No.8/理想と現実
高校を卒業してすぐ群馬のザスパ草津チャレンジャーズへと入団した。
J2のザスパクサツのセカンドチームにあたる。
僕は高校を卒業する前から練習に合流していた。
なのでクラスメイトのように卒業前の自由登校で遊ぶ事も実家にいる時間もなかった。
正直周りが羨ましかったし3年間部活だらけだったのでなおさら楽しそうだった。
そんな迎えた新しい環境はサッカーの差よりも初の寮生活だった事もあり
ホームシックで友達との電話の中で一緒に泣いたりしたのも覚えている。
そんな時に親から言われていた言葉を思い出す。
『何かを得るには何かを犠牲にしなさい』
高校生の僕には重すぎる言葉だった…
本当の意味も言葉の内容も理解できていなかった。
高校の時はみんなが遊んでいる時もご飯を食べに行っている時も
周りからの誘いを断ってサッカーをしてきた。
今までだって頑張ってきた。これ以上何が…と思った。
しかしそんなレベルの話ではなかった。
僕はその言葉を日が経つにつれて理解していくことになる。
まず練習のパススピードや切り替えの速さが
高卒の何も無い僕に比べ物にはならないくらいの差があった。
ずっとロングボールのようなキックは自分の武器だった。
しかし現実はあまく無い。
キックのモーションが大きく、蹴る前に取られる事が多かった。
何をどうアピールすればいいのか全くわからなかった。
そんなとき僕は怪我をした。
最悪のタイミングだった。もっと試合に絡む事ができなくなる。
それどころか練習すらも出来ない。
今まであまり怪我の経験がない僕は頭が真っ白だった。
しかし僕の中でこの期間が1番成長に繋がったのだ。
怪我をしてからチーム全体を、そして自分自身を客観的にみれるようになった。
例えば練習メニューひとつにしても改めて意図を考え、自分が復帰したらこの場面でこうするなというイメージも自然と湧いていた。
寮に帰ってもずっとサッカーを見ていた。先輩を誘ってテレビに張り付いていた。
自分のサッカー脳を毎日、いや毎時間アップデートしていた。
そして1番はリハビリで通っていた接骨院でのトレーニングだ。
自分の体の弱さを知り伸び代を感じ1日でも多く、時間さえあれば通っていた。
接骨院の先生にはいつも自分の体の細かい状態を報告していた。
先生にもしょうまはこの歳で敏感に自分の体を感じ取れているねと言われていた。
自分の体の小さな違和感に気付くのはとても大切だと思う。
”改めて自分を知る”とても大切な時間になった。
そして復帰の時がきた。
ただサッカーができる事が楽しかった。少年のように嬉しかった。
試合にも絡めてきて日々のトレーニングへの取り組む姿勢も生活の意識も高まっていった。
ますますもっと上のレベルで!海外で!という思いも芽生えたころ…
海外でチャレンジしないか?というオファーでは無いが、お話をもらった。
ただチームとしてリーグ戦も続いていたし優勝もかかっていたので揺らぐ気持ちもあった中、まずはリーグ戦に集中し優勝を決めた。
最後にザスパの一員として力になれたかは分からないけど素晴らしいグランドや環境はもちろん、声を枯らして応援し続けてくれるサポーター、そして何も無い僕を成長させてくれたスタッフやチームメイト。
草津の皆さんのたくさんの支えがあって今の自分がいることに感謝しています。
そして優勝を決めたあとチームを去り
僕はヨーロッパへのチャレンジを選んだ。
どこへ、そしてどうなったのか… 次回に続きます。