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逃げれば勝ちだが恥になる

私は中卒の大工上がりの小さな会社の経営者ですが、年齢と共にそれなりに経験を積み重ねてきた事もあり、現在4つの法人の代表と6つの団体の理事や世話人、4つの会社の顧問役を務めています。14足の草鞋を履いて、あちこちのコミュニティーに顔を出していると様々な相談を受けます。最近になって気になったのは、逃げることに対して抗うことなく、流れに身を任せようとする人からの相談が多いと感じることです。少し前に「逃げるは恥だが役に立つ」との逆説的なタイトルのドラマが人気を博したのと関係あるのかはわかりませんが、逆説は所詮逆説で大事なのは人としての在り方なのは今も昔も同じだと思うし、相談された相手にはそのような事を伝えるようにしています。

逃げないで役に立ったこと

私は子供の頃の経験で、逃げるのはクセになると強く思っています。実際、一度逃げることを覚えると何度でもそれを繰り返したくなるのは人の常、万引きの常習犯が「初めての時は緊張したけど、すぐに慣れました。」というのと感覚が似ている気がします。私自身、中学生の頃に友達が他校の生徒と起こしたいざこざに飛び込んでいくと自分も痛い目に遭うし、喧嘩に勝ったら傷害容疑で捕まるような事を繰り返す中で、面倒から逃れたい、といつも思っていました。しかし結局は自分の中の価値観で逃げて良い子で勉強机にしがみつくよりも、痛くて面倒で、厳しい状況に陥るのを承知の上で喧嘩の現場に飛び込んでいく事を選択して、その結果、完全に学歴社会からドロップアウトする人生になってしまいました。親や兄弟には随分迷惑をかけたし、申し訳ない気持ちはありますが、その頃の私の世界観では、いい高校に進学するとかよりも友達の方が大事だったので、実はあまり後悔はしていません。逃げなかったことでその後の人生に向き合えるようになった気がします。

人は逃げてないと思い込む

そんな喧嘩上等の子供時代を送ってきた私ですが、正直に告白すると、もちろん逃げたことはあります。中学生の時にボコボコにした相手が、卒業後プロボクサーの卵になって、復讐のために何度も家に押しかけてきたり、電話をかけて呼び出しを受けた時はあれこれと言い訳をつけては逃げ回りました。それでも最後は覚悟を決めて決闘の場所に指定された岬公園に行きましたが、理由は忘れましたが、ボコボコにはされませんでした。(笑)
このエピソードから分かる事は、人は健在意識の中で逃げたという認識をしないものだという事です。逃げるという情けなく、恥ずかしい選択をしたのではなく、何らかの理由があったり、そうせざるを得ない状況になったりと自分の選択以外の要因で結果的に逃げたような形になっただけで、逃げ出したのではない!と言いたいし、そう思い込むことで逃げた事実を揉み消せてしまいます。

逃げるのがふつーで自然

しかし、どんなに言い訳を取り繕ったところで、残念ながら面倒や恐怖や苦しさから逃げたという事実は存在します。意識的には本心とは違うが、やむにやまれぬ原因があるから仕方なく逃げるような結果になった、と思い込むようにしたところで、心の奥底の潜在的な意識ではそれは確実に存在して、経験としてインプットされてしまいます。人は初めて経験することよりも、やったことがあることの方がハードルが低く感じて同じ行動をとりがちなのは誰もが知るところ、また、逃走は苦しみや痛み、危険を避ける生き物の本能でもあるので意識をしなければ自然にそちらに流れてしまうものです。
人は、気合を入れて意識しないとふつーに逃げ癖がついてしまうものです。

逃げていい時悪い時

私は逃げることが一概に悪いとは思いません。上述の通り、自分でも逃げたことが無いとは口が裂けても言えませんし、命が危険に晒される時は迷うことなく瞬時に逃げるべきだと思います。しかし、常に逃げる癖がついてしまうのは非常にまずいと思っていて、逃げていい時とダメな時を明確に意識すべきだと思うのです。逃げるべきではない時はどんな時か、それは人それぞれの価値観によって違うと思いますが、自分の中であからさまに言い訳を作っていると感じる時や違う理由をこじつけて本来行うべきとわかっている選択を翻す時です。そのパターンは大体自分の価値観を歪める逃げなので考え直すべきだと思っています。実は、そのタイミングは誰しもが自分で知っており、自分の心の中で逃げると攻める、もしくは留まったりの選択をどう選択するかをの葛藤します。そんな時、逃げ以外の選択を踏ん張るべきだと思うのです。人気ドラマ逃げ恥も結局、逃げてませんでしたしね。

逃げるべきでは無い理由

なぜ逃げるべきではないか、その答えは人は一人では大したことは決して出来ない、そして、人生は人とのご縁で磨かれ創られていくものだからです。本来の自分が持っている価値観を裏切って自覚的に逃げる選択をする事実は人からの信頼を失う所業に他ならないからです。社会にいるからこそ人です。社会の縮図である身近なコミュニティーから逃げ出すのが癖になってしまうと、結局、どこに流れていっても誰からも信用も信頼も得られることはありませんし、意外と世間は狭いもの。数年前にカンボジアに行った時に空港の飛行機からターミナルへ移動するバスで大阪の知り合いの経営者とばったり会ってここは関西か!と驚きましたが、人から逃れても一人でひっそり生きていくのでなければどこかで誰かと繋がるものです。一度だけの人生、価値あるものにするには社会との関わりは欠かせません。環境や人の問題はどこに行っても同じで、変えられるのは自分しかない。この事実に正面から向き合うことで、生きがいを感じられる人生になると思うのです。
ちなみに、今、逃げよるんかな?との問いを持つことを私も常に心がけるようにしています。結構、よくあります。

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