PODCASTがずっと好き
podcastが好きだ。
だからずっとやっている。
始めたとき、7年前くらい、家電量販店でオリンパスのICレコーダーを買った、一緒にいた友人は馬鹿にしたような顔で「マジでやんの?」と言ったのを覚えている。
時代はYouTube全盛大航海時代「発信始めるならYouTubeだろ!」みたいな空気感の中、イーストブルーの片田舎的podcastに圧倒的魅力を感じていた、何故かはよく分からない、単純に当時聴いていたpodcastから笑いや刺激や学びを得ていたから、俺もそんな誰かに何かを与える人になりたかったのかもしれない。
今だに圧倒的雑談力を知らしめている、いとうせいこう、みうらじゅんの「雑談」
様々な著名人に話を聞く「キクマガ」
知らない世界を聴ける「鳥かご放送」
など、頭の中がアップデートされる感覚と脳汁を垂れ流しながら、AMとFMのイオン的周波数にサヨナラを言って個人商店の集まるpodcastに住処を移し、配信者になる事で永住権を獲得した。
出口の見えないトンネルの入り口に立ったのだ。
配信のやり方をネットで調べ、訳わからないままSoundCloudで第一話をアップした。そこまで1週間はかかった記憶がある、毎日MacBookの顔面に舐達磨くらい中指を立ていた。コンピュータおばあちゃん助けてよ!!ってな具合にね、いいすね〜
iTunesのpodcastから初めて自分の声を聴いたときの感覚、自分の人生の何かが始まるワクワクさんとゴロリのショートコント。
最初のリスナーはしばらく1人だけ
俺に決まってる。
そこから試行錯誤しながら最初の番組をしばらく続けた、無理やり友人を出したり、誰かにインタビューしに行ったり、1人で話したり、リスナーは少しづつ増えて行ったが、まだまだ暗いトンネルを1人で歩いている感覚だった。
でも不思議と辞める気はしなかった、自分で録音した自分の声を自分で編集して仕事中に聴きながらニヤニヤするマイセルフ鬼ナルシストStyleが心地良かった、イカれてる、ケーダブシャインくらい自分好き過ぎる。
当時PDCAなんて言葉知らなかったし今もBCAAにしか聞こえないけど、面白い番組を目指して色々工夫して行った。
しかし、2年を過ぎた頃、このままやってもずっとトンネルの出口は見えないだろう、というフワっとした不安に襲われ、番組をアップデートする事にした。
アートワークを変えたり、シュアーのSM58を買ったりYAMAHAのミキサーを買ったり、音質を向上させ、クオリティーの高い番組を配信すれば人気が出る!と思っていた。あぁ浅はっかー、マ🙆♀️ファッカーである。
新しい番組も2年くらいやった、インタビューも沢山した、ふざけ倒したりもした、とにかく色々やったけど、再生回数は大して伸びなかった、トンネルは続いていた。
しかし、一度だけ自分で音楽の歴史を調べて発表するStyleの回をやってみた事があった、人生でこんな本気で本を読んだ事はないってくらいディグって、台本をガッチリ作り込んで配信したらメチャクチャ楽しかったし、ディグっているときも、自分が作った台本で話しているときも脳汁垂れ流しの湯に浸かる現象が起きた。湯煙殺人なら謎にオッパイ丸出しのギャルが登場するに違いない。
でも一個だけ、メチャクチャ時間が掛かるという難点があり、一度きりで断念した。フリーレン的に言うなら飛行魔法である。
しかし、そんなときにpodcast界の大谷と言われている(俺だけ)コテンラジオが来航する。
死ぬほどディグり尽くした歴史を、分かりやすくアグレッシブに、しかも面白く配信するという、完璧なフォーマット、知識+面白の二刀流でpodcastリーグのMVP確定、年俸1000億ポッキャの衝撃は今でも忘れない。
聴いたら脳汁がヤバかった、脳汁の滝百選に選ばれた。
確かに大谷はヤバ過ぎるスキルだ、しかし俺の中の大谷は深井さん樋口さんヤンヤンさんの3人なんだ。
悔しい思いもあった、嫉妬も、しかしそれ以上に番組が面白い。
でも、聞こえて来た声。
「憧れるのやめましょ」
俺の中の大谷も本来の大谷の声より1オクターブ高めの声で俺に言ってきた。
リスペクトは自分のクリエイティブに消化し、受けた影響は誰かに還元していくのが行動ベースのファンとしての真っ当な行いだと思う。
だから俺もやるんだって決めた、誰かの脳汁の出汁になりたいんだって、俺ももっと脳汁を出したいし。
そして、自身のpodcastとしては3番目となる、ナレッジ系の番組を始める決意をした。
これでまだトンネルを抜けれないなら辞めようって感じの背水の陣的ノリ、縦乗り、いや、ヘドバン。
まず仲間を探し、勝ちパターンは3人だから2人のカルチャーにめっちゃ詳しい奴を誘った。
そして、音楽の勉強、本やYouTubeでミックスなどの音楽知識を入れた。
1番大事なディグも、本を読みながら、脳汁を出しながら、朝方のマックで、周りにいたヤバいギャルと、ジジイとババアとヤンキーと一緒にやっていた。
そして新番組を勝手にSpotify限定で始めた。
podcastはバンドと似ている。
最初のうちはpodcastの知識が多い俺がイニシアティブを取っていたが、誘った2人は続けて行くうちにメキメキとトークスキルを上げ、指示を出さなくても勝手に色々やってくれる様になり、対等な関係に近づいた。
それにより会話のグルーヴが生まれ始める。
理想のpodcastは、知らなかった事が知れる脳汁と、テンポの良い会話のグルーヴによって生まれる笑いのバランスが丁度よい番組だ。
コテンラジオ×奇奇怪怪みたいなイメージ
1年、2年と続けていくうちに、その理想に近づいて行った。
今までとは違う変化にも驚いた、相変わらず自分の番組を自分でも面白いと思っていたが、確実にリスナーは増えていったのだ、しかもコアなファンのリスナーである。
今までに無かった熱量の湯気がSNSの文章から立っているのが分かった。
ブログに書いてくれる人もいたし、自分達がオススメした本などを買ってくれる人なんかも出て来た。
トンネルのめっちゃ遠くに光がチラ見できた、落とした消しゴムを拾うフリして見ていた斜め後ろの女子のパンツくらいのチラ見え感だが、見えたんだ。
しかし、これは予感である。
そのパンツ、いや、その光が本物なのか確かめる必要があった。
自分は誰かの脳汁の出汁になれているのか?
確かめる必要があった。
だからリスナーに会いに行く事にした。
2023年12月16日下北沢のボーナストラックで行われたイベントPODCAST WEEKEND。日本最大限のポッドキャスターとポッドキャストリスナーが集まるイベントに参加する事にしたのだ。
端的に言うと、podcastの文化祭である。
文化祭は準備が8割、女子と放課後にファッキンイチャラブしながら準備するのが1番楽しいで馴染みだが、我々は男子だけでワクワクさんとゴロリのグルーヴをループさせながらファンキーに準備をした。
そして当日、2年分の夢と希望を詰め込んだ軽バンをイベント会場に横付けして、旗やフォトスポット、ガチャガチャやTシャツ屋さんなど、これでもかと詰め込んだカオスなお店を完成させ、俺は1番奥で怪しい占い師よろしく得意の似顔絵屋さんをやった。
番組のメインリスナーは東京のシティーガールとシティーボーイなので沢山人来るといいなって期待していたが、蓋を開けたら、沢山のリスナーが我々の怪しいお店に来てくれた。
めっちゃ嬉しかった。
1人1人の似顔絵を描きながら、自分達の作ったコンテンツを通して会話をする喜びを噛み締める。
幸せな時間。
印象深かったのは、とある古参リスナーさんがpodcastを聴いたことで自分も何かにチャレンジしようと思い、一念発起して司法書士を目指し勉強を始めたという話。
感動した、その人は勉強に集中するため、しばらく我々の番組を聴くのを辞めて、毎日勉強に打ち込んだと報告してくれた。
この話を聞いたとき、トンネルの奥の光が目の前に現れた感覚になった。
そしてパンツの柄がイチゴ100%だという事も目視で指差し確認できた。イチゴよし!
誰かの脳汁の出汁になってたんだと思えた。
本当に嬉しかった。
podcastの先人達やリスペクトするpodcastから貰った物を、誰かに渡す事ができた、という喜び。
これは直接その人に会って、その人の声で聴いたからそう思う力が強かったのかもしれない。
そして、この日はこんな事が何回かあった。
イベントは文化祭ではなく、俺たちの収穫祭だったのだ。
予感だった遠くの光は確実に存在して、俺たちを照らした。
出口では無い、薄々気付いていたが多分このトンネルに出口はない。
明るくなったのだ、暗かったトンネルがパッと照らされた。
歩きやすいし、歩き甲斐のあるトンネル。
むしろ新しいトンネルを掘る勢いだ。
イベントが終わると、次の日は何だか何もやる気起きなかった、ICレコーダーを買ったあの日からのpodcast人生に一区切りついたからだらろう。
ずっとドライブしながらお気に入りにpodcastを聴いていた。
少し落ち着いたらまた、沢山本を買って誰かの脳汁を想像しながらニヤニヤ台本を作る。
いや、なんだろう。
podcastが好きだ。
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