上手く言葉にできない
仏教でも、キリスト教でも、どの宗教や思想にもついてくるのが『真理』という言葉。
でもその真理を言葉にするのは容易な事ではないとあらためて感じた。
仏教なら『悟り』かもしれないし、キリスト教なら『救い』なのかもしれない。経験してない人にはもちろん説明は難しいけど、経験したとてそれを表現するのは難しい。
とくに無宗教の人で真理を見た人が居たらなおさらだろう。
僕が考えるに真理は二つに分けられるとおもう。一つは『有』の真理。もう一つは『無』の真理だ。
『有』の真理というのは、例えば神様だったり、人間や植物、生物全般を超越した『なにか』が「有る」真理。
そして後者は、それの逆パターン。神様なんて居ないし、僕たちが生まれてきたのは偶然で、世界の真ん中の部分には何も「無い」という真理。
きっとそれが有神論と無神論という価値観を生んだのかもしれない。
なかにはどっちにもとれないという中立的な人たちもいるけれど…
色んな価値観が生まれてきて、多様性が生まれるのは良いけれど、それでお互いを潰し合うのは怖い。
きっと皆平等で公平な社会というのは、相手が誰であっても受け入れて、寄り添うことなのでは無いかと思う今日このごろ。
それがどんな相手であっても。
とても難しいけどね…