見出し画像

圧倒的暴力に対する憧憬とその制御

実は、私には人に言えない秘密がいくつかあります。ただそれらは私に限らず、誰しもが意識するしないにかかわらず、心の奥底に抱えているかもしれないと思っていて、私がカミングアウトすることで、もしかしたら同じ悩みを持っている人の気持ちを少しでも軽くできる可能性があるかもと思い、しばしばその秘密を口にしたり、ログに残したりしています。

子供の頃の悪行

このnoteにもどうしようもない悪ガキだった子供の頃の、今となっては恥ずかしいとしか言いようのない所業を書いたりもしておりますが、一番ひどかった中学生の頃には、繰り返し、いわゆる犯罪に手を染めて、何度も警察のご厄介になっておりました。実は中学時代3年間で3回も家庭裁判所に送致されており、少年院に収監されていてもおかしく無い悪行の数々で、現在、すっかり真人間になってまともな社会生活を送っていることさえ、当時の私を知る人からは違和感があるのではないかと思う位です。数多くの人にご迷惑をおかけましたし、ひょっとしたらいまだに私のことを恨んでいる人もおられるかもしれません。大人になって、いくら子供の頃の過ちだとしても、なんて考えの浅いバカな事をしていたのかと反省することしきりです。

暴力への憧憬

今ではすっかり更生?社会復帰?して、自分では社会に溶け込み、まともな人生を送っていると思っておりますが、時間と共に私が犯した罪が消える訳ではなく、未成年の犯罪は前科にされる事はありませんが、人様に迷惑かけたり、人を悲しませたり、恨まれたりしたことは事実として残っており、ずっと背負い続けなければならないと思っています。そんな私が、子供の頃から抱えていたのは、抑え切れない暴力への憧憬と渇望でした。このように書くと完全にサイコ野郎って印象になってしまいますが、もちろん暴力礼讃主義と言うわけではありません。すっかり大人になった今だから、と言うわけではなく、若かりし頃から理性では暴力で問題を解決するのは最低最悪の手段だと理解していますし、恐怖で人を縛り付けたところで結果、何も生み出さないことくらいは知っていました。50歳を過ぎた今では、声を荒げて怒ることすらなくなりましたが、それでも、未だに心の片隅にどこか暴力への憧憬がくすぶっているように感じるのです。

画像3

苛烈な人生の間接体験

私は中学生になったころから、小説、特に戦国時代を舞台にした歴史小説を多く読み漁りました。そこに生き生きと描かれていたのは圧倒的な武力で他国を切り取りのし上がっていく戦国武将たちで、特に吹けば飛ぶような小国を継いで、鬼神の如く天下を手中に収めた織田信長には強いリスペクトを感じました。他にも百姓から天下人になり下克上の代名詞とも言われる豊臣秀吉、少年時代に人質に出される不遇の時期を過ごしながらも徳川300年の太平の世を生み出した徳川家康など、戦国武将が成り上がる過程を綴った血沸き肉躍る物語にのめりこみ、まるで自分がその場に居合わせるかのようにどっぷりと感情移入して、戦国武将たちの人生を自分に重ね合わせて間接体験を楽しむかのように没入していきました。もちろん、現在、私たちは民主主義の法治国家に生きており、戦国時代とは全く違う世界に生まれた事は理解しつつも、織田信長のように命を燃やし、苛烈に生きてみたい!と子供心に強烈に思っていたのを今でも鮮明に覚えていますし、そのころの体験と空想、妄想が私の人格形成に大きな影響を与えたのは間違いないと思っています。

画像2

未成年者による凄惨な事件

今になってなぜこのようなことを書くかと言うと、最近になってまた未成年者による目を覆いたくなるような凄惨な犯罪の報道を目にするからです。私自身がそうだったように、精神的に未熟な未成年者には若者特有のエネルギーの暴発はあるかもしれませんが、今の世の中の風潮が理性のタガをはずさせて、人として越えてはならない一線をを越えさせてしまっているのではないか?との危惧を持っています。その一因として昨年からのコロナ禍で爆発的に視聴者が増えたと言われるNetflix等の動画配信サービスの普及があるのでは無いかと思っています。恥ずかしながら、私も例にもれず、娘のアカウントで視聴し始めてからすっかりNetflixにはまってしまい、毎晩のように映画やドラマ、もしくはアニメを観るようになってしまいました。そんな中、次々に私の趣味嗜好を読み取ったAIがマッチ度が高い動画を勧めてくれるのですが、それらが非常に暴力的な内容が盛り込まれた作品が多いことに最近になってやっと気づいきました。

画像1

エスカレートする暴力嗜好性

昨年来、年甲斐もなくNetflixで熱心に見入ってしまった作品は、圧倒的武を称える「キングダム」パラダイムが違う人間同士が凄惨な殺し合いを繰り返す「進撃の巨人」金融業界の闇をあからさまに映し出した「うしじまくん」第一次世界大戦時にタイムスリップした自衛隊のイージス艦の物語「ジパング」アイヌ文化を紹介する名作と言われながらも一方で明治維新の亡霊、土方歳三が人を切りまくる「ゴールデンカムイ」財閥からの理不尽な暴力に立ち向かいリベンジを果たす「梨泰院クラス」そして、「ヒリヒリせんかい、」と言う流行語を生み出したやくざ映画の「破門」と確かに私が熱心に観たのは暴力がストーリーの中心に強く据えられた作品ばかりです。これらは、面白いから見るべきだと薦められたものもありますが、NetflixのAIが学習し、私に勧めてきたものも多く含まれます。要するに、一度、暴力的な作品を観ると泥沼に引きずり込まれるように、その嗜好性が加速しやすい環境が知らない間に出来上がってしまうということです。

現実に引き戻されるのは人とのコミュニケーション

50歳を過ぎるとさすがにヤクザ映画を見た後に肩で風きって歩くような短絡的な行動に出るわけではありませんが、それでもドラマや映画を観ての間接体験は少なからず言動に影響が出るものです。北村一輝さん主演の「破門」を観た人が「ヒリヒリする」という普段あまり使わない形容詞を使うようになるのがそのいい例ですが、そこにハマりすぎると架空のフィクションと現実の境目が見えなくなることも少なからずあると思います。そう考えれば、最近の少年による度を越した犯罪はインターネット環境の変化がもたらした影響が無いとは言い切れないと思うのです。そして、そんな勘違いを起こさないように現実に戻るには、人とのリアルなコミュニケーションの機会を持つしか無いと思っていて、「最近、ヤクザ映画ばっかりみてしまうんですよねー」と笑いながら自分を俯瞰して、冷静な言葉にして吐き出すことで、仮想現実にのめり込むことはなくなると思うのです。そしてそれは、個人的な問題のように思えますが、実は社会全体、地域やコミュニティーなどの組織が抱える問題なのでは無いかと思います。孤食が推奨され、外に出て、人と会うのさえ困難な今の時代が、妄想から現実に戻る機会を奪いさり、負のスパイラルに陥ってしまう人を増やさないことを心から願います。過ぎたるは及ばざるが如し、私もNetflixの見過ぎには気をつけて、今一度、読書量を増やすように心がけようと思います。

___________________

人の道とコミュニケーションの本質を示す研修やってます。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?