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My Travel Archive① ”2022-2023 🇯🇵✈️🇲🇾”



Prologue

Merry Christmas!
という訳で、僕から皆さんへ、プレゼントがあります。

新企画です。
今回から不定期で、"My Travel Archive"と題して、僕の過去の旅を振り返っていこうと思う。
その第1弾は、僕の海外旅を通してのスローガンを”Fly to the World wth Love”と掲げてから初めての海外旅となる、前回の年末年始に行った”2022-2023🇯🇵✈️🇲🇾”を振り返る。
本来なら今月上旬にハノイに行く前に投稿したかったのだが、交通事故に遭って断念する形になってしまったので、2023年が残り1週間を切ったこのタイミングで投稿する事としよう。

マレーシアに行こうと思った経緯

そもそも、なぜ、この旅の渡航先が『マレーシア』だったのか。
前提として、僕は以前から、マレーシアに行きたいと思っていた。

その理由は、大きく分けて3つある。

  1. 中高一貫校時代の一つ下の学年から中3から修学旅行の場所がマレーシアになった事

  2. 『ジョホールバルの歓喜』のスタジアムに行きたかった事

  3. ユーラシア大陸最南端の地に行きたかった事

一つずつ解説していく事にしよう。

1.一つ下の学年から中3から修学旅行の場所がマレーシアになった事

僕が6年間通っていた中高一貫校で中3の修学旅行の場所が、自分達の学年までは奈良•京都•大阪だったのが、一つ下の学年からマレーシアになった。
その時から、「自分達は京都奈良でラッキーだと思っていたけど、そう言えばマレーシアには行った事ないな。いつか行ってみたいな。」と思うようになった。
これが全ての始まり。

2.『ジョホールバルの歓喜』のスタジアムに行きたかった事

そして僕は、サッカーが大好きだ。
部活などでプレーした経験は殆どなく、主に観る側なのだが、これまで浦和レッズや日本代表の試合を中心に日本各地でサッカーを観てきた。
そんな、日本人の大のサッカー好きとして、一度は行ってみたかった場所。
それが、1997年11月16日に日本代表が初めてW杯出場を決めた、ラルキンスタジアム。
これが2つ目の理由。

3.ユーラシア大陸最南端の地に行きたかった事

僕は、従兄弟の僧祖父母の家が本州最南端の串本にあるのを3年前に知った事をきっかけに、日本中のありとあらゆる『突端』を訪れてきた。
国内の旅がある程度落ち着いた後は、海外の、大陸の突端にも行ってみたくなるもの。

さて、ここで質問です。
皆さんは、ユーラシア大陸最南端の地がどこにあるか知っていますか?

正解は、マレーシアのジョホールにある、タンジュンピアイです。
ここに行きたかった。

これが3つ目の理由。

昨年末の旅の目的地をマレーシアにした経緯

こちらも大きく分けて3つ。

  1. カタールW杯直後でムスリムの雰囲気を味わいたかった事

  2. 気温が温暖な事や物価が安い事

  3. 1週間で充分楽しめる計画を立てられる事

こちらも一つずつ解説していく事にしよう。

1.カタールW杯直後でムスリムの雰囲気を味わいたかった事

イスラム教のイメージとしては、豚肉や酒を摂取しない事、毎日のようにモスクでお祈りをする事があった。
カタールにはムスリム以外の人達も(勿論日本代表チームも含めて)豚肉の持ち込み自体が禁止されるというニュースを見た。
その地域に実際に足を運ぶ事で、自分自身の五感で感じたかった。

2.気温が温暖な事や物価が安い事

折角海外に行くなら外で大騒ぎしたかったので、日本より温暖な地域に行って『暖かい年越し』を経験したかった。
また、社会人1年目で然程金銭的に余裕がなく、なるべく低コストで楽しめる国が良かった。

3.物価が安い事や1週間で充分楽しめる計画を立てられる事

第一希望としては2022年が『年男イヤー』であった事で1時間でも長く過ごしたいと思い、日本と17時間時差があるバンクーバーに行きたかったのだが、金銭的な理由と移動に時間がかかり充分に楽しめないと思い断念。
折角行くならその国の中で行きたい所は一通り周りたいじゃん?

当時働いていた会社の年末年始の休みは12/30から1/4。
移動を含めて6日しかない中で充分に楽しめるのは必然的に近場の国になると思った。
そこで、この旅の目的地は、以前から行きたいと思っていたマレーシアにした。

旅の振り返り

ここからは、当日公開できなかったエピソードを中心に実際に旅中の様子を綴っていく。
旅中の様子は、Instagram(@shoma.o_fttwwl_)でもまとめてあるので、そちらも合わせて見てほしい。

2022.12.29-12.30

元々はNRT✈️CTS ✈️KULという経路で行く予定だったが、29日の午前中にCTS✈️KULの便が大幅に遅れるというメールが届く。

実際のメールの内容

僕としては、「夏に続いて今年2回目の北海道訪問となり、今回は冬の北海道を長く楽しめる」と楽観的に考えていたのだが、その年の最後の仕事を終えた後に両親にこの事を笑い半分で伝えると、笑いなど一切ない真剣な表情で、
「初の一人海外で23:30に現地に着くなんて心配でならない。
空港から市街地までは離れてて、時間的にタクシーや電車に乗れるかわからないし、空港で一晩過ごすのも不安。
お金は出すからこれで朝に着く直行便で行っておいで。」
と言って、30日の朝にKULに着くの飛行機の航空券を取ってもらった。

そして、母に家の近くの駅まで車で送ってもらい、電車に乗って羽田空港へ。

だが、予想外の事態はこれでは終わらない。
日付を跨ぎ、バタバタしながら乗った行きの飛行機の中で時間調整をしていたら、6年以上使っていたG-SHOCKが電池切れになる。
ただ、代わりの腕時計をすぐに用意できる状況ではないので、時間はスマートフォンで確認すればいいと開き直って機内での時間を過ごした。

W杯直後とあってか、機内で流れていた動画には
マレーシア代表の選手達も映っていました。
機内食①

日本時間で1時過ぎに出た1回目の機内食は、時間帯も考慮してか、軽食程度。

機内食②

こちらは現地時間で6時過ぎに提供された。
時間帯的に、『朝食』でしたね。

機内食を食べたり睡眠をとりながら過ごしていると、KL(Kuala Lumpur、マレーシアの首都)の空港に着いた。
入国審査とSIMカードの購入を済ませ、宿の近くのKL Sentral駅へ。

空港とKL Sentral駅の間を30分強で移動する、”KLIA Express”

2泊したゲストハウスはこちら

PODs The Backpackers Home & Cafe, Kuala Lumpur.


宿にチェックインを済ませ、衣類などの荷物はロッカーに入れて、いよいよ、観光開始。
深夜のフライトで移動したので疲れてはいたが、それ以上に、KLの街を楽しみたいという気持ちが上回ったので、休憩は程々にして街に繰り出した。

ムスリムの国だからか、お札にはアラビア語が書いてある。

上の写真の奥に写っているのはこの時使った両替所で、レートが良いとの情報があった、Global Millenium Trading (GMT) Money Exchange

ちなみに、現地通貨であるRinggit Malaysia(MYR)と日本円(JPY)のリアルタイムレートはこのようになっている。

その後は、”Kuala Lumpur”の地名の由来となった場所の近くにあるMasjid Jamekというモスクへ向かう。
ところが、ここでも想定外の事態が発生。
イスラム教では金曜日が休日である事からか、モスクに入ろうとすると、”You can't go inside mosque today”と言われたのだ。
こうなったらこの日はモスクは断念し、翌日に訪れる事にした。

警備員みたいな方がバナナをくれた
こちらが、”Kuala Lumpur”の地名の由来となった、クラン川とゴンバック川の合流点

その後、Central Marketにて、マレーシアでの初めての食事。

メニュー表と写真を見ながら、マレー語を少し覚えました
マレーシアでの初めての食事は
”AYAM PENYET + NASI+TERUNG+TELUR MATA”
という、茄子のフライとご飯と目玉焼きがセットになったもの
ドリンクには、マレーシアで大人気の”MILO”を選択。


夕食は、ジャランアローというKL随一の繁華街で開かれているナイトマーケットで食べる事にした。
と、ここで、奇遇の『再会』が。
軽食を摂っていると、旅人カレッジという全国の旅付きが集まるコミュニティ(※現在は活動休止)で出会った、星南と会えたのだ。
当日に僕がKLにいるストーリーを上げたら反応してくれて、会う予定を話し合っていた。
ジャランアローで「日本語で聞き覚えがある声だな」と思って振り向いたら、星南と彼の日本人の仲間達がいたのだ。
この時点では、「翌日以降に時間を合わせて会おう」という話をしていたため、まさに、奇遇の再会となった。

彼らと合流し、晩御飯。

カエルを食べた

その後は、近くのバーへ。

こちらは、KLが含まれている地域の名前を冠したSELANGOR SLING(RM38)
最後は、星南の友人でマレーシアの大学で勉強している日本人達と近くのパブへ。
右上で親指を立てているのが星南

お店の名前は”Gravybaby Changkat”

P.S
お酒好きの方、安心してください。
「マレーシアはムスリム国家だからお酒は厳しいんじゃないの?」って思った方のいるかもしれないけど、マレーシアはお酒は厳しくないです。
このように、お酒を飲めるバーは普通にあります。

2022.12.31-2023.1.1

大晦日は朝から晩までKLにいられるので、丸1日観光。
と行きたい所だったのだが、前述の通り前日は夜遅くまで飲んでいたので、午前中は10時30分頃まで爆睡。
最初の食事は宿の近くで朝昼兼用で済ませ、Muzium Negara(国立博物館)へ

日本と気温差が激しく水分をたくさん摂った
マレーシアのマクドナルドには、豚肉を使ったメニューがない
ムスリム国家ならではですね
メインもサイドもドリンクも、日本にはないものを注文
バーガーの中身

マクドナルドで遅めの昼食を済ませ、次は、ペトロナスツインタワーへ。
KL随一の人気スポットであるこのタワーに登る事を楽しみにしていたのだが、当日券は買えず…。
これは自分の調査不足と割り切り、案外すんなり気持ちを切り替えられた。

ツインタワーには入れなかったけど
記念に1枚
Masjid Negaraには入れなかったが、
そこで香港出身のカップルと出会った。

晩ご飯は土曜限定のナイトマーケットへ。
この旅で訪れる事が出来る最初で最後のチャンス。
年越し会場への道が混み合う事やそのが人で溢れかえってちゃんと中に入れるのか心配だったが、このマーケット訪れずに後悔する事だけは避けたかったので、初めてGrabを使って行ってみた。
土曜日限定という事や大晦日という事も大きな理由なのか、前日の夜のジャランアローとはまた異なる雰囲気を味わえた。

運転手のMuhammadとナイトマーケットにて

その後は年越しのカウントダウンをするべくKLCCへ。
21:00時点で、日中とは打って変わって人で溢れ返っていた。
音楽な流れる中噴水ショーを見ながら1年間の出来事を振り返り、「2022年が終わる」という感傷に浸っていた。

マレーシアの時間で23:00頃には日本では年が明けた。

その時に感じていた事もリアルタイムで発信したかったのだが、人が多くて電波が悪すぎてそれは出来ず。

10秒前からカウントダウンをし、”Happy New Year!”と会場にいたみんなで叫んだ。

人生初の海外年越しは、人生一騒いだ年越しになった

それまでは日本で家族と一緒にいる事が殆どだったが、海外で叫びながら迎える新年も、『年越し』が2回あるような不思議な感覚を味わえて面白いなと思った。

その後、行き交う人達に”Happy New Year!”やマレー語で”Happy New Year!”を意味する"Selamat tahun Baru!"と声をかけながら年越しの余韻に浸りながら辺りを歩いていると、日本出身で現地で働いてる人達と出会った。

現地で出会った日本人のお二方
2023年の十二支の動物であるウサギのカチューシャを
貸してもらいました

その後ある程度落ち着いてきたところでGrabを呼んだが、アプリ上には、道は大混雑でタクシーが来るまでにかなりの時間がかかるとの表示が出た。
翌朝早いので、Grabはキャンセルして、思い出作りも兼ねて6km宿まで歩いた。

その後、荷造りの最終確認をしたりシャワーを浴びたりで3時頃まで起きていて、翌朝は8時前に起床。
ロクに寝てない状態でジョホールへと向かう事に。

そして、新年早々悲劇が。
ジョホールのLarkin Bus Terminalに到着し、その近くの宿に着いて荷物整理をしている時に、思いもよらぬ事態に気付く。
GoProがなくなっていたのだ。
確実にバスに忘れた。
バスの中では座っての長距離移動という事で久々にじっくり音楽を聴く事が出来たのだが、ジョホールに向けての調べ物の他に友人や家族に”Hapoy New Year”とメッセージを送りまくっていたので、頭を休める事を怠ってしまったのだ。
よって、バスを降りる時に荷物の確認を怠ってしまったのだと思う。
今振り返ると、その時の僕は相当舞い上がって浮き足立っていたのだと思う。

GoProをバスに忘れ、絶望してる時

とは言っても、下を向いて何をしない訳にはいかない。
ジョホールを訪れたのには、大きな目的がある。
気を取り直して、このためだけに持ってきたと言っても過言ではない、日本代表のユニフォームを身に纏い、Larkin Stadiumへ。

博物館で出会ったシンガポールの人達
シンガポールもW杯に出られるように頑張ってほしいな🇸🇬

ジョホールに着いたその日に博物館を訪れたので、博物館を訪問した日付は1月1日になる。
新年早々から博物館が営業している事は、日本では考えられない。
日本では1月1日祝日で、自分もその前までは毎年家族や親戚で集まっていたのだが、ジョホールに住んでいる、後ほど登場する旺之曰く、こちらでは、年越しを祝った後は普通に学校や仕事に行く人が多いらしい。
日本とマレーシアの、『新年』や『正月』に対する向き合い方の違いを垣間見る事が出来た。

また、Larkin Stadiumは日本代表が初めてのW杯出場を決めた特別なスタジアムとあって、自分が日本人だと伝えると、博物館の館長が笑顔で出迎え、『ジョホールバルの歓喜』の時の様子を嬉しそうに説明してくれた。

念願のLarkin Stadium
下のスウェットは、12/30にJalan Alorで購入したもの(30RM)
日本列島を歓喜に包み込んだ岡野雅行選手の決勝ゴール
悲願のW杯初出場を決めた日本代表のメンバー

博物館の詳細はこちら


Johor Japan Football Galleryを見学した後は、一旦宿に戻った後に、Pasar Karat(Bazar JB)に向かい、ようやく、新年初のちゃんとした食事。
宗教の関係で鶏肉を食べる事が多かったため、ここでは牛肉を選択。

グァバジュース(3RM) ,Nasi Daging Geprek Cheese (16RM)
中国の影響を大きく受けている事からか
マレーシアでは正月より旧正月の方が重要な行事だそう

この日宿泊したのはLarkin Sentralの近くのこちらのホテル

ホテル内には、JDTのエンブレムが
これを見たのは2023年になってからだったが、寅年として虎に目を向けずにはいられない
Ghazrin's Classic Hotelの受付

2023.1.2

ジョホールに丸1日滞在出来るこの日は、帰国が2日後に迫っている事もあり、まずは帰国に必要なコロナの陰性証明を取得するべく、市内の完全日本語対応の病院でPCR検査を受けた。

費用は相場に比べて高くついたが、『母国』を感じながらどこか安心して検査受ける事ができた。

院内は、このように日本語の文字で溢れている

病院の位置情報はこちら


検査を済ませた後は、この街に来たもう一つの大きな目当てである、タンジュンピアイアタック。
日本国内の『最突端』と同じく、交通の便はよろしくない。
現地の人以外はマニアックな人ばかりが行く場所とあって情報量も少なく、どうやって行こうかあれこれ考えていた。
そんな中、昨年6月に浅草でやったGAT(環境問題や社会問題と向き合い、ゴミ拾いなどのアクションを起こすコミュニティ)のゴミ拾いで出会った友人で僕が行く直前にタンジュンピアイに行った人がいて、彼の知人で僕と同い年でマレーシアの大学院で勉強している人に車に乗せてもらえた。
その人はレンタカーをしていたため彼には150RM払ったのだが、ここでも国内で培ってきた人脈を活かせた。
PCR検査を受け終え、軽食を摂りながら、旺之が迎えに来るのを待つ。
同い年、しかも同じ8月生まれで共通の知人の実は沢山いるという事で、彼とはすぐに打ち解ける事ができた。


ユーラシア大陸最南端、乗せてくれた旺之(右)と

その後は、彼の大学の先輩の碧さんと合流し、昼食。

お皿の上に紙が引かれているのは、お皿を洗うのが面倒だからだそう…

こちらが、そのお店


真ん中の女性が碧さん、左の男性は旺之と碧さんと同じ大学の現地の方
最南端到達証明書(5RM)

その後、彼らの大学を少し見せてもらい、この夜に泊まるJB Sentral駅の近くのゲストハウスへ。

大学の中にあるカフェ
僕が飲んだのはオレンジジュース

カフェの詳細

泊まったゲストハウスはこちら

Attrus Bed & Breakfast

マレーシアに着いてから4日目になり、使用済みの衣類が溜まってきたので、この旅で初めての洗濯。

※写真を撮り忘れたのでURLだけの添付になります。

洗濯している間に月曜限定のCentury Garden Night Marketへ。
ジョホールは川の向こう側にシンガポールがある事で、このマーケットは中国系のものが中心。
2012年の末に父と二人で訪れた台湾の夜市を彷彿とさせる光景が広がっていた。

対岸に見えるのが、2019年の末に家族で訪れたシンガポール
柑橘ドリンク(5RM)

マーケット自体がさほど大きくなかった事や洗濯物が出来上がった事で、このマーケットの散策は短目に。
ただ、お腹はまだ満たされていなかったので、その後はインド料理のお店へ。

翌日以降に備えてドリンク2本も購入

お店はこちら

2023.1.3

この旅で特にやりたかった事は一通り完了し、前日遅くまで起きていた事や旅が5日目を迎えた事で疲労がかなり蓄積していたので、11時半頃まで爆睡。

マークしていたお店は少し離れている場所にあったため、ジョホールでの最後の食事となる朝昼兼用の食事は、宿の近くで気になったお店で摂った。

カニチャーハン(11RM)とパイナップルジュース(8RM)

お店の詳細はこちら

その後は、KLに戻る飛行機を抑えていたので、空港に向かうまでの時間で市内を散策。

中国風のこちらの2箇所を訪れた。
それにしても、ジョホールは中華系の顔つきの人が多くて、中国語も少なくない頻度で聞こえてきたな。

Johor Ancient Temple
新山華族歴史博物館(6RM)

その後、Grabで空港に向かい、翌日の帰国(KUL✈️NRT)に向けてKLに戻る。

セナイ国際空港(JHB)にて
後ろにある”Majestic Johor ”というは、
ジョホール州の観光を促進するキャンペーンの事だそう

最後の夜は、この日の夜に泊まったゲストハウスの火曜限定のBBQパーティーに参加。

BBQの参加スタンプ

25RMで以下の写真のようなものが食べ放題だった。

泊まったゲストハウスはこちら

The Travel Hub Guesthouse

最後の夜なので、KLの夜景を見に行く事に。
国際交流は楽しかったが、ムナラKL(現地の言葉でKLタワー)のチケットを予め購入していたので、パーティーを途中で抜け出し、タワーへ。

ムナラKLからの夜景
その国での最後の夜に夜景を見るのは恒例にしたい
後ろにはチケットを買えず登れなかったペトロナスツインタワーも

夜景を見た後はBBQ会場に戻って現地で出会った人達とUNOをした。

2023.1.4

旅の最終日となったこの日は、午前中はKL市内をゆっくり散策し、空港へ。

PCR検査の陰性証明を見せ、航空券をもらい、お土産を購入し、最後の食事を済ませる。

マレーシアでの最後の食事

お腹を満たし、感謝の気持ちと共に5泊6日過ごしたマレーシアとお別れ。

機内食

7時間弱の長旅だったので、ビリヤニを注文。
Batik Air Malaysia(LCC)だったので 25RMで購入した。

そして、成田空港に到着。
PCR検査の陰性証明を見せ、問題なく入国。
大きな怪我や事故に巻き込まれる事もなく元気に帰国し、初の海外一人旅を終えた。

この格好で家まで帰った訳だけど、
間違いなく、道を歩いている人達の中で僕が一番薄着だった

最後に家の近くで家系ラーメンを食べ、家に帰り、翌日の仕事初めに備えたのであった。

旅で感じた事

『母国•日本』の誇りを胸に

一部の地域を例外として、どこかの国に入る時は、自分の国の名前が表紙に記されたパスポートを見せる。
この時点で、「自分は日本から来ました」という事を入国審査官に伝える事になるのは説明不要だろう。
そしてこれは即ち、「日本の看板を提げている」という事を意味する。
そして、異国の地で『母国』に関するものを見たら、日本人としての誇りと責任を感じる。
僕がこの旅でそのような気持ちになったのが、下の看板を見た時。
日本のアニメが海外から大人気で、『鬼滅の刃』もその例外ではない事は、普段アニメを殆ど見ない僕でも知ってはいたが、『自分は日本人である』という事の誇りを感じずにはいられなかった。

KL Metroの駅で見かけた、禰󠄀豆子ちゃん。
自分があまり詳しくない分野でも、
母国が世界に誇れる何かがあるって素晴らしい

この旅で得た気づき

気づき①

気が向いたら別途詳しく綴るかもしれないが、僕は、2021年に47都道府県踏破を達成している。
元々は、海外に行けない間に日本で訪問できていない地域を周ろうと思って始めたのだが、この旅の経験が生きたのだ。

旅の前から計画を綿密に立て、地図で行き方を調べ、本当に行きたい所を余す事なく周る。

時間を調べて電車を乗り継ぐ事、自分の行きたい場所をサクサク周る事など、国は変われど、基本的にやってる事自体は大きく変わらないという事に気がついた。

このように、日本国内での旅の経験が生きたと思った事もあった一方で、いかんせん通貨や言語は日本で普段使っているものと異なるが故に、頭の中で変換作業を幾度となく行い、毎日かなり大きな疲労があった。
それだけでなく、『人生初の海外年越し』という興奮や年末年始の独特の雰囲気も合わさって、終始気持ちを落ち着かせる事が出来ずに物を無くしてしまう事もあった。
そこで、今後の海外旅では、カフェやお店などに数10分から1時間くらい滞在するなどして、『安息の時間』を意識的に設けようと思った。
国内旅よりも労力を使う海外旅なら尚更、落ち着いて冷静に振る舞う事が大切。

気づき②

また、この旅では、KLとジョホール、それぞれ2泊以上した。
週末弾丸とか短期間の旅でもある程度はその国を楽しめるかもしれないが、その国の事を深く知りたいなら、時間を取って複数都市訪れるべきだと、身を持って感じた。
複数都市訪れる事でそれぞれの都市を比較でき、1つの都市しか行かなかった場合と比べてその国の事を深く知る事ができる。

例えば、KLではマレー系や中華系、インド系といった様々な種類のマレーシア人がいたが、ジョホールは、前述の通りシンガポールの近くという事で中華系のマレーシア人が多く、中国風の料理や施設が多かった。

他にも、KLは国鉄以外にも交通網が発達していて移動は電車を使う事が多かったが、ジョホールでは国鉄しか通っておらず、長距離移動はGrabがメインだった。

同じ5泊6日でも1つの都市だけを訪れてより深い部分まで掘り下げてみるのも違った面白さを味わえるかもしれないが、折角これだけの日数滞在出来るのなら、複数の街を見てみる方が面白いと、僕個人としては思う。

この旅の前は、会社員をしながら週末弾丸でも沢山の国を周りたいと思っていたが、今後海外を旅する時は、週末弾丸とかではなく1週間とかまとまった時間を取ってそれぞれの国をじっくり楽しみたいという価値観に変化した。

Epilogue

この先何回あるかわからない、家族や祖父母、親戚との時間を、言ってしまえば犠牲にして敢行した、人生初の海外年越し。
『年男イヤー』2022年の始まりと終わりを日本で過ごした人達よりも1時間だけ長く過ごした。
そして、マレーシアや日本だけでなく、アジア他国やアジア以外の地域の年越しも経験したいと思うようになった。

また、この事を公の場で書くのは初めてだが、昨年10月に中高時代の同級生を亡くした。
彼もまた、海外旅行が大好きな人で、彼の旅の様子はInstagramを通して見ていたし、他界する半月前にもDMでやり取りして、僕の事を応援するメッセージをくれていた。

そんな彼の葬儀の場で、僕も海外で躍動する決意をした事は、今でも昨日の事のように覚えている。

そんな彼の想いも背負って、幾度となく彼の事を思い浮かべながらの旅だったので、どんなに苦しい事や思い通りに行かない事があっても、「大丈夫、俺は生きている。まだまだ楽しい事を経験できる」という事を何度も言い聞かせ、自分を奮い立たせていた。

また、これは、今年の10月に彼の一周忌を迎えた時に思った事なのだが、その年の末に中高時代の出来事が関係している国に行った事には、巡り合わせを感じずにはいられない。

彼が生きている間には、自分が海外を旅している様子を見せる事は出来なかった。
それでも、このマレーシアへの旅を含めて、彼は天国から僕が海外で躍動する様子見てくれていると信じている。
綺麗事だと思われるかもしれないし僕自身も彼の事を深く理解している訳ではないけど、今後も、海外に行く時は、彼の想いも背負って闘っていきたい。

2023.12.25 SHOMA.O


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