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何の為に経営するのか? 〜目的とそれを叶えるロジック〜

20年前、私は大工から全く経営の知識も財務の勉強もしないまま勢いだけで工務店を創業しました。はじめのうちは施工業社として職人の延長線上で何とかできていましたが、徐々にスタッフが増え、施工だけではなく人材育成などの社内整備、設計業務等、その内容も広がるようになり、このままではいかんと焦りはじめました。慌てて本を読み漁ったり、セミナーや研修に足を運んだりとずいぶんとお金と時間を使い、勉強をし直してようやく会社経営とはどのようなものかがおぼろげに分かり始めたのが今から15年ほど前のことです。また、様々な場所に足を運ぶ中で、非常に実務的な貴重な学びを得られたのは、同業者との会合や勉強会で、今の私があるのもそのような場に足を運んで知り合えた仲間のおかげだと深く感謝しています。そんなご縁を大事にしたいと思い、現在も全国組織、地域団体合わせて10近くの数多くの団体に所属しています。
昨日は、その団体の1つであるTOTOリモデルクラブの活動の一環で、仲の良い経営者が集まり、「やり方ではなくあり方を考える」をテーマにした本質的な経営の学びの場との位置づけられた経営革新会議の開催日でした。この会では、毎回メンバーの経営者が「何のために経営するのか?」との問いに答え、メンバー全員がその発表に対して意見を言い合うと言う非常に実践的でコアな面白い集まりです。今回も多くの刺激と気づきをいただいたので以下にその気づきを書き留めたいと思います。

経営の目的

「何のために経営するのか?」と問われると、経営の目的として明文化している経営理念についての経営者の想いや信条、その理想を実現するための全体的な理論構築についての話がどうしても中心になります。昨日発表された2人の経営者は、言葉の言い回しこそ微妙に違いますが、失礼を承知で乱暴かつ大まかにまとめると、従業員の幸せ、取引先などのステークホルダーの幸せ、そしてお客様を含む地域への貢献と、それを継続できるように後継者の育成を行うことだと、三方良しに代表される日本の古典的な商売観で、ほぼ同じ様な内容を熱く語られておられました。また、それらが単なるお題目にとどまっておらず、具体的な取り組みとしてそれぞれのやり方で実践されておられる姿は非常に素晴らしく、同じ様な経営理念を掲げて四方良しの世界の実現を標榜している私としては、深く共感するとともに、その実践例に大いに勉強させて頂きました。結局、事業所のあるべき姿を突き詰めていくとその事業に関わる全ての人が幸せになることに焦点が合ってくるのだと改めて感じた次第です。

経営理念とは組織のロジック

企業の目指す理想や在り方、目的を明文化する経営理念は同時にそれをどのようにして実現するのかとの具体的なアクションプランを伴った理論構築がセットで必要となります。それが行動規範や倫理規定であったり、就業規則等の働き方にも直結します。また、従業員の物心両面の幸せを目的に掲げると、当然ですが給与を満足してもらえるように支払う仕組みや、年齢や成長によって昇給するキャリアプランも必要です。それらと共に、いわゆる売り上げを作る力(=マーケティング)や、顧客を惹きつける求心力(=ブランディング)もその範疇に含まれます。また、それを担保する従業員間での方向性や価値観の一致、高いモチベーションを維持する社内風土(インナーブランディング)の生成も当然含まれます。昨日発表された大林社長はプレゼンテーションの中で二宮尊徳先生の「道徳なき経済は罪であり、経済なき道徳は陳腐である」との至言を引用されておられましたが、本来経営理念を掲げると言う事は、売上利益をどのように作り上げ、継続するのか、それを担う社内の人材開発をどのように行うのか、と言うところまでの理論構築が必要になります。この全体のロジックを持続可能な形で組み立てるこそが「経営」だと私は思っています。

信用第一の本物の時代

私が長年学び続けてきた古典的マーケティング論や経営論は決して目先の利益を得るための方法論に血道を上げるのではなく、昔から信用第一と言われるように、顧客や地域、自社が対象とするマーケットから必要とされる存在であることがまず大前提としてあり、それが「マーケティングはまず在り方から始めよう。」と言われる所以です。一貫性がなく、言行不一致な人に対して信用や信頼を寄せられる事はありません。1度はごまかして売り上げを作ってみても、二度と同じ人からは購入してもらえる事はなく、まるで焼畑農業のように次々と新規顧客を開拓し続けなければなりません。建築業界に限って言うと、新規顧客を追い求める宣伝広告による反響で受注が取れ始めたのは、この30年ほどのことで、それも情報化社会への移行に伴って新聞折り込みチラシやテレアポ、訪問営業のような売り込み型の手法はすっかり廃れてしまいつつあります。今後さらに顧客の情報収集に対するリテラシーが上がってくると、より本質的な部分に対する評価で依頼先を決められるようになってくるのは必然だと思っています。売り上げを追い求めるやり方をあれこれと手を変え品を変え試してみることよりも、企業としての信頼性を高める在り方に対して経営者も従業員も正面から向き合わなければならない本物の時代になったと思うのです。

伝社の辞

何のために経営するのか、との経営の目的を質す本質的な問いについての私の解は、同じ理想を念ずる人が集まった組織が存続し、理想を体現する状態を整えることだと考えます。なので、主体あくまで組織そのものであり、私の想いを具現化するとか、事業を継承すること自体は目的にはなり得ません。日々の業務でさえも全て理想を叶えるための手段の一環であることを考えれば、経営と言う組織を存続するための役割もその例外ではなく、組織としての存在意義や、理想とする世界観に共感、共有するメンバーをサポートする機関に徹するべきではないかと思うのです。私が経営に対する認識を大きく転換させるきっかけにもなった、組織を存続させるための自社独自の市場を構築する古典的マーケティングをご教授いただいた故水口健二先生が常々口にされたのは「マーケティングとは愛である」と言う言葉でした。その理論を世界で初めて経済活動で具現化したと言われる上杉鷹山公は自身のことを「機関である」と言われたといいます。今は封建社会の江戸時代ではありませんし、その当時と現代は大きく環境が違いますが、その上杉鷹山公が遺された有名な「伝国の辞」になぞらえて、私も「伝社の辞」を事業を引き継いでくれるメンバーに示したいと思います。このあり方こそが経営そのものであり、時代は大きく変わる中でも、組織が存在していくのに必要な本質ではないかと思うのです。

伝社の辞
一、事業所は経営者のためにあるのではなく理想を叶える事業を持続させる組織の為にある。
一、スタッフは事業のためにあるのではなくスタッフの自己実現や幸せのために事業がある
一、事業の為に顧客がいるのではなく顧客のために事業があるのでもない、双方が持続循環する関係を保つ為に事業ある
伝国の辞
一、国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして我私すべき物にはこれ無く候
一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれ無く候
一、国家人民の為に立たる君にて君の為に立たる国家人民にはこれ無く候


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