献血の民に感謝とリスペクトを
日々、ただ生きていて感謝されることは大人になればなるほどなくなる。怒られることや、疎まれることの方が多い。電車の急ブレーキの勢いそのままに50cm吹っ飛び、知らないサラリーマンの足を踏んで、「ア………スイヤセ…………」と小さな声で謝っても、大きめのため息をつかれてしまうとか、そういうことが生きていればどんどん押し寄せてくる。でも大人なので、「踏んだのは私だから、怒られるのは致し方ないな」と、うまい感じで誰かの怒りや憤りを乗り越える。それが日常だ。
けど献血は違う。献血だけは私みたいなしょーもない人間も包み込んでくれる。
私は昔から看護師さんに優しくされるのが好きで、怪我をして治療してもらうときに「痛かったね〜」といわれると「えへへ」となったし、「栗野さん、頑張ってたもんね」といわれても「えへへ」となっていた。そんな素晴らしい体験が献血では無料で得られる。
ただ日々生み出されているだけの血を提供するだけで、受付の人に感謝をされ、看護師さんに褒められ、感謝され、お菓子をもらって感謝され、飲み物をもらってまた感謝される。
こんなことがあっていいのか?
もちろん人に血を分け与える行為なので、検査は厳しい。私もヘモグロビンの値が足りなくて、帰らされたことはある。
けど、それでも献血センターは優しい。「せっかく来ていただいたのに申し訳ありません。ありがとうございました。」と送り出してくれる。
「あーあ。せっかく時間とって来たのに。」という気持ちになるべくならないように、みんな丁寧に丁寧に接してくれる。優しい世界。
看護師さんは皆ベテランで、なるべく痛くないように血を抜いてくれる。私の見えない血管にも、うまく針を刺してくれる。プロフェッショナルの世界。
だけど、それでも血は足りない。日々怪我をした誰かや、病気の誰かのために使われ、減っていく。定期的に「O型の血が足りません( ;◯; )」とメールも来る。そんな状況を一般人の私でも知っているからこそ、献血をしている人間に対して、「最高、素晴らしい、ありがとう」と思えるのだ。
明日からコミケがある。コミケではいつも大量の献血が行われるらしい。オタクのみんながこぞって献血をしてくれる。例えそれが、献血のお礼にもらえるおまけ目的だったとしても、その血は誰かを助ける。すごい。最高。ありがとう。
月曜日、私はサークル参加で献血はできそうにないが、献血をしてくれている誰かを心の中でリスペクトしながら、また別の休みの日にでも行こうと思う。
それでは半年ぶりのお祭り!楽しみましょう〜〜〜!!!熱中症にだけは気を付けてくれよな。
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