まず自分。1人称から始まる絶望と、貢献から始まる希望
20年ほど昔、よく工事をお願いしていた設備工事業の社長が口にした言葉が今も脳裏に焼き付いています。その言葉とは「もう、金だけ儲かればそれで良いかな、と思いまして。」と、事業に対して割り切ることにした。との態度の表明でした。
その経営者とは起業した時期も近く、業種は違えどもお互いに職人の育成を行う施工会社として、安定して継続できる事業所を目指して切磋琢磨していこう、と意気投合していただけに、とても残念な印象を持ちました。
今回、東京で開催された経営実践研究会の全国リーダー会議に参加して、本業で社会課題を解決し、誰もが生きるに値する世界を実現したい!と熱い志を燃やす人たちに塗れながら、ふとそんなことを思い出しました。
消滅する業界に生きるリスク
私が長年、生業にしてきた建築業界では長年の景気低迷とデフレ経済により随分と厳しい経営環境が続き、今は内需は低調、マーケットは縮小を続けているにも関わらず、円安によるコストアップ・インフレで資材が高騰、厳しい状況に拍車がかかっている状態です。この20年で、建築業界では廃業件数の山と谷を繰り返しながら、1/4近くが消えて無くなりました。そして、今後さらにその減少傾向は加速すると予測されています。
このデーターを改めて見て感じるのは、そういえば、私が起業した25年前から今まで、付き合いのあった多くの企業が破綻して無くなっていったとの事実と業界は半分程度まで縮小するとの予測を肌感覚で感じ続けてきたリスクです。同時に、フツーにしていたら、生き残れないのが当たり前の世界で、なんとか事業を継続すべく必死にリスクを打ち消す取り組みを次々に打ち出し、ろくに休みもなく働き、忙しく変化しながら奔走してきた自分自身の25年間の歩みです。
職人育成の難しさと絶望
起業から今までの期間、常に未来に不安を抱え、それでも社員やその家族を守りたい、守らなければならない。との強迫観念に迫られ続けた25年間といっても過言ではないと思います。リスクから逃れる為に常に改善点を見つけてはそれを正す、エラーを修正するのが私の1番の仕事でした。それを繰り返していると、どんどん瑣末なことに目くじらを立てるようになり、私は年がら年中怒っており、とにかくスタッフに対して指摘ばかりする経営者になっていきました。特に、職人育成は非常に難しく、細かく管理すればするほど。彼らは自分で考えるのをやめてしまい、指示された最低限のことだけをやる指示待ち職人を生み出すようになりました。管理が漏れればクレームが発生、クレーム処理に集中すると他が燃え上がる。そんな繰り返しは建築の事業に対する絶望感さえ感じました。冒頭の設備会社の社長が心を折って割り切ったのも、そんな自社職人の育成に疲れていたのかもしれません。
人を信じ、人に救われる法則
しかし、私は元大工で、全く社会的な保証を受けられず、非常に厳しい労働環境で働く職人の社会的地位を向上する。との志を立てて起業したこともあり、とにかくまずは自社のスタッフが将来に不安を持つことなく働けるように職人会社のビジネスモデルを構築し、それを全国に広げたいと強く思っていました。いくら失敗を繰り返そうと、計画が思うように進まなかろうが、自分だけ良ければいい、目先の金さえ儲ければそれで良いと思うことはありませんでした。そして、自分自信がそもそも中卒の大工であり、誰もが自律できる能力を持っていると気付いてから、職人達を信じて管理を手放すようになりました。現在、全国にて職人育成のサポートや職人を正規雇用しても収益性と持続性を担保できる事業構築のお手伝いを行なっているのも、起業時の志の具現化に向けての取り組みであり、時代に合わせて手法や目標は変われども、目的は全く変わることなく同じ姿勢で職人の地位向上を目指して活動しています。これも私からの信頼に応えてくれたスタッフ達のおかげです。
目指すは自分と周りの人の幸せ
冒頭に紹介した、金だけ儲かれば・・・、と割り切ってしまった社長はそれから数年で倒産して私の前から姿を消してしまいました。元来、私と同じ様な志を掲げていたのですが、事業の難しさにかまけて、それを割り切ってしまってから、あれよあれという間に会社はダメになりました。
冷静に考えれば、当然のことですが、金儲けにしか興味がない人に工事をお願いしたいとは思いませんし、そんな人の下で働きたいと思う人もいません。経営者が目先の金ばかりを追えば、企業は持続することはありません。
こう書くと、その経営者はバカだったのだと思われるかも知れませんが、この思考は今の世の中ではそんなに珍しいこともないと思っています。件の社長は仲の良かった私につい、ポロッと本音を話してしまいましたが、口に出さなくても心の奥底で、自分の身の回りの人だけ幸せになればそれで良いと思ってしまっている人が実は大半ではないか感じています。
人を押しのけ安心を掴む
人の幸せに貢献する前に、まず自分自身が幸せにならなければならない。といった論調の言葉をしばしば目にします。この論理こそ、上述の経営者が辿った破綻モデルの根本的思考に他なりません。
自分のことはさておき、まずは周りに貢献できることを考えるのが、利他の精神であり、その貢献が巡り巡って自分のところに帰ってくるというのが、二宮尊徳先生の提唱したタライの法則です。その思想を引き継いだ日本経済界の父、渋沢栄一翁が経済と道徳を一元化する、論語と算盤の思想を持ちながら日本の経済界に西欧列強に肩を並べる経済成長の種を蒔きました。日本の近代に立ち上げられた事業は世のため人のため、社会課題を解決する為に存在するはずだったのです。
それも今は昔、先の大戦で敗戦国になった日本は欧米式の短期決算による業績の最大化と株主利益の増大を目指す強欲資本主義の社会へと変貌しました。誰もが努力次第で成功者になるチャンスがある。との幻想を埋め込み、人を押しのけて少しでも良い学校に進学し、名の通った大企業に就職して、安心できる生活を手に入れる。受験戦争を勝ち抜いた企業戦士などと言われましたが、その実は体の良い奴隷です
革命はいつも地方から起こる
今だけ、金だけ、自分だけ良ければ・・・との考え方はいわば、奴隷の思考です。それだけのために生きるとの割り切りは、完全なる金の奴隷への宣言に他なりません。こんな人ばかりの国、地域、企業はディストピアになってしまいます。
ただ、今の日本人はそれに薄々気づき始めていると私は感じています。自分のことは後回しにして、ひと様に貢献したいと熱心に活動する人達が急速に増えているとも感じていますし、本業を通して社会課題解決を実現するCSV経営のビジネスモデルへのシフトを標榜される経営者と数多く出会います。皆さん、この世を少しでも良くしたいとの志や社会の不条理を正したいとの義憤にかられた人たちです。日本は変わり始めていると思っています。
ただ、それぞれの取り組みは素晴らしくても、1社で出来ることはあまりにも微力に過ぎます。同じ想いを持った人や企業が集まって、相互に補完試合、共助、協働するネットワークが生まれた時、世の中は変わり始めると考えています。その本質は奴隷解放であり、革命です。
革命はいつもに地方で起こる。この世界がディストピアにならないようにするには、まず、多くの人が「自分のこと」と「ひと様のこと」を切り分ける二項選択になりがちな受験脳を切り替えて、「どっちもやる。」との厳しいが、やりがいのある道を選ぶパラダイムへのシフトが必要だと思うのです。
私が世話人として所属している経営実践研究会は、そんなパラダイムシフトを誘い、社会実装を研究する経営者が集っています。6月に大阪で多くに人に触れてもらえる機会としてイベントを企画しましたので、是非とも時代の岐路に立ち会ってみてください。
__________________
以下からお申し込みいただけます!