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諭吉先生から学ぶ問いの先

今週は東京出張からそのまま新しく法人を立ち上げる一般社団法人マイスター育成協会の理事会を2日連続で行い、理事全員から定款に捺印を貰うのと、遠方からの参加や直近で入会された方など、なかなか顔合わせが出来なかったメンバー間の交流をがっちり出来ました。充実した新年度のスタートで職人育成の高校を共に立ち上げる理事メンバーとじっくり話す機会を持てて、志教育の意味と意義を改めて確認頂けたように感じました。

諭吉先生の強い訴え

まずはとにかく、志を掲げることから教育は進めなければならないと、私が頑なに言い張るのは、実は福沢諭吉先生の学問のススメを読んで、まさにこれ!とドスンと腹落ちした経験によります。最も多くの日本人が読んだ書籍として有名で、日本銀行券の最高額紙幣にその肖像画が描かれ、「天は人の下に人をつくらず・・・」の一文は日本中の殆どの人が知っている、あの福沢諭吉先生の学問のススメの教えがすっかり現代社会では忘れ去られており、それをもう一度掘り返して多くの若者に学問をする意味や意義を考えてもらいたいと考えているからです。最も有名な一文にはもちろん続きがあり、そこにこそ、諭吉先生が学問をする必要性を訴えていたのです。

学問のススメより

抹殺された諭吉先生の教え

誰もが知っている、有名過ぎる「人は平等で差別なく、自由にこの世を渡っていけるはずである。」との文にはまだ、学問についての言及がありません。その後に続くのが何故、人は学問をすべきなのか?の問いと答えであり、それを非常に強い言葉で書き綴っておられます。この部分を知らずして学問のススメを知っているとは言わないのですが、不思議とその本質は学校でも習わないし、社会に出ても教わりことが無くなっており、実質、この世から抹殺されたと言っても過言ではないと私は思っています。これが非常にまずいと思っていて、失われた30年がまだまだ続くとも言われる没落の一途を辿りつつある、こんな日本になった原因が日本国民の記憶から福沢諭吉先生の教えをデリートされたのがその大きな一因ではないかと思っています。以下が額に汗して働いて、家族や家や事業を守ったくらいで満足するなとの諭吉先生の叱咜です。

「汝の額の汗をもって汝の食めしを食くらえ」とは古人の教えなれども、余が考えには、この教えの趣旨を達したればとて、いまだ人たるものの務めを終われりとするに足らず。
この教えはわずかに人をして禽獣に劣ることなからしむるのみ。
試みに見よ。禽獣魚虫、みずから食を得ざるものなし。
学問のススメより抜粋

目的を達せねば人ではない

原文も日本語なので意味は分かるにしても流石に明治時代の言い回しは現代語との差が大きく、理解し難いのを受けて、現代語訳の学問のすすめが致知出版のいつか読んでみたかった日本の名著シリーズで出版されています。
これなら誰にでも諭吉先生の意図が伝わると思い以下に紹介します。そこに書かれているのは目的を持つこと、目的を達することの重要性と人としての責任です。

人として自分で衣食住を得るのは何も難しいことではなく、別にいばるほどのことではない。これは、動物に負けていない、というだけのことだ。動物、魚、虫のどれもが自分で食を得ている。に至っては、はるかに未来のことを考え、穴を掘って住処を作り、冬の日に備えて食料を蓄えている。
世の中には、この蟻レベルで満足している人もいる。仕事で収入を得て、マイホームに住み、普通の生活をして、いかにも自分を立派な人間のように言う。この人はただ蟻の弟子というくらいのものだ。生涯やったことも、蟻を越えることはできない。万物の霊長たる人間としての目的を達したものとは言えない。目的を達しないのは、虫けら同然のバカである。

日本再生は学問から

「我々人間は、先人、先祖から文明という遺産を受けて、便利さを享受している。だからこそ我々は、未来の人から、感謝してもらえるような、行動になってなくてはいけない。」と諭吉先生は学問をおさめることで、目的を明確に持ち、自主独立の精神を育み、人として当然持つべき目的を達せよと強い論調で書かれています。明治から昭和初期にかけて圧倒的な人数の日本人が読んで感化されたこの本に書かれているのは、現代社会に蔓延してしまった「今、金、自分が良ければいい」との価値観と全く逆の「未来、文明、利他」を価値の中心に据える考え方です。国民の大多数がそんな人ばかりになったらそれは素晴らしい国になるのは間違いありません。明治維新から西欧列強からの脅威に向き合い、肩を並べるまでに成長し、太平洋戦争で敗戦して焼け野原の植民地から復活して世界有数の経済大国になった原動力はそこにあると思っています。

いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ

学校は学問の入り口

学問とは「問いを持つことを学ぶ」こと。問いとは「何をなすべきか?」「どのようにあるべきか?」「誰もが一度きりの人生の時間を何に使うべきなのか?」を考える機会を持つことに他なりません。そして、学問の入り口は学校です。学校ではまず、本質的な問いを持つこと、そしてその答えである志を掲げるのを行うべきです。そして、そもそも、学問の先にあるのは諭吉先生が言われた通り、まだ見ぬ未来の次世代を背負っていく人達を含めた多くの人の幸せであるべきだと思うのです。
私達は職人を育成するための学校を立ち上げますが、そこでもやっぱり、技術や資格の取得ではなく学問のススメをまず子供達に伝えたいと思っています。若者たちの志こそが建築業界や日本全体を良くして行く万事の源になると信じています。

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志を立てて、社内、取引先、顧客、地域での共有価値を創造できる人材育成のサポートをしています。

https://www.shokunin-kigyoujyuku.com


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