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文化しか勝たん! 〜社会課題解決の根本的レイヤー考〜

2023.6.16、中之島公会堂で開催されるソーシャルビジネスの祭典、1000人イベントを企画しているナショナルフォーラムでは、経営実践研究会のメンバー1000人の中から予選を勝ち抜いた5名がハレの舞台に立ってプレゼンテーションをする機会を与えられます。現在、その予選の真っ只中で、イベントの実行委員長である私は毎日のようにオンラインでのプレゼンテーション練習会に参加しています。

社会課題の根本解決とは何か?

我こそは、世界を変えるアイディアを持っている!と意気込みたっぷりに立候補されたメンバーのプレゼンテーションは、どれも素晴らしく、胸を打たれるものばかりです。毎日、何人ものプレゼンテーションの練習を聴いてはフィードバックのコメントを出しながら、実はちょっとした違和感というか、胸に引っかかるモノがありました。それは、社会課題の根本解決についての疑問というか新たな問いを持つ様になったことであり、課題解決の元を正していくと困りごとを解消する社会インフラを整えることとは少し違うのではないかと言うことです。

社会課題とは目の前の人の苦しみの集積

目の前の人を幸せにする1つのアイディアが実行されて成果を生み出す。それが再現性を持ち、広く世界中に伝播して広がっていけばそれはそれでとても素晴らしいことだと思いますし、是非とも実現してもらいたいし、私自身も今取り組んでいる事業を通して成し遂げたいと思っています。私はこれまで、人の苦しみや悲しみを解決し、救い上げる社会インフラを整えることが、社会課題の根本解決に繋がると思っていました。自分自身が行う事業も、常にその部分を意識してきたつもりです。しかし、毎日の様に社会を良くしたいと言う人たちのプレゼンテーションを聴いていて、ふと疑問に感じる様になってきました。

課題解決は新たな課題を生み出す

世の中に蔓延する数多くの課題には複数のレイヤーがあり、それぞれのシーンで解決に必要なものが生み出されます。ただ、目の前で困っている人を助けるのは、どうしても対処的な行動になりますし、根本解決には結びつきません。対処的な解決策をではなく、もう少しレイヤーを掘り下げると共に再現性を持たせて広く展開し、インフラとして構築すると問題の再発防止に繋がります。私は長年、そのスケールすることこそが根本解決に繋がると考えて焦点を合わせてきました。最近ふと思ったのは、そのもう一つ奥にも別のレイヤーがあるのではないかと言うことです。それは、解決困難な社会課題が複雑怪奇に絡み合いながら世界に蔓延している現状に向き合って見て、1つの課題解決は、実は新たな次の課題を生み出しているのではないかとの疑念です。

複雑怪奇に絡み合った世界

20世紀に入って、企業のグローバル化が進んだ事により、本来、それぞれの地域にあったはずの課題が世界とカップリングして非常に広範囲で複雑怪奇な問題へと発展する様になってしまいました。感染症の拡大が最もわかりやすいですが、感染症とはそもそも風土病であり、世界中がパンデミックに落ちるような性質の病いではなかったはずが、新型コロナは世界を一瞬にして一変させてしまいました。課題解決であったはずのワクチンの開発と全世界への流通は、新たな社会課題を生み出しましたし、対面でのコミニケーションが忌み嫌われる様になり、バーチャルな世界がインフラとして普及したことも、今までに存在しなかった新しい課題を数多く生み出しています。この様に見るとインフラ整備は、社会課題解決に直結していないことがわかります。

人の心の闇に光を当てる

では、社会課題解決の本質とは一体どこにあるのか?その問いに対する答えは、結局、人の心の中だと思うのです。キリスト教では人が抱えている罪源を傲慢・強欲・嫉妬・憤怒・色欲・暴食・怠惰の7つの欲望として戒めていますが、世の中で起こる犯罪、もしくは法には触れていない罪深き行為の数々は全て人の心の中に在る限りない欲望の発現です。この闇の部分に光を当てテコ入れしていかないと、いくら社会のインフラを整えたところで、際限のない欲望に駆られた人たちは、手を変え品を変え、搾取と侵略と暴力を繰り返します。目に見える表面的な構造をいくら変えたところで心の奥底の闇は変わらず存在して、また違う社会課題を生み出します。まるで永遠のいたちごっこです。

目指すべきは事業を通した社会課題解決

このように整理をすると、本質的な社会課題解決へのアプローチとは、目に見えるものではなく、目に見えないもの。インフラテクスチャーではなく、人の心の中にある思想や考え方や価値観であるのは誰しもが理解されるのではないかと思います。では、人類の永遠のテーマとも言える人の心の闇に光を当てて、利己的な欲望を打ち消す、新たな思想や価値観を胸の奥に灯してもらうにはどうすれば良いか?
救いの神や宗教、信仰の出番となりそうですが、私たちは教祖でもなければ僧侶でもありません。リアルな経済社会の中で、生きていくに当たり、その部分に諦めることなく、事業で向き合うべきだと思うのです。

創造すべきは文化

民間の、それも小さな地域企業が本業そのもので社会課題を解決していくには、まず、目の前の人の苦しみや悲しみに向き合う必要があります。その課題をもし解決する術が見つけられたなら、次に、自分たちの身の回りだけが良ければそれで良いではなくて、自分たちができる課題解決を横断的に展開させ、インフラとして広い範囲に課題、解決のアイディアを実行できる状態に整えるべきです。しかし、ここまで行っても根本的に人の心が変わっていかなければ、何の意味もなく、同じことを際限なく繰り返させねばなりません。改めてその事実に向き合ったとき、私が思いついたのは、創造するべきは対処法でもインフラでもなく、文化ではないのか?との仮説です。事業を通して世の中の課題を根本的に解決しようとする文化の形成こそが社会課題の根本解決の入り口ではないか?と思い当たりました。

文化しか勝たん

文化というと随分とぼんやりした曖昧なイメージを持たれると思います。しかし、wikipediaを引くと、以下の様に社会の価値観を創成し組織や社会の進む先を決める大きな力を持っていることがわかります。

文化ラテン語: cultura)には、いくつかの定義が存在するが、総じていうと人間社会の構成員として獲得する多数の振る舞いの全体のことである。社会組織(年齢別グループ、地域社会、血縁組織などを含む)ごとに固有の文化があるとされ、組織の成員になるということは、その文化を身につける(身体化)ということでもある。人は同時に複数の組織に所属することが可能であり、異なる組織に共通する文化が存在することもある。
出典:Wikipedia

また、「文化」は江戸時代には年号として使われており、その語源は『易経』賁卦彖伝にある「観于天文、以察時変、観乎人文、以化成天下」」(天文を観て以て時変を察し、人文を観て以て天下を化成す)にあるとされています。まさに、私たちが事業を通して生み出すべきは天下の化成であり、例えば、モノづくりの事業所が教育機関を併設する、職業と教育が一体化するなどと言うのも文化として定着するのを目指すべきだと思うのです。
ナショナル・フォーラムで世界を良くする、社会の課題を解決するアイデアを発表される方々には文化の創生や定着までを視野に入れた、大きな視点で熱く語ってもらいたい、そしてそれを実現してもらいたいと心から願います。

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