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校訓に込められた創立者の想い
本校の校訓は「心も高く 身も健かに」です。そして創立以来大切にしてきた「建学の精神(こころ)」5ヶ条があります。校訓にも建学の精神(こころ)にも創立者の崇高な理念が込められています。
1)校訓のアップグレード⁈
今から32年前のこと…
平成3年(1991年)の創立30周年を迎えた翌年、平成4年(1992年)に「校訓が変わる⁈」という出来事がありました。
校訓が変わるということは、なかなかありません。
それは創立者にしかできないこと…
それまでの校訓(5ヶ条)は「建学の精神(こころ)」となり、校訓は「心も高く 身も健かに」となりました。
創立30周年の節目に「建学の精神(こころ)」と「校訓」がアップグレードされたことになります。
◉手島右卿先生揮毫の「書」
創立30周年に創立者である岡崎 功先生(当時の理事長)へ、昭和の三筆とたたえられた偉大な書家、手島 右卿先生のご子息である手島 𣳾六(たいりく)先生(現在の淞南学園名誉顧問)から右卿先生真筆の「校訓の書」が寄贈されました。
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手島先生の著書、右卿幻夢「遺されたものの責任」の中に「校訓の書」のついて次のように記されています。
実はこの”徳育”を主眼とする淞南学園に、私の甥(おい)もお世話になりました。岡崎先生には公私共に大変なご教導を賜わりました。
その先生への御礼に、私は父が書き遺していた一枚の書を差しあげました。
校訓 心も高く 身も健かに
この碑文を贈呈いたしますと、先生は痛く感激されて、早速淞南学園の「校訓」として掲げられたのでした。
2)校訓碑を造る
その後、手島先生から「校内に校訓書碑を造られたらどうでしょう」というご提案があり、岡崎先生はすぐに校訓碑を建立したのです。
するとス直な先生は「はあ、そうですか…そうれは名案です!」と申されて、アッという間に「校訓碑」を造ってしまわれました。その迅速果敢なること一瀉千里(いっしゃせんり)の如くでした。
平成4年11月11日11時キッカリに、晴れて全職員、生徒が整列して除幕式は行なわれました。私が多忙で出席できぬというので、山陰の独立支部を代表して浦野 頸堂、柴山 抱海、清水 翠影、関本 青爾、田中 白魚、長崎 礎山の諸先生が列席してくださいました。
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3)「校訓」の読み方
「これには『や』がないですね」と言われたことがあります。本来「健やか」で「すこやか」と読むからです。
このことは手島先生も岡崎先生も当然ご存知でした。
当時、岡崎先生に校訓の「や」についてお伺いすると、次のように話してくださいました。
右卿先生の『書』は崇高で奥深い芸術作品です。
その真筆をご子息の手島 𣳾六先生がわざわざ本校の生徒のために心を込めて贈ってくださったのだよ。本校の校訓として読み方は「すこやかに」と読ませることにしましょう。そして建学の精神は「精神」と書いて「こころ」と読ませましょう。それでいい。
「建学の精神」も「校訓」も、本校独自の読み方で良いと創立者ご自身が判断されたのです。
それからは創立者の思いを大切にし、もしも尋ねられることがあれば、
「本校では『建学の精神』を『けんがくのこころ』と読ませ、校訓は『心も高く 身も健かに』で『こころもたかく みもすこやかに』と読むようにして、創立者の心を大切に受け継いでいくことにしています」
と答えるようにしています。
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手島先生は著書の中で岡崎先生について次のように触れています。
随神(かんながら)のミチといえば、最近、尊敬する松江淞南学園の岡崎 功理事長からお手紙をいただきました。
「八雲立つ出雲の国」は、古代から神の国、母なる国と呼ばれていました。
神魂(かもす)神社の隣に建つ「淞南学園」は、戦後の日本復興と共に魂の立て直しをめざして設立された私立学校でした。
創立者の岡崎 功先生は、新生日本の揺籃(ようらん)を神魂が森に築くべく、淞南の学び舎を創立されたのです。その神気漲(みなぎ)る大和魂は若人の魂を打ち、毎年全国津々浦々から多くの生徒が入校しております。
4)創立者の「はじまりの第一歩」
校訓碑の裏には手島 巴人・岡崎 功という、お二人のお名前が並んで刻されています。(巴人《はひと》とは、手島先生が若い頃名乗っておられた雅号の一つ)
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この並んだ刻名から右卿先生の「書」が結んだ絆の深さが伝わってくるようです…
2年前に60周年を迎えた本校の歴史を振り返ると、創立者の「はじまりの第一歩」から令和の現代に繋がる長い道のりが続いています。
その「はじまりの第一歩」は、日本の未来を救おうと大きな理想を掲げ、私財のすべてを投入し、たった独りで若人の育成に踏み出した小さな一歩(ワンスモールステップ)でした。
10年前に校長として初めて卒業生を送り出した卒業式の式辞の中で、私は「創立者の偉業」について次のように述べました。
この学校は今から54年前に岡崎 功先生によって創立されました。国や県ではなく一個人が学校を造るということは大変なエネルギーと数多くの苦労が伴い、誰もができることではありません。自分に置き換えて考えてみても、それは想像の域を越えるものがあります。建物を建てるということもさることながら、崇高な教育理念、揺るぎない信念を絶えず持ち続けなければ到底成し得ることはできない偉業です。
まとめ
「創立者のはじまりの第一歩」に思いを馳せながら、予測不能なVUCAの時代に即応できるよう柔軟にアップデートし、新たなチャレンジを続けながら、次世代にしっかりとバトンを渡していくことが、私の「役割」でもあり「遺されたものの責任」でもあると思っています。
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