ドブ鼠ヨーロッパ紀行① アムステルダム (オランダ)編
プロローグ
This is the note that Ive experienced with my eyes my body and my heart.
2024年 夏。僕が過ごしたヨーロッパでの夏の出来事。
旅に出た。
ジリジリと自分で肌が焼けていることを確かに自覚できるほどの殺人的な灼熱の中、満腹を遥かに通り越しパンパンに膨れ上がったバックパックだけを連れ。日本の往復以外は全て陸路移動。〃快適〃 など一切ない。泥臭い旅に。
たぶん、一生忘れることのない旅に。
僕は出た。
大阪(日本)→厦門(中国)
僕のフライトは大阪からだった。大阪を出て、中国の厦門を経由してオランダのアムステルダムへと繋いでゆく。まずこの経由地厦門にて、これまでの人生で一番背中の痛い夜を送る事となる。
大阪から厦門までのフライトが約5~6時間。大阪までは愛知から向かったので、その時既に移動で疲れ切っていた。そして僕にはラウンジを利用できる権利もなければ、圧倒的貧乏旅行者なので今更この時間になって寝るだけの為に外へ出て、ホテルを取ろうなどとは思わない。お腹も空いているが空港内のどこのお店も閉まっている。もちろんシャワーもない。仕方なく僕はトイレで洗面作業を済ませ、寝れる所がないか探して歩く事にした。
そこでたった一つ見つけたのがこれ。
何回これを通り過ぎた事か。しかし、どこを探してもこれしか見当たらない。
「もうここしか自分の居場所はないか、、」
僕はまだ見ぬ ”まだマシ” な場所を諦め、ここで夜を明かす事に決めた。
その晩は身体の痛みで何度も目を覚まし、定期的に巡回に来る空港警備の人に何故か怯え、相棒のデブバックにも気を配りながら ”快眠” とは程遠い、3時のおやつ的な粗末な眠りを繰り返した。だが僕は疲れすぎていて10時間、そこから動かなかった。
念願の朝がやって来た。とにかく腹が減っていたので移動しようと身体を起き上がらせるが激痛が走る。痛みに耐え、20kgの相棒を背負いながら何とかマックまで辿り着いた。中国のマックでは日本ではみないお粥のセットが売られていたので頼んでみるとこれが意外と美味しい(体に良さそうな薬草的な味)。
朝食を済ませ、空港内を散策しアムステルダム行きの飛行機へと乗り込む。廈門からアムステルダムまでさらに12時間程。「また長い戦いが始まるな、、」と思っていたが昨晩良く眠れなかった為か、飛行機の中では映画を一本観て眠っていた記憶しかない。
そんなこんなで何とか無事、僕は今回のヨーロッパ旅1ヵ国目、オランダのアムステルダムにやって来た。
1/11ヶ国目 オランダ アムステルダム🇳🇱
夜。現地時間で確か20時頃。僕はアムステルダムに降り立った。外へ出ると硫黄の様なガスの様な、何とも言えない香りが漂う。マリファナ?
オランダではマリファナが合法だ。僕も学生時代、カナダのバンクーバーへワーキングホリデーに行った年がたまたまマリファナ合法化のタイミングと重なり、ビーチで行われた合法化を祝う大規模なパーティーに参加したことがある。決して良い香りではないのだが、その香りが鼻腔に入るとあの頃のワーホリの記憶が呼び起こされ、何だか懐かしく感じる。
それとオランダ人は背が高い。オランダは平均身長が世界一高く、男性が約184cm、女性が約171cmらしい。トイレに行った時、明らかに便器の高さが日本のものとは違って少し苦労した。巨人が多く、マリファナが香る国。
何だかとんでもないとこに来てしまった気もするが今日はもう寝て、街には明日から出よう。
僕は再び空港の中へ戻り ”柔らかい” 椅子を探す小さな旅に出た。
アムステルダムで迎えた朝はとても綺麗だった。前日降ったらしい雨が陽に照らされ地面で輝きを放つ。良く眠れ、調子も良い。Googleマップで調べると、街まで出るのにバスで行くのが1番安い。僕はスマホに提示されたバスの番号かどうか注意深く見て回りながらようやく見つけたそのバスに乗り込んだ。
バスに乗ると急に 〃旅感〃 が出てくる。ローカルの人たちや自分と同じ様に大きな荷物を持った旅人。このバスの一員になれていることが不思議と嬉しく感じられまた、ここに来なければこの人たちとこのバスに乗って移動することもなかったんだなとごく当たり前のことを想像してしまう。空港から遠ざかるにつれ、家や建物、スーパーやレストランなどが増え、この地に住む人々の生活の中に入り込んでいる様だ。
太陽は変わらずこの街をキラキラと元気よく照らし続けている。多種多様な僕らを乗せたバスは、昨晩の雨がシャイニーに瞬く道をそれぞれの目的地へ向けゆっくりと走る。
バスに乗り込み20分ほど。アムステルダムのメインの街並みが車窓の外に広がり始める。アムステルダムは同じ高さに揃った家々が所狭しと綺麗に整列しているのが特徴的だ。何でも建物に高さの制限が設けられていたり、間口によって課される税金が変わる為この様な街並みになったらしい。
また街にはたくさんの運河が流れている。ボートでぷかぷかと、朝の陽を浴びながら家族でサンドウィッチを食べる家族の姿や、監督を中央に、若者たちが身体を前へ後ろへと懸命にパドルを漕ぐ姿がある。
僕は適当な場所で下車し、朝の清々しいアムステルダムの街を目的もなく、ただフラフラと歩いてみる。改めて、日本と全く異なる周りの景色を見ると「本当に異国に来たんだな」と感慨深くなる。
「旅っていいな」
腹が減ったので近くのカフェ、レストランを覗いてみるがやはり高い。
ヨーロッパを旅するということはやはりそうゆうことなのか。食事、移動、土産など金に纏わる全てのことに関して常に気を張っていなければならない。僕がしているのは贅沢な旅行などではなく、自由な環境の中でどれだけ自分に挑戦できるかという超貧乏旅。食事でも自分の経験になるのであれば話は別だが、ただの朝食に金はかけられない。ということでたまたま見つけたスーパーに立ち寄る。サンドウィッチやサラダ、カットフルーツなど手軽な価格で食べ物が売られている。
「ホッ」と安堵の息が漏れる。これからどこの国に行っても、とりあえず自分の味方となってくれる場所はありそうだ。購入した朝食を片手にベンチに腰掛ける。
橋の下の運河では不慣れな手つきでパドルを動かす大人たちを相手に、インストラクターの大男が身振り手振りを交え、あれやこれやと指示を出している。
膨れ上がったバックパックを見れば分かる。「いつもそうだ。自分も旅は不慣れかもしれないが、とりあえず出て来てしまった、、」片手に掴んだサンドウィッチを眺め、これから始まるであろうサンドウィッチ生活を想像し少し笑った。
「アムステルダム 格安ホテル」宿を取る時は大体こんな感じで検索をかけ、ヒットしたアゴダやbooking.comのサイトへ飛び、並べ替えで ”料金順の安い順” に設定し、一番上から少なくとも三番目に出てきた所を選ぶようにしている。無料で寝泊まり可能なホストを探せるカウチサーフィンなどのサイトを駆使することもあるが、結局今回の旅では一度もマッチすることはなかった。また、僕は安い所しか選ばないので基本的には二段ベッドが複数置かれた共有ルームで過ごすこととなる。その為、貴重品や共有ルームでの荷物の管理。また帰りが遅くなった時はシャワーを諦めたり、物音を立てないように静かに行動したりと、色々と気を遣わなければならない場面が多い。
昼過ぎ、僕はようやく今日の宿の予約をした。いつも決まってその日の昼頃。遅い時は夕方のチェックイン10分前とかに予約を入れることもある。これを言うと結構驚かれるのだが、僕としては次の行き先や行動をギリギリまで保留にしておきたい。何かあった時、いつでも柔軟に対応できるようにしておきたい。その時の気分を優先させたい。というただそれだけのこと。
それから荷物は極力置いて行きたいので、可能であれば二泊以上で予約するようにしている。
宿までは、、 ”3km 徒歩45分”
google mapが経路を表示している。これくらいなら許容範囲なので僕は歩いて宿まで向かうことにした。昔、スペインを40日ほどかけて徒歩で横断したことがある。その経験以降、僕は ”歩く” ことにハマり、特にこのような異国の地に来た時には極力自分の足で歩き、自分の五感でその場を、その国を感じることを大切にしている。また何より ”歩く” より安い移動手段はない。20kgを背負い直し、スマホを片手に僕は宿への道を歩き始めた。
"ほんとにここなのか!?" 安い宿は初見、そういう所が多い。でも地図の場所
もwebの写真も合っているからここで間違いないはず。 ”check in→” の札が掛かる細い階段を上がって行き、そこにいた若い男性に「I'd like to check in」と伝えると何やら色々と書かされ、部屋への行き方を案内される。やはり宿はここで合っていたようだ。言われた通りの道を行き、辿り着いた部屋の扉を開けると、そこには裸の女性が。
「Oh,Sorry!!!」慌ててシャワー室に駆け戻る女性に「Oh! Thank you!!」と僕。言った直後に「Thank you?」と自分が発した言葉の変態性に思わず驚いてしまった。
ベッドに腰掛け、荷物の整理をしているとさっきの女性が濡れた髪をタオルで拭いながらシャワー室から出てきた。もちろん、服を着て。
60代位か? 自分よりだいぶ歳上で特に何もなく、自然な流れで自己紹介、旅の目的やこれからの行き先などを簡単に喋った。
よると彼女は女二人で旅に来ているらしい。相方は今外出中で、もうかれこれ二ヶ月程、ヨーロッパの国々を周遊しているとのこと。正確な場所は忘れたが、ギリシャが特に美しかったと彼女は楽しそうに語っていた。
しかし、やはり故郷が一番。
もうすぐ帰れることがたまらなく嬉しいらしい。
自分も今は若く、体力もありこうやって旅に出てこられるが、自分も彼女と同じ歳になった時、こうやって ”知らない世界” に興味を抱き、そこに飛び込んで行けるか。いつまでも ”好奇心” を持ち続け、 ”挑戦者” であり続けられるか。
「自分もそうであれたらいいな」と思う。
彼女を見ていると何だか希望が湧いてくる。
話し終えると僕は、お出かけ用の小さい手提げに荷物をまとめ、ベッドで横になった。
目が覚めると外は既に暗くなっていた。行動している時は何てことないが、ベッドで横になると途端に疲労が津波の様に押し寄せ、あっという間に眠りの世界に飲み込まれていたようだ。僕はカメラと手提げを携え、夜のアムステルダムに飛び出した。
雨が降っていたらしい。地面に散った水が街の暖灯に照らされ煌めきを放つ。その煌めき、道の中央に沿って伸びてゆくレール。怪しげな光に照らされた街を行き交う大きな人々。舞い上がる煙と、ふわりと掠める硫黄の香り。
夜のアムステルダムもまた ”卑しく、そして、美しい” 。
僕はワクワクしていた。このままこの道を行けば何が待っているのか?
どんな世界が広がっているのか?
危険な世界の入り口へと入って行っている様な、周りが全員敵に見えてしまう様な。言葉じゃ上手く伝わらないこの感覚。
瞬間、僕は自分が ”旅に入った” ことを確信した。
Red Light District 飾り窓地区
特に目的地を決めることもせず適当に歩いていると、"血” の様な ”ワインレッド” の様な目が眩むほどのネオンがギラつく通りに出た。
”Red Light District” 日本では ”飾り窓地区” と呼ばれる。
風俗やストリップクラブが集中するアムステルダムで有名な観光スポット。通りにはガラス張りのドアが立ち並び、そこから露出度の高い下着や水着姿の女性が人々を手招く。正に ”異世界” に入り込んだ様な感覚。
怪しいライトが漏れ出すガラスケースの中から静かな視線を送る嬢と、それを冷やかし歩く、またはじっくりと品定めする外側の人間たち。様々な人々が交錯する。そして、今は自分もここの世界に溶け込むモブの一人。誰も、僕が何者であるかなど知らないし、僕も誰のことも知らない。アウェイであるが故に自由。ただの一人の人間。それ以上でもそれ以下でもない。
大きな人々の波に乗り、一本の通りの端から端までをゆっくり歩く。見たことのない景色を見ることはやはり興味深い。 ”そこから何か吸収できることはないか” と前のめりにその世界と向き合おうとするのだが、ただ、
”自分の知らない場所でこの世界が存在していた” という事実を確認できただけでも大きな成長だ。いや、そんなつまらないことを自覚している時間が勿体ない。心を空っぽに、この世界を堪能しよう。僕はただ見て、感じて、そして歩き続けた。
時折ガラスケースの中の目が合う。僕はそれを拭い逸らす。目が合う、逸らす。それが何度か続く。嬢と値段の交渉をしている男がいる。中には通訳を介す者も。多くの人々が行き交うこの場所で。自分にはできないことを、いとも簡単にやっている。アムステルダムで売春行為は合法だ。故に彼らは悪いことをしている訳ではない。堂々としていることに何の後めたさもなくて当然だ。しかし、いくら自分を知る者がいないとは言え、人前で ”本能を曝け出す” という行為は今の自分には到底できない。別にここで堂々と ”嬢を買う” ことをしてみたいという訳ではないが、いつか自分も ”つまらないこと” に捕らわれることなく、自分本位で行動や選択をしてゆける、本当の ”自由” を手にしてみたいなぁと、そんなことを思う。
端まで行き着き、運河に架かる橋から今自分が歩いてきた通りを眺めると、そこには日中とは全く違うアムステルダの夜の姿。
"表と裏”
「人間の様に、街にも表の顔と裏の顔があるのか」
僕は大通りを外れ、さらに歩を進める。細く、ネオンが消えた暗い道を、奥へ奥へと。
教会や石造りの道、建物など美しいヨーロッパの世界を散歩し、僕は宿へと帰った。
いい日の始まり
アムステルダム二日目。早くに宿を出、朝のアムステルダムを歩く。
今日も特に予定はない。当然、目的地も。
にしても今日も暑い。体感としては35℃くらいだろうか? 天気がすこぶる良いというのもあるだろうが、石造りのせいか、街全体が総力を上げて暑くなっているような気がする。これからまだまだ続くヨーロッパの旅。
”重い荷物・安い移動手段・食の節約・安い宿” に加えこの ”殺人的な猛暑” とも戦ってかなければならないのか、、。誰もが憧れるこの美しいヨーロッパの地で、自分は何故こんな辛い事をしにきたのか?
出てきた目的は特にはないが、ただ、これをしてみたかったのは事実。
この旅路の先で来てよかったと思える様な ”強烈な何か” を見つけられるといいのだが。
石畳を外れ、大きな公園に入る。遊具など子供の遊び場はなさそうだが、敷地内にはランニングコースが通っていたり、小さな池がポツポツと点在していたり、大きな木の下にはゆっくりピクニックでもできそうな広場があったり。天気のいい休日にはたくさんの人達がここで時間を過ごすのだろう。
ランニングする人々とすれ違いながら、平和な公園の朝の風景を眺めていると、小さな畑で子供達が何やら作業している姿がある。蜂や一輪車、どこか見覚えのあるキャラクターや生徒の名前が描かれた看板。カラフルな風車などが立つ小さな空間。青空の下、大人と子供、みんながここで一丸となって作業している姿はなんだか ”いい日の始まり” を予感させているようだった。
アムステルダム国立美術館
美しい街並みの中でさえ、一際目立つ大きなレンガ色の建物が現れる。
アムステルダム国立美術館。
この辺りは特に人も多く、記念撮影している人々や団体客のグループがひしめき合う。建物の下部がくり抜かれ、そのトンネルを通って反対側へ抜けられる。路上演奏のバグパイプが反響するその通路には美術館入場者の列が延び、それを横目に反対側へ抜けると広大な芝生のミュージアム広場、その隣にゴッホ美術館とアムステルダム市立美術館。
「アムステルダムは芸術の街なのか」
ハルス、レンブラント、フェルメールに加え、あのゴッホもオランダ出身の画家らしい。そんなことも知らずにアムステルダムに来てしまったのだけれど、流石にこれら巨匠の名は僕でも知っている。
“そんな歴史に名を残した超有名画家の本物の作品がここで観られるのか。教科書などでしか観たことのない、あれらの作品が”
チケットは決して安いものではなかったが自己投資だと割り切り、僕はアムステルダム国立美術館の公式サイトへ5Gでぶっ飛んだ。
美術館内は一言で言うと ”広大” だった。真っ白な空間は天井が高く、無駄な障害物がない。ギフトショップやインフォメーションカウンターはあるのだが、そこに溶け込む様な造りで、違和感を一切感じさせない。
例えば宇宙に滞在する宇宙飛行士と机に備え付けのマイクで連絡を取る。目の前の大きなディスプレイにはデカデカと宇宙飛行士の顔が映し出され、モニターがびっしり並ぶその部屋で交信を固唾を飲んで見守る団員たち。と言った感じの空間。
外はレンガ色のレトロな感じなのに中は意外とモダン的? と言うか、全く違う雰囲気で驚いた。
展示数も莫大で、8000点以上の芸術作品と歴史的展示物が展示されており、全て観て回るのに八時間以上かかると言われている。中でも特に目玉とされるのが ”レンブラント「夜警」、フェルメール「牛乳を注ぐ女」、ゴッホ「自画像」” これらの作品。
一応パンフレットは頂いたが、どこにどの作品が展示されているのかは確認せず、ここでも僕は自分の気分で適当に回ることにした。
”そこに行けばその作品がある” という予定調和ではなく、この広い建物の中歩いていたら ”たまたま遭遇した” というのが欲しかった。実際 ”いつ会えるかな?” ”あの角を曲がった先にあるのかな?” というドキドキ感は美術館滞在中ずっと心に潜み、僕を楽しませた。こういう楽しみ方は世界的にも、歴史的にも価値があり、誰もが知る様な ”傑作” を保有している美術館ならではである。
よく美術館に行く訳でもなければ特別な知識がある訳でもない僕。ただ、目の前に存在している作品が ”自分と同じ人間によって生み出された” というたった一つの前提を踏まえた上で鑑賞すると、とても考えさせられる。そのことを踏まえていなければ決して同じ人間が作り上げたとは思えないほどの壮大さ、美しさ、クオリティ。
一体これを完成させるのにどれほどの時間がかかったのだろう? これほどまでの技術を身につけるのにどんな鍛錬を積んできたのだろう?
そう考えずにはいられないほどの ”魂の込もった傑作” がここには無数に展示されている。数が膨大過ぎて注視されず、素通りされてしまうものがほとんどであるが、そのひとつひとつが奇跡で、ここに展示されている全ての作品の、完成までの全ての時間を足し合わせると一体どれほどの時間が、、
作品たちが生み出された長い歴史と、作品作りに命をかけた人々の情熱と生涯。そして”ここまでの偉業が成し得る” という人間の可能性を強く感じさせられる。
広大な館内を下から上の階へ順に上がってゆく。多くの傑作を通り過ぎ、上へ上へと。すると上階へ上がった先、光のあまり当たらない薄暗い空間に出た。今まで作品の展示部屋は空間全体がライトで灯され、入ると明るかった。だが、今辿り着いたここには全体を灯す大きな光源はなく、少し先に ”やんわり” と光る何かがあるだけ。ガラス越しに控えめに光るその ”何か” の前には多くの人が集まっている。
僕もそこへ近づく。ゆっくりと距離を詰め、見えてきたのは、一枚の大きな絵。
「やっと見つけた」
レンブラント・ファン・レイン作「夜警」
その存在は前から知っている。きっと世界のどこかで今も存在しているのだろうということも。何かの媒体を通してでしか見たことのない本物が今、目の前に。
本物は想像していたよりも大きく、絵との距離はおそらく5m程あるのだが、薄暗の部屋で一つ輝くその ”傑作” はまるで奥から彼らが歩いてくる様な迫力と臨場感があった。画角の中の、その四角の世界の中だけで息をする登場人物たち。そしてその世界をガラス越しに見つめるリアルな我々。
写真を撮る者。誰かと雑談しながら眺める者。静かにそれに見入る者。
皆、何を思ってこの傑作と向き合っているのだろう?
この瞬間の為に、遠い国からはるばるやって来た人もきっといるのだろう。この一枚の絵は、毎日こうやってたくさんの人々を世界中から引き寄せ、魅了しているのだろう。
”たった一枚の絵” がこれほどの魔力を持っているのは ”凄い” では釣り合わない、とてつもない何かを秘めているように感じる。
「夜警」に観入った後、そのまま同じフロアに続く通路を歩くと、そこはこれまでと同じ明るい空間。同じように順に作品が並ぶ。特に特別なスペースが設けられている訳でもなく、その流れの中でさらに二つの世界的傑作と鉢合わせる。
ヨハネス・フェルメール作「牛乳を注ぐ女」
フィンセント・ファン・ゴッホ作「自画像」
先ほどの「夜警」もそうだが、目の前にあるこれが ”あの本物” という事実を踏まえると、なんだか遥か昔に他界した歴史的偉人と対面しているようだ。作者は当然この世には存在していないが ”作品” はこうして残り続け、これからも世界中からやって来る人たちと多くの出会いと別れを繰り返してゆくのだろう。
結局僕は六時間ほどアムステルダム国立美術館に滞在していた。ここでの時間は ”観て、学んで、楽しむ” という類ではなく ”没入して、感じて、考える” 時間だった。その分、疲労は凄かったがとても価値ある時間を送ることができた。 ”世界的、歴史的に有名な傑作を生で観ることができた" というのと同じくらい ”自分なりの、芸術との新しい向き合い方。楽しみ方を知ることができた” ことはとても大きな収穫だった。
”旅に出る。知らない世界に飛び込んでみる” ことの意義を改めて感じさせられた六時間だった。
駅と家
アムステルダム滞在中、行きたい場所がもう二箇所あった。
一つはアムステルダム中央駅。この駅は東京駅のモデルになったことでも有名。レンガ造りの見た目や、中央入口の両側に塔がある。首都のターミナル駅で、プラットフォームが多いなど類似点が多数ある。が、実際はそれを示す明確な資料は残っていないらしい。
生で見ても確かに東京駅そっくりだな、という印象を受けたが個人的には東京駅の方が大きく、迫力がある印象だ。「特にこの部分のこの点が」という様な具体的な根拠はないのだが、自分の目で見て確かにそう感じた。
また駅前の広場ではハンドマイクで「神」について熱心に演説する黒人女性がいた。ほとんどの人たちが素通りする中、足を止めて聞き入る人や、彼女に向かって何か ”棘のある” 言葉を投げかける人の姿も。
こうした光景も、日本ではなかなか見かけることがないので自分にとっては特別だった。
もう一つはアンネフランクの家。
”アンネフランク” 名前は聞いたことあるが、正直それ以上彼女について何も知らなかった。アムステルダムの有名所を調べている時に彼女の家があることを知り、とりあえず行ってみることに。行くからには彼女について少しくらい知っておこうと調べてみると彼女は第二次世界大戦中のユダヤ人迫害の被害者の一人。二年間に渡り父親の仕事場裏の隠れ家で生活していたのだが見つかってしまい、家族全員強制収容所に送られそこで命を落とす。
アンネフランクと言えば ”アンネフランクの日記” が有名だが、この日記は二年間の隠れ家での生活中に書かれたものだ。
実際に彼女が二年間過ごした隠れ家(日記が書かれた家)を訪れると何人かがそこで写真を撮っていた。花をたむけ、祈る人の姿も。
予約をしていなかったので今回は中には入らず外から家を眺めるだけ。何度か改修されているのか普通の綺麗な縦長の家といった見た目。オリーブ色の入り口の柱には ”ANNE FRANK HUIS” の文字。
第二次世界大戦中の混乱の中、迫害を逃れる為、家族と共に身を隠した二年間。そしてあの日記が生まれた場所。
どれほどの恐怖と戦い、どんな二年間を過ごし、そしてどんな思いであの日記を綴ったのだろう?
この場所で。
See you later! またね!
「Where u going?」「どこへ行くの?」
テサが僕に尋ねる。テサとはあの宿に着いた初日、刺激的な出会いを果たしたあの女性だ。朝のシャワーを済ませ、広げた荷物をパッキングする僕の背中に彼女が問いかける。
僕は今日、アムステルダムを去る。三泊四日、色々なものをみることができた。毎日「意義があるな」「生きてるな」と感じさせてくれる、そんな毎日だった。そして「こんな日々がこれからも続いていくのだろう」と予感していた。少なくとも、この旅をしている限りは。
「Im going to Brussels] 「ブリュッセルに行くよ」
僕の返答に「Nice」と、テサは短く答えた。
彼女もベルギーには行ったことがあるらしく、そこで起こった出来事や行ってよかった場所などを教えてくれた。
暫く話し込んでいると、テサの友人や同じ部屋で寝泊まりする他のゲストたちがぬくぬくと目を覚ます。もう昼前だというのに。旅人が集まる安宿ではよくある光景だ。
何か特別な思い出がある訳でもなく、ただ数日間、同じ部屋で寝泊まりしていただけの間柄だが、いざこれで会う事はないと思うと全てが愛おしい。
「もう行くのね」バックパックを背負った僕にテサが。
「Yes」と、僕。
部屋を出る前、最後にもう一度彼らの顔を一瞥してみる。
ここに来なければ一生交わることのなかった人たちの顔だ。
「Have a safe trip!」「気をつけて!」テサの最後の言葉に
「Thank you. See you later!」「ありがとう。またね!」と僕は返した。
旅で出会った人たちとの別れの際、僕は必ず「See you later」を使うようにしている。 ”もう会うことはないだろう” ということはお互い分かっている。よっぽど深い関係になれば話は別だが、そこまでの間柄になることはそんなに多くはない。けどやはり、別れは哀しい。だからせめて「またね」と、また会うことを前提にお別れしたい。 ”もう会うことはない” を確定させたくない。実際、可能性は限りなく低かったとしても、会える確率は決して
”ゼロ” ではないのだから。生きてさえいれば。
宿の扉を開け、外へ出る。今日は天気がいい。
「Welcome on board!」新着のメールにはブリュッセル行きのバスの出発時刻と場所、搭乗に必要なQRコードのデータが添付されたメールが入っていた。スマホをポッケにしまい、もう一度空を見上げる。
苦労して行ったことのない所へ行く。初めましての人たちと出会って別れる。そりゃ、色んなことが起こる。良いことも悪いことも。嬉しいことも悲しいことも。楽しいことも辛いことも。それはこれからも変わらず続く。けど、それがしたくて自分の意思で飛び出して来たんじゃないか。
「ふっ」と息をつく。これから起こるかもしれない出来事、行く国々のことをちょっと想像してみる。
「さっ、行くか」
僕は不思議とワクワクしていた。別れの後、これからバスでの長時間移動が待っているというのに。
そりゃそうだ。
だって、旅はまだ始まったばかりだ。
🎒オランダ編 終わり🚌
アムステルダムで出会ったグルメ
・クロケット
仔牛ひき肉クリームコロッケ。アムステルダム中心地のファストフード専用自動販売機でバーガーを購入。外見はほぼコロッケで中身はクリーミー。
味は言葉では説明し難いが正直あまり美味しくはない。ファストフード店のサイドメニューなどでよくある様な味。
・ハーリング
塩漬けにしたニシンを発酵させたもの。地域によって食べ方が若干異なるそうだが、アムステルダムではニシンを一口大にカットし、玉ねぎとピクルスを添えて食べる。
程よく油がのっていてとても美味しい。また刻んだ玉ねぎとの相性も抜群。
旅メモ
旅の道中でふと気付いた大事っぽい、忘れたくない僕の言葉。
・「Have a nice day」「Have a good night」の温かみ
・アジアを旅していた時は主に衛生面や食事、環境、盗難のリスクを気にしていたが、ヨーロッパでは圧倒的に ”物価” を気にして日々過ごしていた。
やることは同じでも場所が変われば気をつけるべきポイントも変わる。
・旅人のバックパックの中には生活が詰まっている。
水、食料、服、洗面具、充電器、カメラ、財布など。
日常生活でなら家に置いておける物まで全て持ち運ばなければならない。自分が生きていくのにこんなにも多く、重たい物が必要なのだなと。
依存して生きているのだなと。
毎日背負って歩くバックパックの重さから感じずにはいられない。