成果は熱量に比例する。〜新しい時代に求められる仕事〜
社会人として生きていくにはどうしても成果が求められます。成果って何?との根本的な問いが頭に浮かびますが、それに対する私の答えは、あるべき姿、理想の実現との目的に近づいていくためのマイルストーンを積み重ねることだと思っています。
それは、あくなき進化・成長を求め続ける社会からの要請でもあり、会社や家庭と言った小さなコミュニティーから求められることでもあります。また、自分自身の内なる声、幸せを求める心に応える所業でもあると思っています。レイヤーは様々ですが、人は何かしら成し遂げたいものを持っているものです。
やればいいってもんじゃない。
目的や目標は十人十色、人それぞれではありますが、社会の一員となった人の営みは常に何をやるかではなく、何ができたかにフォーカスされます。
社会に出ると、誰もが一度は耳にする「やればいいってもんじゃない。」との成果を求める厳しめの言葉は、決してプロセスを軽んじるわけではなく、時間は無限にあるのでは無い、命と同じとも言える大切な時間を無駄遣いするな。との厳しい現実に立脚したアウトプットだと思っています。
人はやるからには成果を手に入れたいのが本音だし、成果に対して自己でも他者からも評価が下されるのもまた事実。
強い想いに突き動かされて行動する姿は共感を呼びますが、いつまで経っても成果が出なければ、本人も周囲の人達も徐々に心が萎えてしまうもの。
悲しいかなやっぱり目的や目標は達成させ無ければ意味は無いのです。
課題は思考ではなく社会に移行した
レジェンド経営者の稲盛和夫塾長は仕事で成果をあげるには「考え方×熱意×能力」である。と言われていました。
この言葉は主に考え方の重要性を説く文脈で説明される事が多く、マイナス思考の考え方を持っていれば、どんなに熱意と能力があっても、決して成果に結びつく事は無い。との解説を私も若い頃に何度も耳にしました。プラス思考の大切さを私も随分と人に説きました。
しかし、稲盛塾長が数々の伝説的な成功をおさめられたのも今は昔。
その当時に比べて随分と世の中は変わりました。
日本は失われた10年が20年、30年と続き、現在、その影響もあって円が弱く,安くなった為替変動のおかげで海外に向けて事業を行う大手上場企業の業績は鰻上り。株価はバブル超えの4万円超えを次々と更新しました。
しかし、その反面で輸入品は値上がりし、景気回復なきインフレは国民の暮らしをジワジワと締め付け、国内産業を生業とする中小の地域企業は厳しい経営環境に追い込まれています。
マーケットの縮小で今年に入って倒産件数が加速度的に増えているのが日本の現実です。考え方と熱意とスキルを起点にして成果が手に入る時代ではなくなりました。
日本を消滅させる負のスパイラル
国内企業の97%を占める地域企業(中小企業)による国内産業が衰退するのはそのまま内需、景気の後退に繋がります。上場企業の収益は株式配当に転化され、喜んでいるのは株を保有する(実質半数以上が海外の!)株主ばかりです。
一向に国民所得は上がらず内需が活性化しないと、あらゆる地域企業は生き残りをかけてコスト削減に躍起になります。未来に想いを馳せる事が出来ず、目の前の利益を確保するのに必死になり、金儲けにならない事に全く興味を持てなくなってしまいます。
中国の管子の言葉に「衣食足りて礼節を知る」がありますが、困窮は人の視座を低く、視界を狭くしてしまいます。
そして、莫大な収益をあげている大企業への法人税は大きく軽減されて貧困層からも一律に徴収する消費税、また社会保険・厚生年金が増やし続けられました。今や国民負担率は5割、五公五民かよと揶揄されるほど増大し続けています。
この格差を拡大し続け経済的にがんじがらめに縛り付けられている状況が、日本を生きるに値しない国へと、真綿で首を絞めるが如くじわじわと追い込んでいます。その結果、人々は未来に不安と絶望を感じ、未婚率は上昇、出生率は低下、女性の平均年齢は50歳を超え、若者の死因のNo1は自死、産まれる前に堕ろされる命は12万件以上、2050年には国内の半数の自治体が消滅するとの統計が発表される程。
あらゆる地域事業、地域産業が消滅する社会課題は負のスパイラルに嵌り、増大の一途を辿っています。
在り方×熱量×行動
日本安楽死計画かよ。と思ってしまう様な、こんな世相になった今、成果に対する定義そのものが以前とは大きく変わったと認めざるを得ません。
社会の営みは仕事が支えています。仕事とはを辞書で引くと「何かを作り出す、または、成し遂げるための行動。」とありますが、昔の様に経済を発展させ、金を稼ぐ事ではなく、事業だけの視点ではそもそも市場が消滅してしまう、顧客がいなくなる事に気づき、溢れかえり増え続けている社会課題に対して、解決を目指すアプローチが必要になっています。
競合他社に競り勝って、ゼロサムゲームを生き残ったところで、国がぺんぺん草も生えない荒野になってしまっては意味はありません。
事業を通して生み出すべきは経済的価値だけではなく、社会的価値が求められる時代へと突入したことを認識すべきなのです。
この文脈で、成果とは何か?成果を生み出すには?との問いを再考すれば、
「在り方×熱量×行動」
ではないかと私は考えます。
どうやるか?との末学ではなくどう在るか?との本学に立脚し、自分だけ頑張るではなく人を巻き込む熱量を持ち、何を言っているか?ではなく、何をやっているか?=行動で背中を見せるリーダーシップを発揮しなければ、社会に蔓延する大きな課題を解決へと進めることは出来ません。
志を立ててもって万事の源となす
2025年に世界は大きく転換する。と様々な識者がそれぞれの角度から語られています。今年はアメリカ大統領選挙もあるし、ロシアによる戦争もそろそろ新たな枠組みの着地を模索し始めるはず。中東による宗教戦争は焦土と化したパレスチナから憎悪の炎が燃え上がるでしょう。世界全土に格差と分断を敷き詰めた強欲資本主義に対するアンチテーゼが2025年には世界各地で排斥の狼煙が上がリ始めると私は考えています。
多くの小説や映画で預言されている様に、
一度、破壊と混沌の世界に陥って、カオスから新たな人類の歴史が始まるしかない。
と言われる方も多く見られますが、目の前の人が容易く死んでいくのを受け入れることは誰も出来ないはず。
気づいているなら思考停止をやめて、微力だろうが社会課題に向き合い、少しでも良い世の中にして次世代に繋ぐ行動を持つべきだと思います。
そのエンジンとなるのは人を巻き込む熱量。志を立てて、モチベーションを強く固めることから始まります。
全ての人がそれぞれの立場で改めて志を立てる。それがこれからの時代に求められる成果を生み出す唯一の入り口ではないかと思うのです。明治維新よりも大きな国難に私たちは直面しています。立ち向かうには、吉田松陰先生が提唱した志、至誠、実践の哲学しかないのではないかと改めて思うのです。
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人を人としてみる、人と自然の共生を目指す。そんな当たり前の事が当たり前になる世の中を目指して教育と地域コミュニティー・デザインの活動をしています。繋がってください。