の冬、それはやっと実現できた。


その日程でしか行けなかったから、練習も試合もない日。

憧れの選手と会うことはできないとは分かってたけど、「もしもラッキーなことがあって会えたとしたら」と考えて、行く道すがらひたすら「遠くからですけど、ずっと応援してます!」を心の中で繰り返した。

結局、大好きな憧れの選手たちと初めて会えるのは、その少し先になるんだけど。


ベルサポになった日からずっと、神奈川は特別な場所で、一般的な子どもがディズニーランドとかそういうテーマパークに憧れる感じで、私は神奈川や平塚が夢の場所であり特別だった。

(ちなみにこんなベルマーレな私でも、ミッキーとミニーをかわいいと思う)


平塚に近づくにつれ、言葉で表現するのが難しい気持ちが心を包み込む感覚になった。

もちろん、嬉しいのはそうなんだけど、感慨深いとか、感無量とか…、当時の私の年齢を考えたら、日頃の生活でそこまで深い感情に心が占められることはまだなかった、そんな気持ち。


「次はー、平塚ー」というアナウンスがあると、私は窓から少しでも早く平塚駅を見たくて、まばたきも忘れてその電車が進む方向をじっと見つめた。


ついに平塚に電車が止まって、「せーのっ!」と言いながら私は初めてその時平塚に降り立った。

腕にはやっと買ってもらった腕時計。

「〇年〇月〇日、〇時〇分〇秒!!」と自分の腕時計でその時間を秒まで確認して(どこまで正確かは怪しいけど…苦笑)、その年月日と時間は大人になった今でも忘れることはない。


試合も練習もなくても、平塚の町を歩いてるだけで本当に楽しかった。

今とは違う場所にベルマーレショップがあって、そこに行ったらベルマーレの映像が流れてて、そういうのは地元では絶対にないことだから、それにとても驚いて感動した記憶がある。


私は体が大きいほうだったから、子どもでもそれなりに買えるサイズもあったし、そのショップのどこを見てもベルマーレグッズというのが本当に楽しかった!!


練習がある日ではなかったけど、当時大神にあった練習場にも行ってみた。

大神は平塚市だけど、厚木との市境にある。

その時初めて乗った神奈中バスにかなり長く乗って、大神に着いてしばらく歩くと、写真でしか見たことがなかったグラウンドが見えてきた。


「神奈川って、平塚って、ほんとにこの世の中にある町だったんだ!」と思った。


冬で風は冷たかったけど、心はとても温かかった。

町の人たちにもたくさん親切にしてもらった。

地元は関東地域ではないので、関東の人は習慣や文化や感覚が違うのかな、地元に比べてなんとなく自分たちは浮くのかなと思ってたけど、私は全然抵抗を感じなかった。

ベルマーレを通して神奈川、平塚と出会えたのも、何か不思議な縁を感じる。


行く前から、周りが遊んでる時でも神奈川県の地図をいつまでも見てるような子だったし、神奈川県、特に湘南地域には特別な思い入れがあったけど、初めて行ってその空気に触れたことで、完全に「もうひとつの帰れる場所」になった気がする。


いつしか「湘南に帰ってくるね!」「Niko、今度いつ帰ってくるの?」など、普段の会話の中でもごく普通に“帰る”という言葉で表現するようになったし、サッカーやベルマーレと出会えたことでそんな大切な場所ができたのを、本当に私は幸運だし恵まれてるなと思う。


その後も遠くてそんなにしょっちゅうは“帰れ”なかったけど、機会があると勉強道具一式持って行って、試合の前後に宿題をしたりして、完全に「湘南で過ごす地元の子」みたいになっていった。

誕生日にベルマーレのユニフォームを買ってもらったのも、本当に嬉しくて今でも心に残ってる。

メガホンを叩いたり手拍子して、チャントを歌って飛び跳ねて、湘南地域の人たちに優しくしてもらって、湘南地域のおいしいものをたくさん食べて、湘南地域の風を感じて景色を見て、そしてベルマーレから教科書では学べない大切なことを教えてもらいながら、私は大人になった。


そこに生まれてなくても、そこで毎日育ってなくても、私にとって湘南地域は大切なふるさとといつも言うのは、そういう想いや感謝があるからかなと思う。


神奈川と出会ってない、湘南がもうひとつのふるさとではない自分が、もう想像すらできない。


子どもの頃、湘南に電話をかける時に「0463」と市外局番をかけるのがもう特別でとても憧れたり(0463が市外局番の地域は、湘南でも平塚と秦野と伊勢原の3市と中郡だけなんだけど)、「将来、湘南の子と家族になって、おじいちゃんおばあちゃんになっても一緒にベルマーレの応援に行きたい」と自分の未来を思い描いてた。


大人になって、それなりにいろいろと社会や世間の荒波に揉まれた私は、子どもの頃ほど堂々とはそういう憧れや夢を語れなくなってしまった。

自分がいくら望んで努力しても、それだけで必ずうまくいく保証がないことも世の中にはたくさんあると、もう今の私は味わって知ってしまってる(苦笑)

勇気を振りしぼれば次の道が拓けるかもしれないという場面でも、実質上その勇気を出すこと自体が現実としては難しいということだってある。

だから、出すにも出せない勇気は心の入り口でいつも私を締め付けてくる。

大人になるというのは、昔は知り得なかった複雑な事情も背負うということ。

こうなりたいから!という自分の意志だけで動けないことが、大人になっていろいろと考えれば考えるほど出てきてしまう。


それでも笑顔を絶やさず生きるけど。

どんな時でも笑顔を忘れず、自分らしく前を向いて未来を信じて生きることも、またベルマーレから学んだことのひとつでもある。


もし本当にそれが叶ったとしたら、私はこれまでずっとお世話になってきた湘南地域にできる限りの恩返しをしたい。

湘南は、お父さんやお母さん、お兄ちゃんやお姉ちゃんのように、いつも私を見守って道を照らし続けてくれた大切な存在だから。


もちろん人によって、好き嫌いや合う合わないはあると思うけど、湘南をまだ知らない人たちに、こんな素敵な地域があると知ってもらいたいし、湘南をもっと知りたいと思いながらなかなかきっかけがない人にも、湘南の町の素晴らしさをたくさん知ってもらいたい。


そんなふうに思う、神奈川ダービーの朝。

紆余曲折を経て、今もこうしてチームがある。

チームの存続に関しては、横浜FCさんもいろいろと感じることは多いと思う。

もちろん、残留に向けて全力で信じて闘うけど、それとは別にこれまでの想いも忘れずにいたいと改めて思う朝。

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