メキシコ人留学生との出会いその1
大学1年生の冬、たまたまメキシコから1年間の留学で来たパコ君に出会った。彼はアカプルコ出身でその当時アカプルコという街はあまり知らなかったが、映画でロケ地としてよく出てくる、常夏のリゾート地という印象を微かに思い出した。原住民系の色黒の小柄な体格で、高校生ではあるがぱっと見ただけでは何歳かは分からず、25歳くらいにも18歳くらいにも見えた。というのも中学から高校にかけてある、いわゆる思春期特有の恥ずかしさを誤魔化す振る舞いや、シャイになってしまう雰囲気が感じられなかったからだ。すべての人に心が開かれた明るく爽やかな印象を彼のアカプルコの太陽のような笑顔から受けた。当時海外移住など夢にも思わなかった18歳当時の自分はただただ衝撃を受けた。学校の社会の授業でメキシコという国はあったのは知っていたし、ラテン系の国は陽気な性格というふわっとした情報はあったのだが、この出会いは自分の中にあるまだ色のない世界地図に色が付き始めたという感覚を得た瞬間だった。その後も彼が帰国する約半年の間も、しばしば会う機会ができた。彼のように外交的に色んな人と仲良くなったり、新しいことににチャレンジする自分になりたいと憧れたり、また生まれ国や言語、文化が違っても同じ人間なんだと再認識したりと、教科書やテレビを見ただけでは分からない、ライブ感の中で得られる異文化交流はとても貴重であった。
そして大学2年生の夏休みには約10日間の日程の国際交流プログラムでメキシコに行った。5日間ほどのホームステイではアカプルコにある彼の家にお世話になった。日本留学を終えた彼を追いかけてメキシコに行ったようなかたちとなった。スペイン語で話せることは、簡単な自己紹介とグラシアス(ありがとう)だけで、まったく何を言っているかは分からなかった。家族構成はお父さん、お母さん、中学生の弟イワンと日本でいう年長くらいのセバスチャン。セバスチャンはとても人懐っこくいつもニコニコしており、おそらくお兄ちゃんから教えてもらったDAISUKIという日本語を使って、ピザ大好きや、タコス大好きなど、〇〇大好きといってコミュニケーションをとってくれた。中学生のイワンは細身のかっこいい青年(青年の雰囲気)でまったくスペイン語が分からない自分にカレンダーを使って曜日の名前や色んな単語を教えてくれた。後にイワンとセバスチャンも日本に留学に来ており、イワンは結婚し子供もいる。
ホームステイをさせていただいた家はとても広く綺麗な家だったが、当然ながらすべて海外なのでびっくりすることだらけだった。家の中でも靴を履いて過ごすので床掃除は全然感覚が違う。日本では見たことのない原色系で匂いのつよい床用洗剤を使って掃除をするのだが、掃除後少なくとも30分くらいは部屋の中にケミカルな香りが漂う。今でもこの床用洗剤の匂いを嗅ぐとホームステイをしていたあの日を思い出す。
アカプルコは常夏で、一般家庭には温水シャワーという概念はない。シャワーは常に水で、特に暑い日は複数回シャワーを浴びるのだ。ホームステイした時もそういう感じで、外出で強い日光を体全体に受け火照った体をシャワーで冷まして心も体もリラックスしていた。このホームステイ期間中テレビでオリンピック中継をやっていた。大学2年の時は2012年でロンドンオリンピックの年。ちょうどシャワーを浴びて一息ついてリビングのソファーに座っていると、セバスチャンがテレビをつけてくれその画面にはオリンピック中継が流れていた。日本では陸上、水泳、柔道などが人気となっているが、メキシコ、特にアカプルコでは飛び込みが花形種目であった。アカプルコの観光を支えるエンターテイメントとして断崖絶壁から海に飛び込むパフォーマンスがある。実際の正確な高さは分からないが20mくらいはあるような火曜サスペンスさながらの崖。潮の動きが読めない素人が同じように飛び込んだら、飛び込んだまま地上に戻ってくることはないだろう。天然の飛び込み台からブーメランパンツの筋骨隆々の男たちが飛ぶ姿は、やはり迫力がある。少しのミスでも怪我や最悪な場合は命を落とすからだ。おそらく彼らは小さい頃から親の手ほどきを受け、少しづつ飛び込みを体得していったのだろう。文字通り一生懸命に飛び込んでいる。そんな背景があるので日本人の自分では分からない興奮と白熱がアカプルコに住むメキシコ人にはあるのかも知れない。ロンドンオリンピックでは男子10mシンクロ高飛込で銀メダル1つ、女子10mシンクロ高飛込で銀メダル1つの計2つのメダルを獲得した。
つづく