MTG統率者戦でガチデッカスが気づいていないこと



はじめに

今回はアシムさんの動画を見ての感想だが、私自身はEDHエアプである。ただ構築にも当てはまることはあるし、EDHもやりたいと思っている(まずはやる相手探しだろうが)。現在2つのデッキ(獲物貫き、オボシュと孤独な王、グラン)を画策しているが構築にどうにもお熱なせいでもう数年単位で制作が進んでない。
それはともかく、少し思うところがあるので、今回まとめたわけだ。
論の趣旨としては、ガチ勢のカジュアルプレイヤーに対する誤解とガチデッカスの誤った妄言の追及、分かり合うにはどうする、となる。

あとクソ長くなってしまったので、目的の違いを理解せよの項を読んだら、どっちが妥協すべきの項の、少し上に「カジュアルの不満が強くて、ガチ層の不満があまり表面化しない理由」が書いてあるあたりまで飛ばしてもらって構わない。それでもなげえな・・・
論拠を示したら長くなってしまったので、重要な結論だけ太字にしておいた。
面倒ならそこだけ見てくれ。
後一応の断りとして、実は私、あまりリアルカードゲーマーとの交流がない。ネット関係だけで解決しているので、ネットで見られる限りの反応をもとに書いているので、こんな奴いねーよとなったらごめん。


前提の確認

初めに断っておくが、ガチデッキを使う人間=ガチデッカスではない。
そもそもガチデッカスを知らん人も、いやおおよそ察した通りの意味であっている。
あっていると思うが一応確認の意味を込めて定義させてもらう。

ガチデッカスというのは遊戯王界隈で提唱されたファンデッカスという言葉を私がガチデッキを使う人間にも適用した言葉で

・強カード、強デッキ以外はks
・勝負は勝ちこそ全てでそれ以外はks
・少しのプレイングミスも許せない
・ルールの範囲内でやってるのに自分は批判されるいわれがないと思ってる

といったような人間である。正直遊戯王界隈ではファンデッカスの対義語はガチ厨という言葉が当てられていて、上の特徴はそのガチ厨のものである。
じゃあガチ厨って言葉使えよという話なのだが、チュウという漢字を一発変換できるの恥ずかしいし、とか変換めんどい、とかそういった理由でガチデッカスという言葉に変えさせてもらっている。
ただこの定義そのままより拡張して、もう少しまともだが話の通じない人レベルに落として改めて定義する。

・弱いデッキ、カードを使う意味が分からない(それは敗退行為である)
・ファンデッカスは自分たちに嫉妬していると考えている
・主張として、ルールは守っているのに批判されるいわれはない
・勝利こそが絶対的(善戦しようが負けは負け、負けたら面白くない)

という思想の人間を本稿ではガチデッカスと定義していく。

目的の違いを理解せよ

まずガチデッカスだけでなくガチデッキを使う人の特徴は

・勝利(第一条件である)
・過程はあまり重視しない(前提として華麗な大逆転劇のようなものはカジュアルのみならず彼らも大好きである、ただし勝利が求められる)
・カード選びは勝つためのもので、コンボであれば安定性を追い求めることが最優先事項。そのために他人から構築を丸ごとパクることに躊躇がない。

対してカジュアルデッキを使う人の特徴は

・勝利は最優先ではない(個人的に最優先でなくとも勝ちは目指すべきだと思う、例えば妨害だけする勝ち筋なしデッキは私はクソだと思う)
・ゲームの過程が楽しいものであることを重視する(大逆転など最たるものだが、その結果が勝利であるかはあまり気にしない)
・カード選びは楽しいが優先される。もちろんコンボの安定を図ることもあるがガチほど気にしたりはしない(高額カードガチアンチ勢もいるがそれはただのアホなので気にしないでほしい)
・構築はオリジナルが好ましい(他人のコンボを借りることもあるが、あくまで自分が満足できる形にしたがる、私のようになにもかもオリジナルに固執するのは愚かしいので辞めよう)


ここで見てほしいのは、過程の解釈の違いである。

よくあるガチ勢の勘違いに、カジュアル勢は勝敗にはこだわらない、というものがある。
そして言っていることと違い、カードが強すぎるだの特定の強コンボを否定するのは勝利にこだわっていることの証明ではないか、という。
この勘違いの元をたどれば勝利までの過程の解釈の違いがあるのである。

まずガチ勢は勝利という最大の目標に対して過程はどうであれこの目標の達成こそが第一目標である。
勘違いではないと思うが、過程が過程の時点ではそこに楽しさを求めていないはずだ。
例えば大型大会の優勝者が「デッキをブラッシュアップするにあたり友人とずっと対戦を続けていたおかげで、勝てた」ということがあると思うが、これは過程の時点ではただの過程でしかない。
だが優勝などの目標を実現した時点において、その過程がよいものだった、楽しいものだった、という感情を持つことは全くの自然なものだと思う。
ただ過程が過程の時点ではそう感じていないというだけである。

ではカジュアル勢力における過程はどうなのかというと、そもそもこの過程が過程の時点で楽しいものであることを求める
言い換えれば楽しいと思えること以外はしたくない。

さて統率者に限らず、この手の構築のあるゲームの目標は「勝利」である。少なくとも私はそのつもりでデッキを組む。いかにカジュアルであろうとそれを目指さないのであれば相手に対して非礼であると言える。
但しその道中は楽しみたいのである。
要は、選挙編でパリストンを会長にさせないという目標を果たしたいがその道中は楽しみたいジン=フリークスであるといえる。

こんな風に生きたい。

少し話がそれた。つまり勝利を目指すのはどのプレイヤーにも前提条件であるということだけご確認いただきたい。
先ほどまで述べてきた解釈の違いは、実際のプレイにおいて
勝利を得るための過程」にすぎないガチ勢と
「そもそもその過程こそが本番で、そこで遊ぶのが」カジュアル勢
なのである。
もちろんガチ勢にだって、その過程であるいわゆるガチカードのかわしあいが楽しくないわけではない。そこは理解すべき事柄だ。
しかしガチデッカスはそれを至上としそれ以外を無価値とみるので、弱いカードのやりとりを「〇〇使えばいいじゃん」「そんなのよりこのガチコンボ使えよ」などと言ってしまうわけだ。

ガチ勢の優先順位が、過程<勝利なのに対して
カジュアルの順位が、勝利<過程となっている。
d、やっぱりここもジン=フリークスなんだ。
古代の遺跡を探索で達成した新しい発見という勝利よりも、その道中で得た仲間、仲間との行動、それこそが何よりも変えがたい宝だったのと同じ理屈なのだ。

俺はルールの範囲内でやっている

さて、ガチデッカスの定義にこのような言葉を入れたが、このような主張は一回は聞いたことがあるし、なんなら自分もそう思っているという人もいるだろう。
私にはこの意見を持っている人間は幼稚である、と断言できる。
もしこのような言葉が許されるのであれば、それをいやと思う人間の批判も一緒に飲み込まなければならない。

オタクは清潔感がない、という誹りを受けることがある。私も、秋葉原のようなオタクスポットにいくと、パッと見た瞬間
「こいつから清潔感という言葉を感じられない」
という人間に、通常街中で見る人よりも明らかに高い確率で遭遇する。
ただそういった人間はこういうんだ。
私は最低限清潔にしています。と。

実際、その最低限のレベルが低すぎるやつもいる・・・
が、そこは本題とズレるのでこれ以上の掘り下げない。
ここでいいたいのは、「最低限程度やったくらいでドヤ顔するんじゃない」ということだ。
ルールを守っている、なんて最低限でドヤ顔するんじゃないということだ。
ルールを守ってます、だからなんでもしていいです。は間違った理屈ではない、ないがその後に但し最低限のモラル、場を考えてください。という枕書きが添えられているのに気づいてほしい。

対面で遊びましょということは、お互いが楽しくなるように気を遣おうということ


ここでポケモンオンライン対戦の話をしよう。
現在でも活発にオンラインを使ったランダム対戦がなされていて、私もそれに参戦していてファンデッカスよりな私には思うことがある。
どいつもこいつもテンプレガチパしか使わねえな。と。
令和6年12月ではカイリュー、暁ガチグマ、サーフゴーをBIG3とした構築ばかりで、この使用率ランキングでいうと30位に入らなければオンライン対戦で見ることはほとんどなくなる。
環境が変わればまた違うコピペになるだけである。

ランキング。もう見飽きたこいつら

ガチパしか使いません!という人間が増えたのがX,Yのころ、2013年くらい(もしくはBWの時期からかもしれない)なのだが、これはレーティングバトルの過熱化と対戦動画という概念が広がった影響が強い。
要は強くない=クソという思想が強くなった。
ポケモンのオンラインランダム対戦はBW(2010)からだがそれ以前にもwiiのバトルレボリューションを使ってランダム対戦ができたのだが、その時期は本当に多様だった。
んんwwwwありえないwwwwといった論者(雑に言うとタフネスとパワーを上げて殴れ、補助?イラン思想の人たち)が産まれたのもバトレボだったが、今の時代にこういった多様な概念が新しい流行を作るとは私には思えない。
さて、この多様性、なぜ生まれたのかと考えると、ケーブルを使って顔を突き合わせてやる、昔の名残が強かったからだろう。
要は一人だけ強くなって無双してもしょうがないわけだ。
だから皆もおのずと自重して、楽しむということを最重要視したわけだ。
その一端が複数催眠禁止、ラス1道連れ禁止、ソーナンス禁止(海外ではその考えが強かったらしい)に見て取れる。
要は自粛していた。このルールに賛同するなら名前の前に@をつけるのが常識だったのをよく覚えている。
懐古と言われようがこの時代はよかった。

それがBWになりレート戦が実装されると、皆が一様に勝ちたいという願望を抑えなくなり、その次回作のXYで爆発したというのが私の推論だ。

さてそのバトレボ時代、少数派だったガチパ使い(一応結論構築があった。ガブバンギサンダースイクンゲンガーメタグロスだったか)も、今のガチ勢と同じようなことを言っていた。
「俺たちはルールを守っている」
と。
それに対し自粛するのが当たり前だったプレイヤーは言った。
「空気嫁」
と。
カードゲームもやはり対面で顔を突き合わせてやるゲームである。大会であれば皆勝つためにやるだろう。そのことに不満をもつのは私くらいで、たいていの人は納得するだろう。
だが統率者はカジュアルフォーマットとしての側面が強い。
そしてみんなで遊ぶものと思われている。

ようはこれ

つまりみんなで通信ケーブルを使っている状態なのだから、みんなで気を使い合おうぜという風潮が強いのだと推測できる。
だからこそみんながワルツを踊ってる時にタンゴを踊ろうとする不届き者にキレるのだろう。
鬼ごっこやろうぜ!といったら、ウサイン・ボルトが運転するBMWが全力チャージしてきて一瞬で鬼にされたらつまらないのと同じだ。

ちなみに↓の番組、誰かのせいにしたいが自分の顔しか思い浮かばない、ドイツが負けたと書くだけでこの厚みの人が以前でていた車番組で、これのS13エピソード4で、ボルトはBMWで派手に事故ったことを話している。これマメな

って、今アマプラ登録だけじゃみれへんのかーい。grand tourはいいぞ。

カジュアル勢は自分が勝手にやりたいだけなのに、ガチ勢の自由を尊重していないし勝負から逃げている←www

さて、ぼくがかんがえたさいきょうのでっきとトップメタが対決したらどのような結末をむかえるだろうか。
へそ曲がりでもない限り後者が勝つというだろう。
なぜか?
つよさがちがいます。だからだ。
私はゲームにおけるプレイングはそんなに大きな要因だと思っていない。原因は上のように、そもそものデッキパワーが違うのなら強いデッキを使う方が勝つからだ。
ガチ勢ほどプレイングが大事という。なぜか。デッキ構築において、そもそも全員強いデッキを使うのだから、デッキそのものでは差がつかない、運は制御できない、ならプレイングでなんとかしないといけないと考えるからだ。

ここが重要だ。そもそもカジュアル勢は、自分のカジュアルなデッキを最強だとは思っていない。でも勝ちたい。
しかし現実としてガチデッキを使う相手には勝てない。
もしかしたらプレイングの差だったかもしれない。
だが私ならデッキをまず疑うだろう。
ガチデッキはそのデッキが正しいかどうかを検証するプレイヤーがガチ勢の数だけ存在するが、自分のデッキはそうでない。
自分のデッキは自分しか疑う人がいないのだ。

だからプレイングによる差はあまり考えることはない。そもそものパワー負けを疑ってしまうからだ。
よくガチ勢が「カジュアルはもっとプレイングに向きあえ」と思うようだが、原因はここにある。ガチVSガチほどプレイングが表面化しない。
だからと言ってプレイングをおろそかにしていいとは思っていないのもまた確かだということをガチの人にもご理解いただきたい。

さて、話をEDHでしてみよう。
まずカジュアル2(C1、C2さん),ガチ2(G1,G2さん)の卓ができたと仮定。
遊ぶ。
G1さんが3ターン目寿司くって勝利。
遊ぶ。
G2さんが、4ターン目無限コンボ決めて勝ち。
遊ぶ。遊ぶ。遊ぶ。
C1さんとC2さんは勝てませんゆっくりと遊ぼうとしてるからです。
もちろん楽しくありません。
何もできないからです。
この卓が冷えているのは間違いないな。
クリアアサヒより冷えてるだろう。
多分この状況だとガチ勢も同情するだろう・・・当然だが、お互いに不満感が渦巻くのは容易に想像可能だ。

少し厄介なシチュにしてみる。
A~Dさんが、それぞれ自称レベル6デッキを持ち寄って遊ぶ。
Dさんは実はガチデッカスで強いデッキをコピペすることに一縷の躊躇もないので、頭一つ抜けたデッキギミックをもったデッキを持ってきたと仮定すると、どんな現象が起きるでしょうか。
そうアシムさんいうところのミスマッチですね。
間違いなくDさんが勝ちやすくなる。間違いないね。
再現度が高いということは複数のルートがあるわけではないし、同じカードによる同じ展開になることが目に見えてるのが悲しい。
A~Cの反応は最初は「うおーつえー」程度だろう。
そのうち「え、また」となり「もういいよそれ」となるのだ。
そしてDさんはコミュニティから白い目で見られる。
悲しいことにDさんには心当たりはない。本人にしてみれば強いデッキを組むのが当たり前で、自分に枷をつけることもバカらしく思ってる。
Dさんからすれば他の連中が言っていることこそおかしいのだ。
自分が非難されるいわれはないと考えるだろう。
そしてその考えに基づいて「俺はルールを守っている、何の問題があるんだ」と言ってしまうのだ。
これを言ってしまえばもはや致命的なダメージをコミュニティに与えてしまうのを理解せずに。

これが都会のコミュニティならまだマシなんだろう。カドショも人も腐るほどいる、遊べる場はえらべるのだから・・・性根まで腐ってるのも…うん。
だが田舎のコミュニティであればマジでヤバイのは容易に想像できる。
そもそも人がいない、交流の場がないのだからなんとかしてそのコミュニティを維持したい。この感情は都会より強いと思う。
ただこれは都会の人も含めた全員の総意だと思う。

誰だって今いる自分のコミュニティを手放しがたく感じるのは自然だ。
だからこそそのレベルギャップがあっても無理にコミュニティを維持しようとする。不満がたまる。それでも遊ばないといけない。不満がたまる、爆発する。
ネットで見る過激な論調の人間はこうして生まれるんじゃないだろうか。

さて今、Dさん1人をガチデッカスにしてみたが、今度はDさんを残して全員ガチデッカスに変えてみよう。俺Dさんに刺されるかも。
どうなるか想像に難くないが、Dさんがまるで勝てずA~Cだけで勝ちまくるだろう。
結果的にDさんが過激なファンデッカスに堕ちる可能性がでてくる。
この時、Dさんが他のメンツに不満を漏らしたとしよう。
勝てなくてつまらない、とでもいったとしよう。

A~Cはどう思うだろうか。万が一にも
「そうか俺たちやりすぎたよごめんな」
となるなら世界は平和だ。やったね。
もちろん現実はそうならない。

「お前が弱いデッキ使ってるのが悪いんだろ」
「勝ちたいって言うくせに勝つ気がないデッキ使うなよ」
「お前カジュアルだから勝ちにこだわんないじゃないの?なら別にいいだろ」
「勝ちたいってお前、俺にプレイで手を抜けって言うのかよ」

と、こんなところだろうか。
A~CはなぜこのようにDを悪く思うのか。それは彼らが自分のコミュニティで満たされているからである。
自分はコミュニティに不満がないから、コミュニティに不満を言う奴が嫌なのだ。

少し話を横道にそらす(またかよ
実は私、カードゲームのイベントに参加したのは3回しかない。
ラヴニカのギルドのプレリ(台風の中、車で2時間かけて参加した)、エルドレインのプレリ、そして遊戯王の交流会だ。
そんなこんななので、私は地元にコミュニティを持っていない、ネットで知り合った友人と遊ぶ程度だ。
最初のラヴニカプレリは遠い場所(さすがにもう少し近いところにすべきだった、それでも当時は1時間かかったが)だったが、他の二つは本当に近所にできた店のイベントなので、この際だ地元コミュニティが欲しいなと思った。
だから割と積極的に話しかけて会話に参加しようとしたが・・・結果としては大体の人は新参のよくわからない私より、自らのコミュニティの人間と話したがり、私は強い疎外感を感じた。
私はこの文を見ての通り偏屈人間だが、それにしても冷たすぎやしないかとも思ってしまうのである。
その原因を考えると

「既にコミュニティに属していてそれに満足している人間は、コミュニティの異物や外部に対して冷淡になる」

という結論になる。
他ゲーでゲーセンにおける新参の入りにくさについてXで悩んでいるフォロワーがいたが、多分この要因がそうさせている。

つまり先ほどの例えでは一人だけカジュアル寄りの思考をするDさんは異物であり冷遇されてしまう。ということになる。

さてここで対称性という言葉を考えてほしい。
一人ガチデッキを使いたい1週目のDと、一人カジュアルで遊びたい2週目のDの間に対称性があるかという話である。
結論から言うと、ない。
なぜならDさん1は、コミュニティから排除されるまで遊び続けても、少なくとも相手の手ごたえがない以外のことで不満は持たないだろう、だって勝てるんだから。
対してDさん2は、コミュニティにいることは苦痛だが卓を囲える仲間が少ないと簡単に鞍替えはできない。その上で延々と負け続け勝利を得られず不満感だけがたまっていく。

ここまで延々と言ってきて、結局の結論が

「勝つことを目標にする人が、カジュアルコミュニティでガチデッキつかえば勝てるし、自分だけはギミックまわせて気持ちいい、だから負け続けて自分のギミックもできずに蹂躙されるカジュアル勢より大きな不満を持たない」

なのもあれだ。すまんな。
しかしこれが、ガチ勢が一方的に誹られていると感じる原因なのだと思う。

どっちが妥協すべき?

さて、我々は人間である。考える葦である。
このような不和のトロスターニをもたらす前に、なんらかの妥協策を講じる必要があるだろう。すり合わせの時間である。
それがデッキレベルを合わせるという行為なのだが、これには2種類の方法が存在する。

1つはカジュアル勢がカジュアルをやめガチに転向すること
2つ目が、ガチ勢が妥協してカードパワー、再現性を抑えるようにすることだ。

良識ある人間がとるべきは2である。
なぜか?
1つ目の方法はカジュアル勢の心をすべて放棄しなければならないからである。
前提をもう一度確認するが、カジュアル勢は勝ち方にこだわるのであり、つまりやりたいこと(〇〇という勝ち筋で勝ちたいという意味)というのが明確である。
それが強いのなら何の問題も生まれないのであるが、たいていの場合はガチの強さには劣ってしまう。
それ以前に統率者自体の優劣の時点で負けてしまう可能性もあり、その統率者を使うことにこだわる=コミュニティで生きていけないのなら、それを曲げてまで統率者をやる意味などなくなってしまうだろう。
ふむ、デッキが弱いのなら強くすればいい?素晴らしいアイディアだ。
弱いオリジナルデッキを強くするプロセスって知ってるか?
自分のアイデアへの妥協をするんだよ。
愛用のギミックをひとつ、またひとつと諦めて、自分で調べて強いと思ったカードを抜いて、ひとつ、またひとつとお真面目なガチギミックをいれていくんだ。
それでできたデッキに自分の介在余地なんてほとんどないだろう。
それが嫌なら自分でげきつよデッキを1から構築するしかない。それは非常に困難である。
カジュアルを愛する人間として「お前のデッキが弱いのがいけないんじゃないか」「お前が勝手に弱いデッキ使ってんじゃん」などというガチデッカスは人間のクズなのでさっさと腹を切ってほしいと思う。お前俺がこのデッキにどんだけ時間かけたんだと思ってんだよってな。


「デッキの弱いままであることを否定すること」は「デッキを作った人への侮辱」
に当たるが
「デッキが強すぎると言われること」は「そのデッキがよくできていることの証明」
にしかならないことは火を見るより明らかだ。
その上で自分好みという自我が強く影響してしまう、このカジュアル勢の心理を今一度噛みしめてほしい。

デッキが強すぎ=デッキの出来(クソうま韻踏み)がいいと言ったが、最初の方でも触れたとおり、ガチデッキを好む人はデッキセレクトよりプレイングを褒めてほしい傾向にあると思うので、あんまりうれしくないのかもしれない。

さて、2つ目の方法だが、どうしてこちらを推奨するのかはわかってもらった思う。こちらの方が1人にかかる負担が少ないからだ。
カードゲーマーなら想像は容易だろうが、弱いデッキを強いデッキにする労力より、強いデッキを弱くする方が負担が少ないのは想像が容易だろう。
なんせギミックを少しいじくるだけでいい。
サーチカードで安定を図るならそれを抜けばいい。
単体性能が高いのならそれを外せばいい。
特定のコンボ達成ルートを1つ潰すでもいいだろう。
いくらでもいじくる余地はある。

さらに、ガチ勢のカード採用理由に「愛」という言葉は存在しえないだろう。
端的に「強い」以外の理由などないのは明白である。
つまり、それはこだわりでも自我でもないのだ。
どうしても成し遂げたいことではない。
つまりカードパワーを下げることは相対的に小さな妥協ともいえる。
その小さな妥協で場が明るくなり、皆楽しくwinーwin、これでいいじゃないか。
もちろんカジュアル勢はその小さな妥協に大きな敬意を示さなくてはならないし、一方的に妥協を要求してもならない。
それができないのなら、カジュアル勢ではなくファンデッカスに堕ちている。

もし喧嘩が起きるコミュニティがあるのなら
「すり合わせをしていない」
「伝え方が悪い」
「クソ野郎が紛れ込んでる」
のいずれかだろう。
一番最後だったらご愁傷様だが、追放すればいいだろう。戻って来いと言われてももう遅いなんて事態は発生しないさタブンネ。
ずは喧嘩をする前に、正直な気持ちを相手を気遣った上でなんとかできないかを、出来ればタイマンで、まず最初にすべきこととして話し合うこと、それをするのが大人だ。
不満があるからと言って一方的に相手を悪人にしてはならない。

え、それやったけどダメだった?めっちゃ相手にキレられた?
それ、君か相手の少なくとも1人がクソ野郎の可能性があると思うよ。
さあパリストンはだれなのかな?
・・・まあカードゲーマーにまともな大人が存在するのかはさておき(これはクソ偏見なので軽く流してほしい)

おわりに


さて、ここまでで大体1万文字である。杜子春と走れメロスと同じくらいの長さだそうだ。
・・・いやなげえな!?
もし貴方がフルで見たとしたら、書いた人間冥利に尽きるというものだが、うーん、大体にして私が言えた口ではないが
暇じゃねえよ、でしょうすいません


暇じゃねえよ、でしょうすいません

一応有料部分を作ったので、愚痴でも書いておく。ここまで書いたんだから設定してもバチはあたらんやろ感覚で設定した。元から期待していないがちょっとくらい期待してもええやろーwちなこの文の終わりでちょうど1万文字である。

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