見出し画像

哲学者はなんで難しい言葉を使いたがるのか

哲学の本や心理学の本なんかを眺めていて、ときたま思うのが(思ってた)、なんでこんな難しい言葉を使いたがるの?という不満だった。
『自己同一性』『自我』『超人』『実存主義』
こういう変に難しい言葉を使われるとなんだかわからないを通り越してムカついてくる笑

それで、自分も物事を考えるようになって分かったことは、
この人たちは難しい言葉を使いたがるんじゃなくて、「この言葉を使わないといけないから使ってるんじゃないか?」ということだ。

例えば「女性」を相手に伝えるとき
「女性」と言うと尊重している感じがする。
「女」って言うと、なんだかぶっきらぼうな感じがする。
「女の子」って言うと、幼い子供の印象がする。
「乙女」って言うと、キラキラしてる感じがする。

だから哲学者は自分なりに自分の思っていることを伝えるために、難しい言葉を使ってる、もしくは使わざるを得ないのではないのだろうか。

「妖艶」という言葉は、ものすごく簡単にいうと、「エロい」というニュアンスだけど、「エロい」という言葉だけじゃ伝わらない女性の美しさも含んでると思う。
だから、色んなことを知っている人間ほど難解な言葉を使ってるんじゃないかな
と思う最近笑
実際、今時の人達は(僕もだけど)かなり語彙が減っている気がするから、余計なんじゃないか。

もっと自分も勉強しないと笑

この記事が参加している募集